これからも表現が私を自由にしてくれる。バレエダンサーから看護師へ。生きやすい場所へ向かう今の心境
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デジタルネイティブ時代の自分を大切にする生き方を考えるインタビュー企画 #私たちの自由な選択 。連載全体で若者の「自由な選択」を応援しています。 今回は表現することをこよなく愛し、24歳まで現役バレエダンサーとして国内外で入賞実績を持ち、看護師として働く31歳のこよみさんを取材。 「もっと自由な場所に行けるはず」という展望から、自由になりたい次世代へのメッセージをお伝えします。
ーー医療の現場に携わる若手を取材したいという思いが、ようやく叶いました。デジタルでも繋がり続けられるこの時代に、対面でしっかりお話が聞けること、嬉しく思います。
こよみさん:まさか自分にインタビューということで、初めはびっくりしました。でも、今の仕事場では自己表現できる場所がなく、何が出来るか模索していたので、こうして自分が記事になることも表現のひとつになったらいいなという思いで、私でよければと思いました。
ーーこよみさんはバレエダンサー時代が長かったとお聞きしています。今は看護師のお仕事をされていますが、10代、20代を振り返って、やはりバレエが最も大事なもの?
こよみさん:そうですね。取材を受けるにあたって、もう一度振り返るために、自分のバレエ歴を書き出してみたんです。近所にあったバレエ教室でバレエを習い始めたのが7歳の時です。東京のバレエ団で怪我をして引退した24歳まで、いろいろな場所で途切れなく踊っていました。
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バレエの競争社会で登り詰めた10代から20代。 怪我や病気にかかり続けても楽しかった
こよみさん:小学校6年生の時「もう少し真剣にやりたいな」と思い、自宅から1時間のところにある有名な大阪のバレエスクールに変えたことは転機でした。いじめがある噂も聞きましたが「バレエをしに行くんだからどうでもいい」と周りは見えないくらい没頭していましたね。
一方、だんだんバレエスクールを中心とした生活になって、家に帰るのが夜中の12時をまわる日もあり、朝も起きられなくなったんです。中学では、不登校気味にもなりました。
しんどい気持ちも全部バレエにぶつけていたかもしれません。
中学1年の頃に初めて大会で4位をとってから、入賞するようになりました。中学3年生の時「ユースアメリカグランプリ」大会本戦にニューヨークで出場し、18歳の時に「NBAバレエコンクール」コンテンポラリー部門で1位を取りました。
中学生までは怪我などせず、純粋にバレエを楽しんでいました。けれども、初めて怪我をした16歳の時から疲労骨折など怪我のループが始まって、大変な日々が始まりました。17歳の冬に初めて手術を受けて、1日8時間くらいかけてリハビリしていたんですが、その後もなんとか復帰して、バレエを続けていましたね。
ーーどんどん結果を出して、踊りたい思いはあるのに、辛かったですね。その頃、将来は海外でも踊る未来を描いていましたか?
こよみさん:はい。頭の中ではそんな自分を思い浮かべていましたが、怪我が治らなくって。
高校にはバレエ推薦で入学し、高校1年生の冬にイギリスのロイヤル・バレエスクールに留学もしました。せっかく留学したのに、そこでも怪我でほぼ踊れず見学ばかりで、気持ち的にもしんどかったです。
20歳でドイツ、22歳でスイスなど海外でのチャンスもありましたが、ビザや怪我によりうまくいかず、帰国して東京のバレエ団に入団しました。
実はその間、怪我の他にも心や体に不調を抱えながら続けていたんです。
ーー肉体的、精神的にしんどいことがあってもそんなに続けたのは、やっぱり「好き」だからこそだったのでしょうね。
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