からかわれるのは痩せられない自分が悪いと思っていた。友人の一言で変わった体型への捉え方【経験談】
漫画家のなぎまゆさんは、『痩せるより大切なことに気づいたら、人生で一番楽に17kgのダイエットに成功しました』(KADOKAWA)の中で、「我慢しないダイエット」の経験談を描かれています。「頑張らないダイエット」のためには、自分に何が合うか見極めることが重要だとおっしゃっています。また、過去には体型のことで何度もからかわれたことがあったものの、「言われたくないなら痩せないと」と思っていたとのこと。ただ今回のダイエット中に、友人からのある言葉で考えが変わり、現在は「他人の目より自分がどうなりたいか」と思えるようになったそうです。詳しく伺いました。
自分にとって何が合う?
——本書では、「効率」より「継続」を優先したことが描かれていました。運動については、継続のためにどんな工夫をしましたか?
少しでも支障になるものを徹底的に取り除かないと続けられないと思いました。たとえば運動のできるゲームソフトは、ゲーム機の起動が面倒ですし、音楽に合わせた運動は、音楽を用意し、かつ音楽のペースに合わせて運動することが、最初は楽しいけれどもだんだんと飽きてくると思ったのでやめました。
色々試しながら、自分に合うものだけ残して続けていった結果、自転車型トレーニングマシンとフラフープとウォーキングが残りました。自転車型トレーニングマシンとフラフープは、SNSやゲームなど「ながら運動」ができますし、始めるのに時間がかからないことも合っています。
ウォーキングに関しては、過去に歩けなくなったことへの恐怖心が残っていて、悪天候でなければ、日常の買い物も含めて毎日歩くようにしています。外に出られないような天気の日は、自転車型トレーニングマシンを2回にするなど柔軟に変更していますね。
友人にはダイエットのためにジムに通っている人もいます。出かけることが気分転換になる人もいるとは思うのですが、私は出かける準備をするのが面倒になるタイプです。病気のこともあって、トレーナーさんにできないことを伝える必要があるのも引っかかっていました。なので、ジムは利用していないです。
——今回のダイエットで、取り組んでみたものの、合わなかったことはありますか?
運動系のゲームソフトなど、すぐに取りかかれないものは合わなかったほか、食事に関しては、普段取り入れていないものを余分に買うことは合わなくて続かなかったです。
一番続かなかったのは、プロテインを摂る際にプロテインレシピを作ること。色々な方がレシピを紹介されていて、挑戦してみたものの面倒で続きませんでした。私の感覚では、ひと手間ふた手間かける程度では、特別おいしいとは思えなかったんです。
ただ、水に溶かして飲むことは楽しいとは思えないものの、作業だと思えばしんどくなかったので続けられています。人によっては、水に溶かして飲むのがしんどいけれども、手間をかけておいしく食べられる方がいい人もいるでしょうし、自分にとって何が合うかが大切だと思います。自分にとって我慢になることと、苦ではないことを見極めることが「頑張らないダイエット」につながるのではないでしょうか。
太っていることと、それを侮辱するかは別の話
——本書では、過去に何度も体型をからかわれていたことについて描かれていました。
以前は、自分の体型が嫌で、太っている自分が嫌いだったので、太っていること=間違っているという思考になっていて。だから「太ってるね」と言われたとき、不愉快だと思うものの「悪いのは自分だし」という感覚で、他人からの言葉を受け取っていました。
大人になってからは、他人の体型をイジるような人は「デブ」など直接的な言い方ではなく、アドバイスや親切を装って絶妙な言い方をしてくることがあります。そうやって周りくどい言い方をされると言い返しづらくて……。反論すれば「あなたのためを思っているのに」「嫌なら痩せなよ」と、「太っている」と言われる側が悪いという扱いをされ、さらに言い返しにくくなっていました。さらにその空気を相手が察して、「この人には体型を揶揄することを言っても大丈夫」だと嗅ぎつけてターゲットにされていたようにも思います。
少し前に「背が小さいことや、髪の毛が薄いことは、生まれつきだから言っちゃダメ。でも太っていることは食べなきゃ痩せるんだから、痩せない方が悪い」という言説が広がっていたことがありました。なんだか違う気がするけれど、一理あると思っていました。体型は努力で変えられるのだから、「太っている」と言われることに対して、抵抗や無視することを「逃げ」だと思っていたんです。逃げることへの罪悪感があって、言われっぱなしになっていました。
そんな感じでずっと「からかわれたくないのであれば、痩せなきゃいけない」と考えていたのですが、友人の「太っているかどうかと、人を侮辱していいかどうかは、別に考えなきゃダメだよ」という話に衝撃を受けました。
友人の話を聞く前から「この人は○○だから侮辱していい」という言葉には、同意しないものの、自分のことについてはコンプレックスがあるので、そんな当たり前のことに気づかなかったんです。
今も体型のことを言われたら傷つきますが、そういうことを言ってくる人から離れたり、反論したりすることへの罪悪感はなくなりました。体型に限らず、他者の特徴を侮辱するような言葉は多々あります。たとえそれが事実だからといって、バカにしていいものではなく、侮辱する方がおかしいと心から思えるようになりました。
——ここ数年で「ルッキズム」「ボディポジティブ」という言葉が広がってきたこともあって、体型を揶揄する人も減ってきたように感じます。
「ありのままのあなたも素敵」という言葉を聞くことがあります。ありのままの自分を肯定することはもちろん大切ですが、どういう姿でいることが心地よいかは自分が決めることだとも思っています。
友人の「太っていると言われたら傷つくものの、間違っているのは体型を侮辱してくる相手の方」「それとは別で心身の健康のために痩せる必要があるなら、それについては自分や本当に自分を心配してくれる人たちと考える」という話が、私にはしっくりきました。
今でも「太っている」と言われたら傷つくのは変わらないです。でも以前のように「太ってる私が悪い」とか「バカにされたくないから痩せなきゃ」など太っている自身に罪悪感を抱くのではなく、「嫌なことを言う相手が悪い」「その上で自分が必要と思うのなら調整しよう」と思えるようになりました。
——現在、体型コンプレックスへの捉え方はどのように変化しましたか?
「こうなれたらいいな」という気持ちはありつつも、理想通りでなくても、自分をダメだと思ったり、「こうならなきゃいけない」みたいな気持ちにはならないです。自分が理想とする体型はあるものの、ものすごく我慢して理想を目指すよりは、ほどほどに意識しながら、できれば少しずつ理想に近づければいいなくらいの気持ちで、切羽詰まってはいないですね。理想の体型になりたいという気持ちは、優先順位としては低いです。
侮辱する人は、標準体重でも「太ってる」と言ってきたり、「お腹が出ている」など部分的に否定してきたりします。どんな体型になっても言ってくるので、そこに振り回されていたらキリがありません。今は他人の目を気にするのではなく、自分がどうなりたいかが大切だと思っています。
【プロフィール】
なぎまゆ
東京都在住。漫画家。お部屋を整理整頓ができない理由やキレイな状態を続ける方法を紹介した実録コミックエッセイ『「ちゃんとしなきゃ!」をやめたら 二度と散らからない部屋になりました』が人気に。シリーズ3冊刊行。ブログ:https://ameblo.jp/naggy2018/
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