「カラコンなしじゃ生きていけない」現代女子高生の美意識とSNSが変えた美の基準
郊外に住む15歳の千紘は、憧れの渋谷の女子高に進学します。内部進学してきた同級生たちは大人っぽくおしゃれで、お小遣いやファミレスのバイトで買えるものだけでは、友達との差は広がってしまう……。そんな中、中学時代の友人がパパ活をしていると知り、千紘も専用アカウントを作ってパパ活を始めます。『娘がパパ活をしていました』(はちみつコミックエッセイ)では、もし娘がパパ活をしていたら、大人としてどう受け止めるべきか?を問う作品です。作者のグラハム子さんにお話を伺いました。
「美の基準」が厳しくなっている
——作品を拝読する中で、昔に比べて美の基準がものすごく厳しくなっているのを感じました。グラハム子さんは取材や制作を通してどう思いましたか?
美の基準については、私も本当に厳しくなっていると感じました。私が高校生の頃はまだSNSがなくて、綺麗な人に憧れるといっても、雑誌やテレビなど、自分とは距離が遠い憧れの存在でした。
今はSNSが普及して、モデルや芸能人と自分の中間にインフルエンサーがいて、憧れの存在がより身近に感じられるようになりました。情報量も膨大ですよね。高校生がデパコスで揃えることは難しいですが、代用品となるプチプラコスメの紹介やメイク動画も簡単に見られます。
雑誌でしか情報が得られなかった私の世代とは全然違いますし、過度に不安を煽るような広告も、ネットだからこそ直面しやすいのかなって思います。情報アクセスが容易になったことは良い側面があるものの、SNSの発達が美の基準をいろいろな側面から上げたんだろうなと思います。
——インフルエンサーたちが自分の使っているものを紹介すると、真似することのハードルも下がって、「やらなきゃいけないこと」も増えているように思いました。作中でも描かれていましたが、今はカラコンを使っている子も多いのですね。
取材に協力してくれた女子高校生たちは「カラコンなしじゃ生きていけない」くらいのことを言っていて。東京の学校に通う子たちだったのですが、世代の違いなのか、学校の校風もあるかもしれませんが、私の頃とは違うと思いました。
——取材の中で、美へのプレッシャーと経済的な限界の折り合いについての話はありましたか?
まだ折り合いを見つけている最中なのだと感じました。バイトをしたり、友達と遊ぶ頻度を調整したりして、自分が納得できるところを探している段階なのだと。
作品にも反映していますが、同じ学校に通っている友達同士でも、家庭環境によって、経済的な状況は異なります。バイトが週2~3回の子もいれば、夏休みには週6日バイトをして、スマホ代も自分で支払っている子もいる。
ある子は7万円するヘアアイロンが欲しかったそうですが、結局買うのをやめたと言っていました。長期休暇のバイトで頑張れば7万円くらいは稼げるものの、「長い目で見ると遊ぶお金もなくなるし、家に今使っているヘアアイロンもあるから」と考えたようです。
高いヘアアイロンを新しく買うよりも、友達と遊んだり貯金したりする方が良いと。はっきりと言語化はできなくても、話を聞いてる中で、自分の中で折り合いをつけていっている姿を感じました。
高校生たちは「専業主婦になりたい、お金持ちの人と結婚したい」という将来の夢があることも聞かせてくれました。
——「専業主婦になりたい」というのは、今はなりたくてもなれないものになりつつあるので、憧れとなっているのでしょうか?
今の30代40代の人は、お母さんが専業主婦やパート労働で、家にいた人も多くて、学生の頃には「働く女性がかっこいい」という価値観があったと思うのですが、女性がフルタイムで働くことも当たり前になりましたよね。外で稼ぎながら家のことをやって、せかせかした毎日を送るよりは、「余裕を持って家事育児に専念する主婦」がかっこいいと思うのかもしれませんね。
——私の母は専業主婦でしたが、経済的なことを理由に父親がふんぞり返っているのを見て、自分は経済力をつけたいと思いました。フルタイム共働きの両親が多い世代では、家庭内でそういう場面を見ることは少なくなっているのかもしれないですね。
私の母も専業主婦でした。父は家にあまりいなかったのですが、同居していた祖父が働いていて、「家庭内で一番偉い人」という扱いで、「男の人を立てるのが女性」というイメージがありました。今は母親も経済力を持つようになって、私の頃とは少し様子が変わってきているかもしれないですね。
メディアやSNSを通じて「キラキラしたセレブな専業主婦」を見る場面では、自分で稼ぐ力がないことのつらさは描かれないので、そういう点では、少し心配な気持ちにもなりました。
なぜ男女は互いを「ジャッジ」し合うのか
——SNSで息子さんの「メンズトーク」の話を掲載されていました。作中では、女の子が同世代の男子にジャッジされることによって、世間で容姿が整っていることがどう評価されるかを察する場面がありますが、周囲からの評価によって美へのプレッシャーが生じることについて思うことはありますか?
メンズトークとは、男性同士が繰り広げる攻撃的・競争的なコミュニケーションのことで、臨床社会学者の中村正先生が名付けられたそうです。
私自身も中学生のときに、じゃんけんで負けた男子が私に「かわいいね」と言って、それを見ている男子がゲラゲラ笑っているというゲームをされたことがありました。
ほかに印象に残っていることが、大学の体育の授業で、先生がランダムに女子に番号を割り振った後で、男子も適当に番号を割り振ってグループを決めるという単純なシステムでグループ分けをする場面があったのですが、ある男子が「よっしゃ」と言ったんです。「ここの女子みんな可愛いから、このグループに行きたかった」と。他の班の男子は「お前かわいそう」とか言い合っていて。
最初は正直「可愛い女子のくくりに入れられた」と嬉しく思いましたが、冷静に考えると「すごく失礼だな」って。体育にかわいさとか関係ないですし、男子はあらゆることでかわいさを基準に考えてるのかなって思いました。
でも男子だけではなく、女子もジャッジしていますよね。大学時代、本人の前であからさまにジャッジすることはなくても、女子同士で「○○君と付き合うとかありえない」「××君は無理」などと話して笑ったことは私もあります。
それどころか、口には出さなくても(あの子の眉毛ダサい)(服や持ち物がダサい)など、同性にも勝手にジャッジをしていました。本作でもパパ活をしてしまうきっかけとして、友達と同レベルになりたい、それ以上になりたいという美への欲や物欲を描いています。年頃になるとどうしても人の容姿や持ち物、ステータスをジャッジしてしまうのかもしれません。
——どちらにしろ、評価することが失礼ですよね。
若い頃はそういう他者からの評価に一喜一憂していましたし、自分の性格の悪さにも気づけなかった気がします。ただ息子が思春期になって同じような話をするようになって、背景を考えるようになりました。思春期になって急にこういう話をし始めたので、メンズトークは男らしさの押しつけによって生まれるもので、男同士のコミュニケーションの確認なのだと理解しました。失礼なことには変わりませんが、社会的要因もあるのだとわかったんです。
そういう他者を評価して自分の位置をたしかめる社会は男女関係なく、小さなコミュニティの中で、他者をジャッジすることによって、自分は強い、上の立場だと確認し合っている。人を品評できることの気分の良さもあると思います。息子には、「そういうことはやっちゃダメだよ、された側はすごく傷つくから」とは伝えたものの、なぜそういうことをしたくなるか、小学生はわかってやっていないので、伝えることの難しさも感じます。
※後編に続きます。
【プロフィール】
グラハム子
漫画家。小学生2児の母。
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