顔色をうかがう癖から脱出!「嫌なことを嫌と言える」ようになった女性の軌跡【体験談】
『「いい人でいなきゃ」を卒業したら人生がラクになりました』(はちみつコミックエッセイ)の作者・そうはは。さんへのインタビューです。機能不全家庭で育ち、常に周囲の顔色をうかがって生きてきたそうはは。さんが、どのようにして自分を大切にできるようになったのでしょうか。家庭や学校で安心できる場所がなかった幼少期の体験から、考え方を変えていった経緯、そして自分軸を築くまでの軌跡を詳しく語っていただきました。「嫌なことを嫌と言える」ようになった転機や、我慢と協力の境界線についても具体的なエピソードとともに伺っています。
家も学校も安心できる場ではなかった
——生まれたご家庭はどんな様子だったのでしょうか。
父と母、父方の祖母、そして年の離れた姉と兄がいました。父は無職でいつもお酒を飲んで酔っ払っていて、突然キレることもたびたびあって、何回か暴力をふるわれたこともあります。
母は常に機嫌が悪くて、おせんべいを食べたり、宿題を教えてもらおうとりしただけでキレられるような状況でした。
姉と兄も優しくなく、あまり話もしない関係性で、家庭内で唯一の味方は祖母だけでした。祖母は同じ家の2階で暮らしていて、大好きだった祖母のもとによく行って過ごしていました。
——学校ではいかがでしたか。
学校では一人のリーダー格の子の気分で、毎日いじめのターゲットが変わる日々で、その子が機嫌がいいかイライラしているか、顔色をうかがっていました。
——家庭でのご経験も「顔色をうかがう」という癖につながったのでしょうか。
そうですね。母がイライラしてたりとかすると、もう話しかけない方がいいなとか、機嫌が良さそうだから話しても平気かなと、常に機嫌をうかがっている感じでした。それで話しかけたら急に母が怒ってしまって、「私が何か怒らせることをしちゃったのかな」と考え込むこともありました。
嫌なことを嫌と言えるようになって
——本作では、4人グループの中の一人であるフキ子がそうはは。さんに強くあたってくることに悩まれていました。
フキ子に無視されたり何か言われたりするのは私が悪いと思っていたのですが、そうではなくフキ子が私を下に見ているだけだと気づきました。それでフキ子と関わることをやめることにしました。
4人で仲良くしていたので、私とフキ子が疎遠になることで、グループの関係も壊れてしまうのでは……と心配していたのですが、私は残りの2人とは変わらず仲良しでしたし、2人もフキ子と変わらず関係を続けていました。4人で集まることがなくなっただけです。
——嫌なことを嫌と言えるようになってから、人間関係にはどのくらい変化があったのですか。
若い頃の話ですが、同時期に2人から私に対する態度と他の人に対する態度があからさまに違うという経験があって、当時は結構悩みました。
その人たちとは会うのが楽しみではなくて、「今日は機嫌悪かったら嫌だな」などと会う前に思うこともあって。2人との関係をやめてから楽になった自分がいて「会うのが楽しみじゃなかったんだ」と気づいて、それ以降は心をすり減らしてまで人と会うのはやめようと思いました。
——「楽しみじゃないけれども会っていた」というのは、どういう心理があったのでしょうか?
最初は普通に仲良しの友達で、だんだん強く当たられるという感じだったので、機嫌が悪いのも、「私が何かしちゃったのかな」と気にしてしまって。何かしちゃったなら謝りたいし、嫌な思いをさせたくないとか、「今日は○○ちゃんの機嫌が良くて、今までみたいに楽しく過ごせるといいな」などと遊ぶ前に考えていました。
でも不機嫌はただの八つ当たりで、私に対して失礼なことをしてもいいと思っていたということだったんですよね。
——お母様の不機嫌についても、今となっては「お母さんの問題だった」という捉え方をしているのでしょうか?
当時の母の状況を考えると、父が無職で自分の稼ぎで生計を立てていくことに不安があったでしょうし、義母と同居で気を使う環境だったと思いますし、ピリピリする気持ちもわからなくはないですが、やはり理不尽だとは思います。
一方、自分も母になって機嫌悪くなってイライラすることもあるので、当時の母はどこか頼れるところがあったら変わってたのかなとか思うこともありますね。
ずっと「お母さんみたいなお母さんになりたくない。優しいお母さんでありたい」と思ってきたのですが、実際親になってみると、私もイライラしたり、子どもたちに怒っちゃったりすることもあって、「自分もお母さんと変わらないじゃん」と思って苦しくなることもあります。
最終的には自分で気づきを得られるか
——考え方が変容していくにあたって、影響が大きかったのはどのようなことですか。
本をつくるにあたって、過去の経験を掘り下げて、深く振り返る時間を設けました。
一番大きいのは、作中にも登場して、夫である「むくおくん」に話したことです。「気にしすぎだよ」と適当に流されるわけでもなく、「バカにされてるんだよ」「一緒にいなきゃいいじゃん」とはっきり伝えてくれたので、私が何かしたわけではないと気づきました。
むくおくんは自分軸な人で、「我慢してまで仲良くするのはやめたら?」などと、キッパリした考えの人で、ずっと気にしてしまっていた私とは正反対なんです。
——夫さんに対しては、顔色をうかがうことはなかったのですか?
そうですね。元々誠実で堅実な人が好みで、むくおくんはまさにそういう感じの人なので、「見捨てられるのでは」という不安になることはあまりなかったです。
顔色をうかがってしまっていた私とは正反対で、相談すれば客観的な意見を伝えてくれるパートナーがいたことは、考え方を変えられた背景としては大きいのですが、夫と付き合っている期間と同時進行で色々なことに悩んでいたので、「理解のあるパートナーがいれば解決」ということでもなく、やはり自分で自分を認めたり、思考の癖を手放したりすることは欠かせないと振り返っています。
——気づいていく過程でのお話をお伺いしたいと思うのですが、我慢と譲歩(協力)の境界線はどんなところにあると思いますか?
あくまで私の場合になってしまうのですが、私は断らずになんでも引き受けてしまうことが多いのですが、中にはだんだんと都合よく利用してくるような振る舞いをする人もいます。
「そういう人のためにまで無理して頑張らなくてもいいし、断ってもいいんだ」と気づけるようになったので、そこが境界線だと思っています。
——我慢と譲歩・協力の判定をしなければいけないと思うのですが、判定基準はご自身の中でありますか?
私はお願いされて全部引き受けてしまったり、仲良くなった後で気づくパターンが多いのですが、途中で「あれ、これって……?」となったときの違和感を無視しないようにしています。
以前でしたら我慢して続けていたと思うのですが、なんとなく「この人、都合よく私のことを使っているだけかも」「なんだか悪意を感じる」と思ったら、我慢してまで続けないようにしています。
※後編に続きます。
【プロフィール】
そうはは。
長男・次男・夫との日常マンガをSNSで発信しています。
コミックエッセイ描き方講座6期生。
前向きな気持ちになれるコミックエッセイを描けるように頑張ります!
X:@mukumi100
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