トラウマ記憶は書き換えが可能？公認心理師が〈トラウマ記憶〉に関する科学を解説

記憶はホログラムのように分散して保存されている

私たちの「記憶」は、ひとつの場所にファイルのように保存されているわけではありません。アメリカの神経科学者 カール・プリブラムは、1970年代に「ホログラフィック・ブレイン理論」を提唱しました。脳は情報を局所的にではなく、全体に分散して記憶しているという考え方です。ホログラムでは、画像の一部を切り取っても全体像がぼんやり再生されます。同じように、私たちの脳も、ひとつの匂い・音・感触といった断片から、体験全体をよみがえらせることができます。それは、トラウマのフラッシュバックの神経的なメカニズムを説明する理論になるかもしれません。

記憶は「エピソード」「感情」と別々に保存される

記憶は一枚の映像ではなく、いくつかのシステムで支えられています。神経科学者 ラリー・スクワイアらが示した「複数記憶システム理論」では、記憶は大きく2つに分かれます。

エピソード記憶（海馬）：出来事の時間・場所・順序など、ストーリーとしての記憶
情動記憶（扁桃体）：そのとき感じた恐怖・怒り・安心などの感情や身体反応

通常は、海馬と扁桃体が協調して働き、「何が起きたか」と「どう感じたか」が結びつきます。しかし、強いストレス下ではこの協調が崩れ、扁桃体が過剰に反応し、海馬の働きが弱まることが知られています。恐怖反応の研究で知られる ジョセフ・ルドゥー（Joseph LeDoux, 1996） は、この分離によって「文脈を欠いた感情的記憶」が生まれることを示しました。

このメカニズムは、C-PTSD（複雑性PTSD） によく見られる「感情だけのフラッシュバック」を説明します。映像や場面は思い出せないのに、強烈な恐怖や悲しみが身体の中に湧き上がる…それは、情動記憶だけが単独で再生されている状態なのです。

身体に保存される記憶？──グリア細胞の役割

最新の研究では、記憶がニューロン（神経細胞）だけでなく、グリア細胞と呼ばれる“神経を支える細胞”にも関係していることがわかってきました。MITの研究者 Dmitry Krotov（2025） は、星のような形をした アストロサイト（星状グリア細胞） が、神経の発火パターンやシナプスの安定性を調整し、記憶の長期保持に関与している可能性を報告しています。

また、Bessel van der Kolk（2014）の著書『The Body Keeps the Score（身体はトラウマを記録する）』では、身体的な緊張や反応こそが過去の体験の“記憶の痕跡”であると述べられています。つまり、感情や記憶は、脳の中だけでなく、神経・免疫・ホルモン系を含む身体全体のネットワークに刻まれる可能性が示唆されています。

記憶は何度も書き換えられる

最近の研究では、記憶は固定されたものではなく、再活性化によって常に書き換えられていることが示されています（ScitechDaily, 2025）。過去の記憶は、思い出すたびに新しい光を当てられ、別の形に再構成されていくのです。私たちは「過去を変えられない」と感じがちですが、脳科学が示すのは、記憶が動的で、再構成されうるプロセスであるということです。トラウマに対する心理療法で行われる「安全な環境下での再想起」や「再意味づけ」の効果を支える神経メカニズムとも言えるでしょう。

参考文献：

Pribram, K. H. (1971). Languages of the Brain: Experimental Paradoxes and Principles in Neuropsychology. Prentice-Hall.
Squire, L. R. (1992). Memory and the hippocampus: A synthesis from findings with rats, monkeys, and humans. Psychological Review, 99(2), 195–231.
LeDoux, J. (1996). The Emotional Brain: The Mysterious Underpinnings of Emotional Life. Simon & Schuster.
van der Kolk, B. A. (2014). The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma. Viking.
Dmitry Krotov(2025). Overlooked cells might explain the human brain’s huge storage capacity (MIT Press Release).
ScitechDaily. (2025). “New Research Upends Traditional Views About Memory.”