最近、働きすぎてない…?「過労とストレスのサイクル」を断ち切るヒント
私たち人間は頑張りすぎるとストレス、不安、疲労を感じやすくなります。しかし、一方で日々努力することができなければ、私たちは自分の可能性を実感することも決してないのかもしれません。ヨガティーチャーのティアス・リトルの最新書籍「The Practice is the Path」にはその中間点を見つける方法が紹介されています。更にバランスをうまくとれるようになるためのプラナヤマプラクティスも紹介されています。
仕事をしっかり遂行し、進化させようという意思は、アメリカ白人社会において長く、揺るぎない歴史を持っています。植民地を求めるヨーロッパ人たちが最初にアメリカ大陸に到着した時、ピルグリムのコミュニティは献身的に仕事に奮闘し、重労働を苦とせず、そして何よりも“善行”を推奨しました。当時、これは人々にやる気を起こさせる倫理でした。つまり、より勤勉で熱心に働く人が増えれば増えるほど、モラルコンパス(倫理基準)を神の意志に合わせることができるようになり、救いを達成する可能性が高くなるのです。彼らは懸命に働くことによって、個人的な運命やカルマに影響を与えられると考えていました。神は自分たちを介し、ピューリタンたちは神の意志を行使していると考えていたのです。
今日においても、人々は株式市場のポートフォリオ構築に懸命に励み、より大きな家を手に入れようとしたり、出世を目指そうとしたり、この信念は世の中にまん延しています。しかし、ヨガを理解するための探求は、まったく異なるものを必要とします。確かにある種の努力は必要ではありますが、カルバン主義の価値体系をヨガのプラクティスに適用しても悟りを達成することは期待できません。
“ハードワーカー”とは?
プロテスタント派の労働倫理の影響下で育ったり、ユダヤ教およびキリスト教の家庭で育ったりした私たちにとって、成功への動機づけとなる原動力を潜在的に持っています。この原動力は、人口の大部分に大きな影響を与え、人々の思考、信念、夢、そして目標をどう気づけています。ハードワーカーの場合、成功や失敗、獲得や喪失、良いことや悪いことは常につき物です。反省と熟考を重ねて静かな時を過ごし、ふと自分が頑張りすぎていることに気づくまではこの力がもたらす圧倒的な影響力には気づきません。
私のヨガのプラクティス人生の後半、内なるハードワーカーな自分の原点を振り返る貴重な時間を過ごしてきました。私の父は曽祖父同様、長老派教会の聖職者でした。私は教会のコミュニティに積極的に参加して育ってきたわけではありませんが、プロテスタント派の倫理観は確実に私の血の中を流れていました。私が最初にヨガを始めた時、目には見えない力が私を突き動かし、ヘッドスタンドとバックベンド(後屈)にチャレンジしたいと思いました。 私は人に認められたい、何かを獲得したいと必死だったとき、家族や文化的な背景による思い込みにとりつかれていました。この威力の歴史は長く、私の短い人生よりもずっと巨大な影響力を持っていました。そして、自分を突き動かす根本的な力を特定できるようになるまでには何年もかかりました。それには忍耐力、根気、真の信仰が必要でした。数え切れないほどこれらの質問を自分に投げかけました。:私は何に興味があるのだろうか?頑張り屋ってどんな人間のことを指すんだろうか?そして頑張り屋でいることで何が得られるのだろうか?それはまるで考古学の発掘のようであり、私個人の歴史が積み重なってできた層を選り分けるような作業です。考古学者が小さなつまみやコテ、ブラシを使って古代遺跡を発掘するように、深層心理を切り出すためには、入念で繊細な作業が必要となります。私は、熟考と洞察瞑想を通じ、何層にも及ぶカルマをふるいにかけました。そして私の魂の中の柔らかな砂の上に、希望、恐れ、憧れが痕跡を残しました。
「ハードワーカー」な自分を受け入れて統合する
古くから祖先や文化遺産が作り出してきたものが、私たち一人一人の皮膚や骨や肉にDNAのようにたくさん刻み込まれていると思います。私たちがヨガや気功などの東洋の慣習を初めて受け入れる時というのは、個人の歴史アーカイブ情報から脱却を試みます。プラクティスの前半は、見た目の格好から入り、専門用語を口にし、異国のエキゾチックな儀式を行います。そして、プラクティスの旅の後半は、自分のホームに立ち返り、自分が合意してきた自分の過去の歴史を紐解く必要があります。ハードワーカーな自分と向き合うというチャレンジは21世紀のジレンマに限ったことではありません。
八正道によれば、正しい努力のためには頑張りすぎないことが重要である一方、ナマケモノや冬眠中の動物のようになってもいけません。ブッダは過度に努力することの落とし穴をよく知っていました。そしてブッダは精神的な探求を始める時、極度の厳格さと自己処罰の試練を経験しました。彼はタパス(禁欲主義)を通じて自らの意志により、自らの体と心に打ち勝とうと試み、断食、プラナヤマ、ヨガを通して、彼は自己犠牲の瀬戸際に身を置きました。精神的にきついプラクティスに取り組み、それに耐えた後、彼はミドルウェイ(中庸)、つまりはどっぷりと感覚的な快楽に浸るのでもなく、激しく骨が折れるようなプラクティスをするのでもなく、ちょうど中間の状態を見出したのです。
マットの上であろうとなかろうと、1日のうちに正しい努力をするには、一瞬一瞬自分との交渉が必要です。私たちは自分自身に尋ねなければいけません。疲れすぎてないか?あまりに受け身の状態ではないか?適切な努力(もしくは、バランスの良い努力、というのが私は良いと考えています)とは、いちいち立ち止まって確認して前に進むような習慣ではありません。私たちは、運動、勉強、子育て、上司とコミュニケーション、皿洗いなど様々なことを実行する上でバランスを取りながら努力をしなければいけません。そしてヨガにおいては、すべてのポーズ、すべてのプラナヤマの呼吸、そして瞑想中に沸き起こる様々な思考を静めるため、適切な努力の中間点を模索する必要があります。
日常生活の中で適切な努力を実現することは、健康にとって非常に重要です。ヨガをしていないときでも、私たちは頑張りすぎるとストレス、不安、疲労を感じやすくなります。一方、努力不足で自らを活かしきれない場合、自らの可能性を実感できないかもしれません。巧みな行動とは、高い注意力とリラックス、そしてしなやかな強さと柔軟さの間の繊細なバランスを必要とします。適切な努力には、熱意、集中力、忍耐力、柔軟さが必要です。
適切な努力を通じて、私たちは自己中心的な状態では決して想像もできない人生の旅の一部へと足を踏み入れます。掴んで手に入れたい、こうなりたい、といったものはその領域には存在しません。心を空っぽにして意識を集中し、私たちは定義付けを避け、言葉で表現することができない今に集中します。それは不思議で柔軟な状態で、定義からは常に遠くかけ離れた状態です。広大で不思議なオープンスペースで満たされているかのようです。
中間点を探すためのプラナヤマ エクササイズ
このプラナヤマのプラクティスは、背骨全体が支えられるようにボルスターまたは折りたたんだブランケットを背中に敷き、床から10〜15cmの高さに横たわることから始めます。小さめのブランケットまたはタオルを頭の後ろに置き、頭蓋骨を上向きに支え、首よりも少し高くなるようにします。脊椎がボルスターの中心にあり、肺が正中線から横方向に広がっていることを確認してください。横になったら、体を完全に静止させ、呼吸の流れる動きを観察します。 最初は自然に呼吸し、呼吸の流れを自分と調和させましょう。喉の裏側を呼吸が通るとき、自分の呼吸の特性と一貫性を感じてください。数分間そのままを続けて、生まれ持った自分の呼吸の動きを観察します。
次に吸う呼吸に意識を傾けます。息を吸い込むとき、吸い込み途中、思い切り吸い込んだ状態を観察します。慎重に真剣に、積極的に息を吸い込みます。風船が空気で満たされるように、背中の肋骨の後ろ、両側、前に対して肺が広がるのを感じます。息を吸いながら、正しい努力をプラクティスしましょう。空気を最大限吸い込むことで貪欲になったり、力づくの状態になったりすることは避けましょう。これはプラナヤマの精神に反します。むしろ、背の高い草が風で曲げられ、風の流れに合わせて動くように、今そこにある空気に合わせて呼吸を行いましょう。正しい努力には耳を傾けることがとても重要です。プラナヤマをして疲れすぎると、肋間筋、横隔膜、肺と心臓の周りの内臓膜に負担がかかります。適切な量の力で拡張します。プラナヤマは故意の努力で行うべきではありません。
途中まで呼吸して、少しおポーズをとり、数秒間息を止めます。再び肺の上部に向かって呼吸します。ポーズの際、自分の意識が内側へと浸透していくのを受け入れましょう。内なる自分に浸ることができればできるほど、自分の呼吸を自由に解放できるでしょう。
次に吸う呼吸を2つのパートに分けます。肺の上部に達するまで呼吸する前に、最初に30%のキャパシティでポーズを取り、次にまた60%のキャパシティでポーズを取ります。肺を空気いっぱいに満たそうとするのではなく、呼吸する意思を持ちましょう。プラナヤマを通じて適切な努力、つまり、過剰な努力と過小な努力の間に存在する繊細な中間点を知りましょう。いつも通りの呼吸に戻る前に、このテクニックを10分間プラクティスしてください。座る前に数分間シャヴァーサナで横になります。
「The Practice is the Path」(著者:Tias Little 版元:Shambhala Publications、Inc. 出版年:2020)許可を得て転載。本記事は著書の内容を簡潔に編集してお届けしております。
教えてくれたのは…ティアス・リトルさん
ニューメキシコ州サンタフェ在住の認定マッサージセラピストでプラジュナヨガの創始者(prajnayoga.net)。ティアスさんは1984年にアイアンガーヨガの創始者B.K.S.アイアンガーの研究を始め、1989年にはインドのマイソールで生活し、パッタビ・ジョイスと共にアシュタンガ・ヴィニヤーサ・ヨガを学んだ。1998年にはセントジョンズカレッジ・サンタフェで東洋哲学の修士号を取得している。これまでに「The Thread of Breath」「Meditations on a Dewdrop」「Yoga of the Subtle Body」などの著書を出版。
ヨガジャーナルアメリカ版/「Are You a Striver? Yoga Can Help You Break Cycles of Overexertion and Stress」
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