「一人ひとりの満足度を追い求めてきた」|浅野佑介さんの転身ストーリー
生徒さんから圧倒的な支持を集め、メディアやイベントでもひっぱりだこのヨガ講師たち。そんな彼らに共通しているのは、「セカンドキャリア」としてヨガ講師を選んでいるということ。彼らの転身までの背景を知ることは、「どうしてヨガ講師として成功できたのか」に結びついているに違いない、そんな思いからスタートした企画。異業種からヨガ講師へ転身した彼らの、決意、行動、思いから、「本当に良いティーチャーとは」という講師の素質にも迫ります。
♯CASE10「スポーツ用品販売員」からの転身ストーリー
20代で様々な職業を経験し、夢中になれる仕事を探していた浅野佑介さん。キャリアアップを重ねて辿り着いたのが、「ヨガ講師」。自分らしく咲きヨガを教える姿は眩しく、温和な人柄と確かな指導力で人気は留まるところを知りません。つまずきと成功が入り混じる浅野さんのキャリアを辿りながら、リピーターが絶えない指導法の原点を探ってみました。
――ヨガ講師になる前は、どんな職業をしていたのですか?
新卒で自動車ディーラーの仕事に就き、その後スポーツ用品の販売員、デイサービススタッフ、ジムトレーナー……。20代は本当にいろいろ経験しました(笑)。自動車ディーラーの頃は3ヵ月間売上ゼロ、営業成績は万年最下位でした。実は車にそれほど興味がなくて、知識を深める情熱もなかった。お客様に質問されても答えられず、当然の成績ですよね。次は好きを仕事にしようと思い、行き着いたのが子どもの頃から親しんできた「スポーツ」でした。販売員として地元・茨城のスポーツ用品店に就職すると、好きこそものの上手なれでほとんどの商品を自分で試していましたね。だからお客様に何を聞かれても答えられ、僕なりの接客で気付けばトップ販売員になっていました。ヨガ講師になった今も当時の接客姿勢がベースにあり、もちろん他の仕事で得た経験もすべてヨガ講師の糧になっていると思います。
――ヨガとの出会い、そしてヨガ講師転身のきっかけを教えてください。
僕の場合、サーフィンで腰にケガを負い、リハビリにヨガを取り入れたのが始まりでした。ヨガのおかげで体が楽になり、日常的にポーズを練習するようになったんです。腰は良くなったのですが、今度はサーフィンで鼓膜が破れてしまい、しばらく波に乗れなくなってしまった。そんな時、ちょうど指導者養成コースの広告が目に留まり、サーフィンができない間にヨガを学んでみようと思ったんです。茨城のヨガスクールで資格を取り、卒業のタイミングでヨガ講師を募集していたデイサービスに就職。そこではオリジナルプログラムを作成し、要介護・要支援の方にヨガを教えていました。そのうち管理職のポジションを任され始め、現場でヨガを教えたいというジレンマによってフリーのヨガ講師として独立を決めました。
――フリーランスのヨガ講師になり、どんな一歩を踏み出しましたか?
茨城を離れず、地元でいろいろなクラスを自主開催していました。ちなみに、女性サーファーのためのヨガレッスンは集客ゼロ(笑)。レギュラークラスは3名からスタートし、けっして順風満帆とはいきませんでした。だからといって落ち込むことはなかった。少人数の方が全員に目が行き届き精度の高いクラスが作れると思ったから。でも、貯金は着実に減っていくわけです(笑)。バイトをしようか迷ったこともありましたが、ヨガを伝えたくて前職を辞めたことを思い出し、ヨガ以外はやらないと決めた。時間があるのは学びのチャンスと、前向きに捉えていましたね。
――先ほど伺った、ヨガ指導にも通じている販売員時代の接客姿勢とは?それはブレイクのきっかけにもつながりますか?
ヨガ講師になりたての頃は、クラスのために台本を作り一字一句その通りに進め、一方通行でした。個々と向き合うには程遠かった。だから生徒さんは集まらず、その失敗から販売員時代にやっていた対話を通して満足度を追求する接客姿勢に立ち返ったんです。僕の販売スタイルは、たとえばランニングシューズを買いに来た人の足の癖を知るため、仕事や生活スタイルまでヒアリングしていました。『すべてはお客様のために』という会社の理念を無意識のうちに実践していた感じ。そのうち「浅野さんいますか」と指名のリピート客が増え、ついには社内の接客コンテストで優勝してしまったんです。ヨガ指導では、レッスン前に全員のコンディションを聞いて複数のアレンジポーズを提案し、最適なポーズ法を生徒自身が選べるようにしたんですね。個々に配慮したレッスンは満足度が高いと喜ばれました。次第に口コミで生徒さんが増え、3名だったクラスが20名になりリピート率も上がっていきました。
クラス作りのモットーは、自分がけがでヨガを始めたので、痛みがある人も全員が楽しめること。それは今も変わっていません。自分に合うポーズ法を選べるクラスで、「自発的に動く力と自立する力」を生徒さんに身に付けてほしい。僕は立場的に先生と呼ばれるけど、自分の考えを押し付けたくないし、上から目線で接しないようにしています。「自分の生徒」という言い方も好きじゃないですね。だって、生徒さんは先生の所有物ではないと思うから。生徒さん一人ひとりの意思や個性を尊重し、全員が満足するクラス作りをこれからも続けていきたいです。
――アレンジポーズの引き出しの多さは、どこで培ったスキルですか?
それは、デイサービスで要介護・要支援の方にヨガを教えていたおかげ。施設の利用者は、重度の腰痛や半身麻痺を抱えた方など、体に何かしら不具合があるため用意したプログラムができないことも。だからその場でポーズを変えたり、シークエンスを修正したり、この時の経験によって即興力が磨かれました。それと、やる気を高めるためにポーズの目的と効果を明確に伝えるようにしていました。たとえば、「階段の上り下りに向けて、下半身の筋肉を強化しましょう!」と。今も目的・内容・効果が伝わるレッスンのネーミング、レッスン中の説明を心掛け、生徒さんにピンとくるクラス作りをしています。
――地元・茨城からスタートし、今では県外での指導機会も増えていると思います。浅野さんの活動が全国区になったきっかけとは?
きっかけの一つは2015年、ヨガのビッグイベント「ヨガフェスタ横浜」への出演です。あのステージから見える景色を味わいたい。そう思って受けた講師オーディションに合格できました。このイベントで50人越えのクラスを担当したことは、指導者としての自信につながっています。そして、出演を機に僕の名前を広く知っていただき、県外のクラスやイベント出演が急増。フリーのヨガ講師になったときから、全国で活動し多くの人の健康作りをサポートしたいと夢が叶うことに。当面の目標は、ヨガ講師が少ない地方にこそ出向き、ヨガを伝えることです。
――全国でヨガを指導する忙しい日々の中、ヨガ講師として成長するためにどんな努力を続けていますか?
尊敬する先生のクラスに参加し、自分が「生徒」になることを今も欠かしません。学ぶ側に立つとクラスに何を求めているのか生徒の気持ちが理解でき、指導スタイルを見つめ直す機会にもなります。僕の指導スタイルは、これから変わっていくと思いますよ。年齢を重ね体と心が変化すれば、伝えたいヨガが変わるのは当然かなと。生徒さんが支持してくれる指導スタイルや、クラスの内容を変えるのは勇気が必要です。でも、自分の中の変化を寛容に受け入れ、成長のきっかけにしていけたら。そのためにも、時間が許す限り他の先生方から学びを続けて自分にないものを吸収していきたいです。
――最後に、ヨガインストラクターを目指している方たちにメッセージをお願いします。
ヨガ講師になり自分らしさに迷ったときは、人生経験やヨガで得た恩恵をもとに「伝えたいヨガ」を追求しましょう。クラスをこなすだけでなく、見つける意識を持つことが大事。そして人生経験とは、年齢に関わらず物事に真剣に向き合う人ほど深まるものです。
浅野佑介さん
ヨガインストラクター。FIRSTSHIPなど大手ヨガスクールで定期レッスンを持つ他、地元茨城を中心に全国のヨガイベント、都内でのレギュラーレッスンなど幅広く活動している。フィットネスジムのトレーナー経験を活かす、トレーニング系ヨガやメンズヨガクラスも好評。また、DVD『はじめてのメンズヨガ』を発売、著書『心と身体が生まれ変わる男のヨガ』(ナツメ社)も出版している。
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