「父の認知症から学んだ幸せの秘密」(3)看護師の三女のアドバイスのもと、認知症外来を予約

「父の認知症から学んだ幸せの秘密」(3)看護師の三女のアドバイスのもと、認知症外来を予約
写真/野口さとこ
Saya
Saya
2025-07-15

親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。

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父の徘徊時点でのわたしの認知症や介護に関する知識は、「家族が認知症になったら、自治体の地域包括支援センターに行く」。ほとんどこれだけでした。介護保険を使うためには自治体に介護申請をして、「要支援」や「要介護」の認定をもらう必要があることは、なんとなく知っているというレベルだったのです。

わが家でも地域包括支援センターを母が訪れたものの、医師の診断がないと介護認定も降りないということで、認知症外来への受診が急がれました。意識のないまま夜間にさまよい出し、徘徊をしてしまった父のショックも相当なものだったはずで、嫌がっていた受診もすんなり受け入れてくれました。

とは言え、どこの病院に連れていくのがいいかという段になると、まさに雲をつかむよう。23区内と都下ではかなり医療事情が違いますから、23歳で実家を出て、23区内でひとり暮らしを始めたために、東京都下の医療や福祉事情にはとことん疎かったのです。父も現役時代は新宿に本社のある企業に勤めていたので、不整脈や食道癌でお世話になったのは都心の大学病院。内科医や整形外科以外は、地元では医療のお世話になっていなかったのですね。

また、70代の終わりに父が免許を返納して以来、誰も運転しないわが家では、年寄りだけでも電車で通えることが重要です。乗り換えなし、短時間で行けて、駅からもさほど歩かないで済む範囲で、よさそうな「もの忘れ外来」「認知症外来」を探し始めました。ここで、現役の看護師である三女が「大きな病院と連携しているところがいいのではないか」とアドバイス。知人の医療関係者に評判を聞くなどもしてくれました。

東京都の場合、地域ごとに区分けして、「認知症疾患医療センター」に指定された病院があり、これらの病院は、認知症状の原因を頭部レントゲンや血流検査をしてから、認知症を総合的に判断してくれます。たとえば、脱水や栄養状態不良などから来る内科的なものなのか、転倒し、頭部を打ったことによって認知症状が出ている外科的なものなのかと言うように、原因をはっきりさせてから、診断に至るのですね。

のちのち医師に説明されて、はっきり認識したことですが、「認知症」を見てくれる医師の専門は、「脳神経外科」「脳神経内科」「精神科・心療内科」の3つに大別されるので、診断が出てから、より患者に合った病院に転院することも視野に入れたほうがいいようです。これものちのちわかっていくことなのですが、認知症では精神的な症状が強く出ることもあるので、そうした場合は、精神科や心療内科のほうが得意な場合があるとか。また、最近は、かかりつけの内科医でも認知症研修を受けている医師が多いので、長年、患者を知っている医師のほうがよいケースもあるでしょう。

でも、このときは、そんな初歩的な知識もありませんから、結局、通いやすさを最優先に、住んでいる自治体にある認知症外来を次女が予約してくれることになりました。初めにトライした病院では、「もの忘れ程度の初期の患者さんが対象で、徘徊までしているとうちでは手に負えない」と断られ、別のもの忘れ外来へ。ここは、都指定の認知症疾患医療センターでした。混み合っていて、母と次女の付き添いのもと受診できたのは、3月も下旬のことでした。

父の認知症

血液検査や神経心理学検査、脳画像検査など一連の検査結果が出たのは、4月下旬。海馬の萎縮は、典型的なアルツハイマー型認知症の初期であり、このまま進行するであろうことが告げられました。家族はすでに覚悟していましたが、父自身は宣告されても、なかなか受け容れられなかったようで、とてもかわいそうでした。昭和の猛烈サラリーマンには珍しく、料理も掃除も大工仕事も、何でも自分でやる人でしたから、これから何もできなくなっていくのかというショックはいかほどかと思うと胸が痛みました。

その認知症外来が週に2回だけだったことから、わたしの上京予定とタイミングが合わない。この時点ではメッセージで報告や相談を受けるくらいで、近居の次女や医療知識のある三女に助けられてばかり。協力し合い、相談できる家族の存在。また遠距離に住んでいる身としては、親の近くに住んでいる姉妹へのありがたさを感じるばかりでした。

この「連携」は、その後、家族だけでなく、医療スタッフ、福祉スタッフを巻き込んでいくこととなり、おおいに力を発揮します。介護体制づくりにおいて、絶対的に大切なのはマンパワー。介護費用がそれほどかけられなくても、人手があると、なんとかなることが多いからです。「つながり、連携」を象徴するみずがめ座に冥王星が入るなかで発覚した父の認知症。ある意味、星まわりを身に沁みて感じることにもなったのでした。

◯東京都認知症疾患医療センター一覧
https://www.fukushi1.metro.tokyo.lg.jp/zaishien/ninchishou_navi/torikumi/iryoucenter/ichiran/index.html

◯全国国もの忘れ外来一覧(東京都)
https://www.alzheimer.or.jp/?page_id=10108

→【記事の続き】「父の認知症から学んだ幸せの秘密」(4)父の介護認定は降りたものの、地域ごとに事情が違う!?こちらから。

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram  @satoko.nog

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