ヨガの最後にシャヴァーサナを必ず行う理由

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ヨガの最後にシャヴァーサナを必ず行う理由

JOHN HANC
JOHN HANC
2017-12-25

亡骸のポーズと呼ばれる「シャヴァーサナ」。ヨガの最後に行うポーズだ。仰向けで横たわった状態の静かなこのポーズは、ヨガの中で絶対に欠かせないポーズでもある。シャヴァーサナを行うことで、身体、マインド、精神が調和されるだけでなく、自分が大きな存在の一部であることに気づかせてくれるだろう。『ニューヨークニューズデイ』のライターでもあるジョン・ハンクが、自らの体験とともに「シャヴァーサナ」について改めて考えた。

いま私は、温かさと暗闇に包まれている。身体は空気のように軽く、100万ドルの宝くじを当ててカリブのビーチにでもいるかのように、くつろいでリラックスしている。ひょっとしたら人工冬眠中の宇宙トラベラーになって、新太陽系に向かって光速で飛んでいる最中かもしれない。あるいは子宮の中の胎児にでもなったのだろうか。ただし、こうやってリラックスしながらも、それをうまく描写しようとしている自分自身を観察している感覚もかすかにある。

「それでは、吸う息に意識を戻していきましょう…」。この声―― 聞き覚えがある。おそるおそる片目を開けてみる。心地よい暗闇の川を漂っているのでも、はるか彼方の天の川で舞っているのでもなかった。ただじっと、ニューヨー ク州マサピーカのオーム・タラ・ヨガスタジオの床に横たわっているだけだった。

「準備ができたら、ゆっくりと身体を片側に倒して…今の感覚を観察しましょう…」。声の主は、マリア・ヤッケイ。木曜朝のクラスのヨガティーチャーだ。やがて6人のクラスメイトと私は、冴えと活力に満ちた状態で脚を組んでスカーサナ安楽座のポーズ)で座り、内なる聖なる存在に向かって頭を垂れる。「ナマステ」――そしてクラスは終わった。

プロップスを片付けていると、マリアが近づいてきた。「ジョン、シャヴァーサナが上達したわね」。私は2つのブロックを脚の上に落としそうになった。上達?シャヴァーサナが?死体の真似がうまくなっただって?「前はもっと落ち着かない様子だったわ」とマリアは言った。

たしかにそうだった。私はカフェイン漬けで、闘争心に満ちたエネルギッシュなニューヨーク男だ。その上、マラソン好きで、ジム中毒。落ち着けるわけがない。だからヨガが必要なのだ。7年間練習を続けてきて、まだうまくできないことはいろいろあるが――まあ、ほとんどすべてなのだが――少なくとも床で静かに寝ていることは別だろう。

「つまり」私は言った。「床で寝るのがうまくなったということ?」。マリアはため息をついて、 とがめるように私を見た。「シャヴァーサナは、ただ床で寝ているわけではないのよ」

どうか誤解しないでほしい。クラスの終わりのこの心地よい休憩は最高だ。だが、真剣にこのポーズについて考えるまでは、シャヴァーサナは、クラスが終わった途端にSUV車に乗り込み、近くのスターバックスに向かいながらメールを打ち始めるエリートサラリーマンやサッカーママたちを落ち着かせるように練習の最後に組み込まれた、ヨガ流の鎮静剤だと思っていた。

だがマリアの言うとおりだ。シャヴァーサナは単なる鎮静剤ではない。この伝統的なインドのヨガの練習は、意図的に休息するためのものだ。よく練られたシークエンスの後は、活性とリラクセーション、マインドの鎮静と集中を同時に味わう必要がある。シャヴァーサナを練習する間、意識が冴えた状態でマインドを静止できれば、その多大なる恩恵を享受する ことができる。

また、アーサナ練習の後、横になって休息することによって、ティーチャーたちがよく言う“現在”や“いま存在していること”を味わうことができる。それは、外的環境や体型、人格、行動を通じて意識できるものではなく、もっとシンプルなこと――つまり身体やマインドが日々の義務や喜びから一時的に離れて“死んだ”状態になっても、存在しているものだ。

Translated by Sachiko Matsunami
yoga Journal日本版Vol.25

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