【心が苦しいときに試したい5つの方法】不安を解消するためのヨガ哲学の教え

 【心が苦しいときに試したい5つの方法】不安を解消するためのヨガ哲学の教え
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ヨガ・スートラが教えてくれる「不安」について

長い間、私は不安が自分を特徴づけていると思っていた。しかし、自分イコール不安ではないということを最終的に認識させてくれたのは、ヨガを通じて知ったパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』であった。

初めて『ヨーガ・スートラ』を読んだとき、それまでの数十年間、私がセラピストを訪れて取り組んできたことと、どれほど多くの類似点があるかに驚かされた。パタンジャリは素晴らしい神秘主義者、学者、哲学者であっただけでなく、優れた心理学者でもあったようだ。

カナダの作家、学者、研究者、哲学教授であるシャム・ランガナサン博士もこれに同意している。「パタンジャリは精神分析のアイデアを発明した」と、ペンギン・クラシックスによる『ヨーガ・スートラ』の翻訳書を書いたランガナサンは述べる。具体的には、「現在の病理学は、過去の出来事に対する潜在意識の同一化の機能である」という考えだ。

ジャンヌ・ヘイリーマンは16年以上にわたり、200時間と300時間のヨガ・ティーチャー・トレーニングでスートラのテキストを指導している。セラピーを受ける余裕がなかった新米インストラクターの頃、ふとした拍子に本を開いて、ガイダンスとなるスートラを探していたことを思い出した。ヘイリーマンは現在、必要に迫られてセラピーを受けているが、その一方で写経が日々の心の支えになっている。

本当の自分と不安

ヨガ・スートラのおかげで、不安になることと不安を持つことは、まったく違うことだと理解することができた。私が不安を抱えていても、それは私を定義付けるものではない。ヨギの観点からすると、「私は不安だ」というように「私」という言葉を使うことで、私は自分自身をエゴの偽りの自己の限界に閉じ込め、救済への道を妨げていたのである。私は不安ではない、なぜなら私は自分の思考ではないからだ。

シンプルに自分の言葉を変え、「私は不安を抱えている」と言い、そう信じることで、不安は自分のプラクリティ(自然の表現)の多くの側面の1つに過ぎないことがわかる。私の不安は、私が誰であるかを示すタペストリー全体を構成する小さな糸ではあるものの、私が何者かということを示すものではない。

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Photo: merrymoonmary

自分の不安は、偽りの自分、つまりエゴと呼ばれるものの表現でもある。ヨーガ・スートラで「自我」について語るとき、それは誰かの自慢話のような意味ではなく、単に自分が誰であるか(そして何を「良い」「悪い」とみなすか)についての識別を意味する。ヨガ・スートラはまた、私たちに思い出させてくれる。「教えてくれる」とは言いたくない。だって、私たちは自分の中に、不変であり、完璧であり、永遠である部分があるという真実をすでに知っているから。

これが私たちの真の自己だ。これはプルシャとも呼ばれている。今世でどれだけ多くのレッテルを貼られたとしても(例:私は女性、私は母親、私はヨガティーチャー、私は良い人)、その下には変化のない完全な自分がいる。

このような観点から、ヨーガ・スートラは、私たちの苦しみの多くが偽りの自分(エゴ)によって引き起こされていると捉えている。ランガナサン博士は、「メンタリティ自体がエゴイズムによって構築されており、エゴイズムとは、自己と(自分の)展望を混同することである」と説明している。言い換えれば、「自分は自分の考えである」と考え、自分のラベルで自分を定義することは、自分の可能性を狭めるだけでなく、自分自身を苦しめることになるのだ。

「自分は一つのものではない」という自分の真実を見極めることで、私たちはその制限から解放される。熟練した心理学者であったパタンジャリは、苦しみの原因を明らかにしただけでなく、ランガナサン博士が説明するように、「これらのサンスカーラ(過去の出来事)の起源にたどり着き、その構造を捨て去る」という明確な治癒への道を示している。

そして私たちは、少なくとも部分的には、肉体的ではないヨガの教えを通して、これを行うことができるのである。私が特に参考にしているのは、「ヤマ」だ。これらはパタンジャリの八肢の道の一段階目を構成している。(パタンジャリの八肢の道のうち、一段階目はアーサナに関連するものだ(アーサナとは、実際に身体を使ってヨガを実践すること)。)

ヤマは倫理的な拘束と定義される。ヤマの多くはサンスクリット語で「非」を意味する「a」で始まるが、ヘイリーマンは、単なる「やってはいけないこと」のリストではないと解釈している。様々な翻訳を研究してきた彼女は、「言葉の前の "a "は、その言葉がしていることをしていないこと。二重のマイナスがプラスになるようなものです」と考察する。

例えば、最初のヤマは「アヒムサ」(非暴力)だ。多くの人はこの言葉を「暴力を振るってはいけない」という意味に解釈するが、ヘイリーマンは「暴力から離れる」というよりも「優しさに向かう」と解釈する。また、3つ目のヤマは「アステヤ」(盗みをしない)である。ヘイリーマンは、これは「我々のものを取らない」というよりも、「寛大さ」に向かうものだと述べている。不安から解放されたのは、世界の見方や自分への接し方にヤマを適用したからである。

今でも定期的にセラピーに通い、薬を飲むこともあるものの、『ヨーガ・スートラ』は、他人のソファでは得られないような安らぎや安心感を得るために役立っている。

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By SARAH EZRIN
Translated by Hanae Yamaguchi

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ヨガジャーナルアメリカ版

ヨガジャーナルアメリカ版

全米で発行部数35万部を超える世界No.1のヨガ&ライフスタイル誌。「ヨガの歴史と伝統に敬意を払い、最新の科学的知識に基づいた上質な記事を提供する」という理念のもと、1975年にサンフランシスコで創刊。以来一貫してヨガによる心身の健康と幸せな生き方を提案し続けている。



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