【先輩の選択】ラジオDJ・ナレーター秀島史香さんがたどり着いた生きやすさの選択

 【先輩の選択】ラジオDJ・ナレーター秀島史香さんがたどり着いた生きやすさの選択
腰塚安菜
腰塚安菜
2024-07-26

デジタルネイティブ時代の自分を大切にする生き方を考えるインタビュー企画 #私たちの自由な選択 。連載全体で若者の「自由な選択」を応援しています。 今回は、ラジオDJ、ナレーターとして幅広く活動する秀島史香さんの選択に迫ります。

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——10代の頃、どのように過ごされたのでしょうか。今のお仕事に行き着いたきっかけとなる出来事はありましたか。

秀島史香さん(以下、秀島さん):10代前半は、いろいろな事に対して憧れを蓄えた時期でした。音楽ひとつとっても感動して、他にも本、漫画、映画……あらゆるものに興味をそそられて、10代の感受性で自分の中に取り込んでいった。そんな時期だったと思いますね。

思春期特有の悩ましい気持ちも経験しましたが、私の場合は、うまく気持ちを表現できないもどかしさが強くて。

逆に、何かを表現してうまく気持ちを伝えられると嬉しくて、自分の気持ちが盛り上がるということも当時から感じていました。

私は楽器をやっていたのですが、自分自身が受け手として感動するのと同じように、芸術を表現して、それを誰かに届ける人って素敵な仕事だなぁと思っていました。ミュージシャンも俳優さんも、楽しく番組を進行している司会の人も、みんなかっこいいなと思いながら。先生だって、生徒をジョークで笑わせたりして、何かを表現することで人を明るくしていますよね。何かを伝えて相手がハッピーになってくれると、自分まで嬉しくなる。将来そんな仕事をしたいなとぼんやりと思い描き始めていたと思います。

今の10代を生きる方にも......「あんな人みたいになりたいな」というお手本の存在をできる限りいろいろな分野に持っておくと、選択の幅を広げられて、人生の豊かさにもつながると伝えたいですね。「大好きな人」や「好き」を幅広く持つというのは、さまざまな方向から誰かが支えてくれること。そう考えるようにしています。

デビュー1年目。「怒られても楽しかった」記憶

——大学時代にDJオーディションに合格され、ラジオDJという進路を選ぶまで、どんなご経験をされましたか。

秀島さん:周りが就職活動を始めて、いよいよ進路を選ばなければならない、その時になってようやく「ラジオ、やっぱり大好きだな」と気づきました。

今は好きという気持ちがあれば、YouTubeやPodcastを始めよう!という選択肢もありますが、当時はオーディションに受かった人だけが声を届けられるというような時代でした。

大学在学中にDJオーディションに受かったのですが、それはスタートラインで、いきなり「3時間の番組をやってください」と言われても、当然ですが、最初からうまくできません。でも「この世界でやっていきたい!」という覚悟ができたのは、やはりラジオDJとして初めてレギュラー番組をいただいた頃だと思います。自分にとって「社会の中で身一つで働く」という強烈な体験で、凄く刺激的でした。

——ラジオDJとして駆け出しの頃、もちろん大変だったと思いますが、その中で印象的なエピソードはありますでしょうか?

秀島さん:ラジオDJへの決意が固まったのは、先ほどお話しした、1年間のレギュラー番組を頂いた頃でした。大学3年生から4年生の21歳の時、大阪のFM802の深夜番組を担当していた時代です。本当に全然しゃべれなくて、いっぱい怒られていましたね。

怒られると、不甲斐なさを感じて、帰りの電車では涙がこぼれたりも。でも、怒られていること自体にせつなくなったり傷ついたりしている場合ではなく、むしろ「言われていることを、次の時にはできるようになっていたい」と、そのチャレンジ自体、今まで人生で経験したことのない、高揚感のようなものを感じました。

担当番組は1年で終わってしまい、その後も続けられる保証はなくて「断崖絶壁」に立たされた状態ではあったんですけれどね。

「オーディションで何度落ちていても、ひとつ自分には番組が持てている。だから、入口には立てているんだ!」という自覚が心の支えになっていました。そして「やっぱりラジオっていいものだな」とも思い直せて、とても濃いデビュー1年目でした。

——たくさん怒られても、ラジオの世界が心から楽しかったんですね。

秀島さん:「ラジオって聴くのと話すのでは大違いだ!」とショックも受けましたが、飛び込んでみたら「思っていた以上に楽しいぞ!」というラジオの世界を知り、自分の「好き」がはっきりと見えた感覚でした。

その後、J-WAVEで「GROOVE LINE」をピストン西沢さんと担当した20代から30代。ラジオに対して「もっと自由でいいんだ」という見方もできるようになりましたが......一方で、ある程度DJとしてできることが増えて、自信もついてきたところで、また別の天井が開いて、わあ、上がまだまだあったんだ!...と、仕事の奥深さを痛感した時代でもありました。

そして、今、お話ししていて思うのは、一人だけで考えて、答えを出して、これが正しいと突き進んでしまう恐ろしさを知った頃でもあったなと。

番組を支えるスタッフさんに「それって真面目過ぎない?」と指摘をもらうなどして、また窓を開けてもらったような感じ。自分の風通しが良くなったと思いますね。

秀島文香
最新刊『なぜか聴きたくなる人の話し方』(朝日新聞出版)は秀島さんの朗読でオーディオブックでも展開中。

——協働する番組スタッフさんの教えが、これまでの秀島さんを支えているのですね。

秀島さん:番組スタッフさんだけでなく、視聴者の方からのフィードバックも、良い方向に持っていきたいなぁと全て大切に受け止めています。それは、これまでも今もですね。いくつになってもこれでいいということはなく、修正したいことは日々出てきますよ。

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腰塚安菜

腰塚安菜

慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代から一般社団法人 ソーシャルプロダクツ普及推進協会で「ソーシャルプロダクツ・アワード」審査員を6年間務めた。 2016年よりSDGs、ESD、教育、文化多様性などをテーマにメディアに寄稿。2018年に気候変動に関する国際会議COP24を現地取材。 2021年以降はアフターコロナの健康や働き方、生活をテーマとした執筆に転向。次の海外取材復活を夢に、地域文化や韓国語・フランス語を学習中。コロナ後から少しずつ始めたヨガ歴は約3年。



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