完璧じゃなくていい。私たちは何かを成し遂げるためではなく「体験する」ために生まれてきた【#50代のリアル】
40代、50代と歳を重ねるなかで、ふと自分の心や体に「理由のない揺らぎ」を感じることはありませんか? 昨日まで当たり前にこなせていた仕事や家事に少し疲れてしまったり、理由のない焦りや不安が胸をかすめたり。まわりと比べて「私、このままでいいのかな」と立ち止まってしまう瞬間は、誰にでもあるものです。 私自身もいま、まさにそんな心身の波に揺られている真っ最中です。けれど、立ち止まったからこそ見えてきた「新しい視点」がありました。 今回は、人生の折り返し地点で手に入れた「体験」という宝物について、お話しさせてください。
「有限の時間」が教えてくれた、日常の愛おしさ
若かった頃の私は、与えられた時間がまるで永遠に続くかのように生きていました。 「死」というのが、どこか遠い存在だった。ですが、自分自身の身体の変化や、父親の死を経験したいま、「人生の時間には限りがある」という現実を、リアルに実感するようになったのです。そうして「限り」を意識し始めてから、不思議と日常の捉え方が少しずつ変わり始めました。
今日という日に流れる空気感、出会う人の温もりや優しさ、目の前にある仕事の時間。そして、思うようにいかないポンコツな自分自身すらも、どこか愛おしく思えるようになってきたのです。 「限られた時間のなかで、私はあとどれくらい、この世界のおもしろさや温もりに出会えるんだろう」と。
ヨガが教える「人間は体験するために生まれてきた」という真実
ヨガの古い教えでは、私たちがこの世に生きる一番の目的は、何か大きな成果をあげることでも、完璧な人間になることでもないと説かれています。 ただ、この肉体と心を使って、あらゆる出来事を「体験すること」そのものが人生の目的であり、宝物なのだと教えてくれるのです。
私たちはつい、「快適で、順調で、成功している状態」を正解だと思い込み、追い求めてしまう。 でも、思うようにいかなくて頭を抱える日も、心や体がブレて立ち止まる日も、この命があるからこそ出会えた「その時だけの特別な味わい」なのですよね。
「ちゃんとした自分でいなきゃ」「理想のカタチに整えなきゃ」と、力んでいた肩の力をふっと抜いたとき。私たちははじめて、自分が歩んできた道にあるすべての出来事を、そのまま愛おしく抱きしめられるのかもしれません。
人生というテーマパークを、愛おしく味わい尽くす
そう考えると、人生はどこか壮大なテーマパークに似ています。
胸がすくような快晴の日もあれば、絶叫マシンのように揺さぶられる日もある。急な土砂降りに見舞われて、ただ雨宿りをするしかない日だってあります。 勝手知ったるお気に入りの乗り物もあれば、思いがけずハラハラさせられる未知のアトラクションだってある。 でも、そのすべてが「この心と身体があるからこそ出会える、二度とない特別なアトラクション」なのだとしたら。
そう捉え直したとき、思うようにいかない日すらも「お、今日はなかなかスリル満点な乗り物に乗ってるぞ」と、どこか面白がれる気がしてきませんか?一歩引いて自分の人生を眺めるような視点に立つと、日常は愛おしい瞬間で溢れている。
理想通りにいかない日も、立ち止まってしまう時間も。それも全部、この人生というテーマパークを彩る大切な一幕です。 酸いも甘いも丸ごと抱えて、今ここにある時間を愛おしく味わい尽くしていきたい。私自身もそんな風に、日々の波を面白がりながら歩んでいきたいと思っています。
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