【人生の階段を優雅に進むために】76歳心理学者に学ぶ「幸せな晩年を過ごすためのヨガセラピー」

 【人生の階段を優雅に進むために】76歳心理学者に学ぶ「幸せな晩年を過ごすためのヨガセラピー」
Tamara Y. Jeffries
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グリハスタ:家住期(かじゅうき)

あの日、パーカーに夫から離れるように告げた声は、次に何をすべきかも鮮明な言葉で伝えてきた。「君は離婚しなければならない。学校に戻って、自分の人生を進めていかなければならない」。その声はこう告げたという。 
「でも、逃げ出すことさえできなかったの」。虐待を受けている人にとって、それは不可能に近く、危険な場合すらある。「だから、家を出る方法を戦略的に計画しなければならなかったのよ」。パーカーは大学院に出願し、見事進学を果たした。また、離婚することが簡単ではなかった時代だったが、パーカーの事情を裁判所に訴えてくれる弁護士も探し出した。そうして、パーカーはワンルームの物件を借りるに至った。「そうやってようやくあらゆるものに背を向けて歩き出すことができたの」とパーカーは話す。

パーカーは1976年に心理学で博士号を取得した。その後は最終的に、カウンセラーとして開業した。人間関係の問題や生存に関わる危機に直面する人、あるいは成長するために指導を必要としている人を支援している。その過程で、素敵な医師との間に新たな愛も生まれた。
パーカーはその後も90年代までは自宅でヨガを続けていた。90年代に入ると、各地にヨガスタジオが現われた。「ヨガスタジオを発見した時は、どれほどうれしかったことか」とパーカーは回想する。パーカーはまずアシュタンガヨガを、次にアヌサラヨガを学んだ。
最近こそ、心理療法とヨガと科学と精神性の深いつながりについて雄弁に語っているパーカーだが、カウンセラーとして働き始めた当初は、それぞれを分けて捉えていた。 
「クライアントにヨガのポーズを指導することはなかったわ。自分の仕事に必要だとは思っていなかったの。でも、呼吸が浅くなっている人にはどうしたら呼吸を深められるか教えてあげたのよ。私はヨガの知識を使って、クライアントの自己認識を高める手助けをしていたのね」

パーカーがヨガの指導者養成講座を受けようと考えたのは50代の時だった。単に教えるというよりもヨガの実践についてさらに深く学ぶためだった。パーカーはここでリストラティブヨガを学んだ。それによって、パーカーのカウンセラーとしての部分とヨガの部分がさらに密接につながるようになった。「リストラティブヨガをすると、ある時点で自分の深い部分に入っていき、自分という存在は外面に纏っているものよりはるかに大きなものであることを認識し始めるの」とパーカーは話す。
パーカーのクライアントの多くは、社会から取り残された環境にいるために感じるストレスを抑えこもうとしていた。公衆衛生の専門家は最近になって、人種差別が黒人や先住民の体と心の健康に影響を及ぼすことを認めるようになったが、パーカーはこのことを早い段階で理解していた。クライアントに接して日々目の当たりにしていたからだ。また、パーカー自身もこのストレスを感じたことがあった。その典型ともいえる経験がこれだ。パーカーは黒人女性を対象にしたバージニア州の全寮制エリート校に通ったのちに大学に進学したため、大学の人種差別廃止運動の担当に指名されたのだ。「私は寮に入った最初の黒人だったの。キャンパスでも唯一の黒人の女子学生だったのよ」。パーカーが出身大学の名を口にすることは滅多にない。大学で孤立していた経験があまりに辛かったからだ。「惨めな4年間だったわ」

リストラティブヨガは人種や感情に由来する心の傷を癒す手法となった。パーカーは現在、ヨガセラピーの講座を受講した生徒たちをはじめ、「ヨガセラピーシンポジウム」(SYTAR)に参加した仲間や「ブラックヨガティーチャーズ連合」(BYTA)の会議の講師などに、できるかぎり自分の知識を伝えている。
BYTAの共同創設者であるジャナ・ロングとマヤ・ブリューワーのふたりは、パーカーを彼らのBYTAに招き入れて、「Yoga as a Peace Practice」(平和の実践としてのヨガ)のカリキュラム作成を依頼した。「Yoga as a Peace Practice」とは地域社会で受けた暴力の影響やトラウマからの回復を目指すプログラムだ。「社会的改革を目指して意図的に行動をとるのはとてもきついことなの。リストラティブヨガで健康を保たなければ、やっていけないわ」とパーカーは話す。パーカーは今、自分の役割は前線で戦う戦士ではなく、そのような戦士たちを支援することだと考えている。

幸せな晩年を過ごすためのヨガセラピー
photo by  Nolwen Cifuentes

ヴァーナプラスタ:林棲期(りんじゅうき)

2015年に下水が氾濫して事務所が使えなくなり、パーカーはカウンセラーの廃業を考え始めた。結局、それがカウンセラーを辞める決断を促すひと押しとなったが、パーカーは現在も以前と同じく多忙な日々を送っている。
パーカーは現在、BYTAの理事長を務めているなか、執筆した自著が大きな反響を呼んでおり、ヨガによって人種に由来するストレスとトラウマを軽減する方法についても執筆することを計画している。また、ヨガを教えている人たちには変わらず指導や助言を提供し続けている。
「Yoga 2 Sleep」の創設者パメラ・ストークス・エッグルストンは「ゲイル・パーカー博士は偉大なメンターです」と評している。エッグルストンが「ヨガサービス審議会」の共同事務局長に就任した時に、その大役を務められるようパーカーが導いてくれたという。「実に賢明で的確な助言をいただきました」とエッグルストンは話している。

サンニャーサ:遊行期(ゆぎょうき)

パーカーは最近では、現夫とともにミシガン州とカリフォルニア州を往復しながら生活している。パーカーは今、うらやましいかぎりの状況にある。素晴らしい健康に恵まれ、揺るぎない愛情を受け、多方面で尊敬されており、声高に自己主張する必要などないのだ。パーカーはそのように恵まれた立場にいるからこそ仕事を入念に選んで、瞑想する時間や、今の境遇に至ることができた要因や偶然巡り合った幸運について考える時間をつくっている。

高齢者差別はパーカーにとって実際に存存する腹立たしい問題だが、パーカー自身は健康に長生きすることによって得られる恩恵を広い視野から捉えている。「私は自分が高齢者世代のロールモデルであると気づいたの。年齢を重ねるとどう見えて、どういう感じがして、どういう状態になるかは、身体的なことだけではないの。円熟することを受け入れ、容認し、大切にするということを示すロールモデルなのよ」
年齢を重ねていくことは、ヨガと同じように、バランスをとることと深く関わっている。パーカーの場合、このバランスとは(肩への負担が大きすぎる)チャトランガを日々の練習からはずすことを受け入れる一方で、今でも遊び心をもって積極的にヨガができることを指している。

パーカーは最後にこう話した。「75歳といえばかなりの高齢よね。私はね、年を重ねるにつれて自分らしくなっていくのがわかるの。それがこの年齢の素晴らしい点ね。人は年齢を重ねながら本当の自分に近づき続けていくのよ」

回復と再生

ゲイル・パーカーは休息やリラクセーションには治癒力があると考えている。「自分が何もしていないからといって、何も起きていないわけではないの」とパーカーは話す。「自分の体を信頼して、どうやったら体がきちんと機能してバランスを取り戻せるか感じ取りましょう。私たちの体は神経系が弛緩しているかぎり、自己回復力を持つ有機体なのよ」

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by Tamara Y. Jeffries
photos by Nolwen Cifuentes
translation by Setsuko Mori
yoga Journal日本版Vol.76掲載

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