自死が身近な故郷のため生きると決意。バクティヨガ指導者ヒマギリさんが今10代へ伝えたいこと

 自死が身近な故郷のため生きると決意。バクティヨガ指導者ヒマギリさんが今10代へ伝えたいこと
腰塚安菜
腰塚安菜
2024-03-31

2017年からヨガスタジオ「藝 UeL」を主宰し、社会問題に特化して「バクティヨガ」を教え続ける瀧聖子さん/Ma Bhakti Hima Giri(マー・バクティ・ヒマギリ)さん。趣味程度だったヨガから、今では月に1500人の生徒を育てるまでのライフワークとなったきっかけは、故郷の秋田の自殺の多さや幼馴染を20代で自殺で亡くしたことにあったといいます。 デジタルネイティブや先輩世代へのインタビューを通して自由な生き方の選択肢を考える #私たちの自由な選択 。 今回は、東京・蔵前のUeL 藝 Tokyoとオンラインヨガで筆者がお世話になったことが契機となり、代表のヒマギリさんを訪ねました。

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生きるのに必死だった20代。故郷で身近な「自死」がヨガへの強い動機に

ヒマぎり

ーー「自殺率低下」「自殺予防」を掲げるヨガと伺った時、強い印象を受けました。ヨガにこの強いメッセージをこめたいきさつをお聞きしたいです。

マー・バクティ・ヒマギリさん(以下、ヒマギリさん):私が生まれ育った秋田は「自殺率」が高い県です。そんな秋田県で生まれ育った時点で、死はだいぶ身近でした。「自殺率低下を目的とするヨガ」を掲げた直接のきっかけは同級生の自死です。自死をした人が亡くなってから、残された遺族はとても苦しむことが多いです。私はそれを幼少期から見てきました。

そんな自分に起きた出来事のみならず、故郷の秋田では「この前、誰々が自死した」と話題になるほど、死が隣り合わせでした。自殺した知り合いも両手ほどの人数くらいいました。自殺率1位の県で育つと言うことは、そういうことです。

自分の問題で苦しんでいるのではなく、自分にはどうにもならない問題で苦しむこと。自死を選んだ本人が亡くなって終わりではなく、その後もその苦しみはその人を支えた周りの人へと続いていくこと。これが自分の故郷、秋田県の中で起きているんだと感じました。

ーー同じ日本の中で、そんなに死が隣り合わせという深刻な現実があることは、ヒマギリさんから初めて聞きました。他の都道府県に住んでいても他人事とは思えない深刻な現実です。

ヒマギリさん:その頃はリーマンショックで社会的にも自死が増えていて、秋田でもハローワークに人足が途絶えない状況でした。

秋田の自殺を止めるため、自分の仕事をつくろう。もしくは、学び場を。それが私に迫られた選択でした。

でも、とにかく当時の秋田は学ぶ場所がなかった。インターネットで世界とつながれる時代でもなかったので、地元にいても、仕事につながる道筋が見えなかったのです。

ーー故郷への課題感から、ヨガを自分の仕事にするまで、どのように過ごしていたのですか。

ヒマギリさん:秋田でのOL時代はほとんどの時間、会社と病院を往復し、親の介護をしていました。20代は夢を見る暇もないほど、生きるのに必死だったと、今振り返って思います。

親を見送って、30代でようやく「一人になった、これからは好きなことができる」と思えたので、秋田のために生きよう、そのために東京へ行こうと決意しました。とはいえ「秋田のために」と決意しても、しばらくは「自分に何が出来るのか」と向き合う日々が続きました。仕事をしながら勉強して、インドにも行きました。

「秋田のために私ができる何か」を考えていた時、それまで学んでいた心理学を活かすことも重視していましたが、もう一つ重視していたのは「大衆を相手にできること」でした。ですから、例えば、多くの人を相手にするよりも自分と向き合う時間が多いコーチングは、私が全うすべき役割とは違うかなと思いました。

では、なぜヨガだったのか。ヨガは、ヨガをした人の周りも幸せになっていく教えであり、技術であり、知恵だったんです。本当に良いヨギー(ヨガ行者)は本人だけではなく、その人の周りが幸せになっていきます。それがヨガの教えであり、私が生涯を通して伝えたいことのひとつです。

周りの人を不幸せにしてしまう自殺の問題と向き合っていたので、ヨガに行き着いた時「答えはこれが持っている」という感覚がありました。

ちょうど2015年頃、世の中はフィットネスブームで、ヨガといえばそんな印象もありましたが(UeL 藝で)「心の苦しみをとるヨガスタジオ」というコンセプトを掲げたら、意外にもすぐに広まって、軌道に乗りました。

ーー「心の苦しみをとる」というメッセージが、当時の社会的にもニーズがあったのですね。

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腰塚安菜

腰塚安菜

慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代から一般社団法人 ソーシャルプロダクツ普及推進協会で「ソーシャルプロダクツ・アワード」審査員を6年間務めた。 2016年よりSDGs、ESD、教育、文化多様性などをテーマにメディアに寄稿。2018年に気候変動に関する国際会議COP24を現地取材。 2021年以降はアフターコロナの健康や働き方、生活をテーマとした執筆に転向。次の海外取材復活を夢に、地域文化や韓国語・フランス語を学習中。コロナ後から少しずつ始めたヨガ歴は約3年。



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