起源は4500年前。黒魔術と言われた「ヨガ」の語源とルーツを振り返る

 起源は4500年前。黒魔術と言われた「ヨガ」の語源とルーツを振り返る
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アーサナ=ポーズの出現

ヨーガスートラ』が書かれたおよそ600年後、新しいスタイルのハタヨガが現れた。

この新しいヨガでは、身体を液体と気体を密封する装置に例え、マインドを鎮めて意識を高めるように操作するものと捉えている。決められたポーズ(アーサナ)と呼吸のコントロール(プラーナヤーマ)を実践するのは、ヨギの生命エネルギーをチャクラと呼ばれる一連のエネルギーポイントに沿ってあたためながら上昇させ、不朽の超自然な力(シッディ)に変容させるためだ。

それらのアーサナは、最終的にはヨガを描写するものとして、西欧の現代の練習生たちに定着することになった。『バガヴァッドギーター』にも『ヨーガスートラ』にもアーサナの記述はあるものの、ポーズの詳細な説明を含むインド文学が登場するのは10世紀に入ってからだ。その後15世紀までにハタヨガの流派において84のアーサナが体系化された。

西欧でヨガが発展、現在に至る

1893年にシカゴで開催された万国博覧会では、主要イベントの一つとして万国宗教会議が行われた。この会議には世界中から様々な宗教の代表者たちが集まり、アメリカのキリスト教信者たちは初めて触れるアジアの諸宗教に深い関心を寄せた。ヒンズー教の代表として参加したスワミ・ヴィヴェーカーナンダ氏は、インドではヒンズー教復興運動に尽力する指導者として知られ、彼の演説は会議で最も人気を博した。その後ヴィヴェーカーナンダは、ヒンズー教と彼独自の『ヨーガスートラ』の解釈についての講演を10年に渡りアメリカ全土で行った。

彼はアーサナプラーナヤーマにはさほど触れなかったものの、彼が死去する1902年までには「ヨガ」の単語がアメリカの辞書にも載るまでになった。1924年から1965年にかけては、新移民法の厳しい規制により、多くのヒンズー教指導者、ヨギ、グルたちがアメリカへの入国を阻まれた。その間にハタヨガは、インドラ・デヴィやテオス・カシミール・バーナードなどの西洋人のヨギたちによってアメリカに紹介された。二人はインドでヨガを学び、1947年からアメリカでヨガを教え始めた。

60年代後半から70年代初頭にかけては、移民法の規制緩和と実験的な若者文化が相まって、インド人の霊的指導者たちが相次いで渡米した。その中には多大な影響を与えたハタヨガのB.K.S.アイアンガー氏やビクラム・チョードリー氏などもいた。80年代にはヨガスタジオが次々とオープンし、21世紀に入るとたくさんの新しい流派が台頭し始めた。だがこれらはヨガの長い歴史のほんの一部にすぎない。他のすべての言葉と同様に、「ヨガ」の概念も時を経て変わっていく。結局言葉とは、心の作用と同じようなものなのだ。

教えてくれたのは…エリック・デントン
宗教学教授。ホノルルのカピオラニ・コミュニティーカレッジで世界の諸宗教、イスラム教、インド宗教について教鞭をとっている。現在は主にアメリカ史上の多様な宗教について研究を行っている。

ヨガハワイマガジン版/「Yoga: The History of a Word

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by Eric Denton
Translation by Sachiko Matsunami



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