【人生の階段を優雅に進むために】76歳心理学者に学ぶ「幸せな晩年を過ごすためのヨガセラピー」
ヨガジャーナルアメリカ版の人気記事を厳選紹介!心理学者で自著が評判を呼んでおり、ヨガセラピストとしても活躍するゲイル・パーカーのヨガの旅は、人生の段階を一つひとつ優雅に受け入れることを学ぶ道のりである。
2017年春のあの日、ニューヨーク州ラインベックは天候に恵まれてほっとするような暖かさだった。私は同僚とふたりで、心身一体的な癒しを行っているオメガインスティチュートを訪れていた。そこで開催される「ヨガサービス審議会会議」(Yoga Service Council Conference) に出席するためだ。参加者はヨガの世界の著名人たちばかり。私たちはスターに囲まれた無名の学者だった。
そこにひとりの女性がふわっと軽い足取りで入ってきた。その瞬間、他の人の存在がすっかりかすんでしまった。女性を取り巻くあらゆるものが光でできているように見えた。女性は雲のような色の柔らかい布を何層にも重ねて身に纏っていて、短く切り揃えられた銀色の巻き毛によく合っていた。肌は内側から輝いているようだった。女性が話した内容は思い出せないが、とにかく威厳ある雰囲気を醸し出していた。その時は反射的に、「あれは誰だろう」、「私もあんなふうになりたい」と思う以外何も考えられなかった。
その女性はゲイル・パーカー博士。臨床心理療法士であると同時に、正式な資格を有したヨガセラピストであり、瞑想のコーチであり、ヨガ講師でもある。ヨガの世界では、敬意を込めて「ゲイル博士」と呼ばれている。このように尊敬されているのも当然のことだ。数十年にわたるキャリアのなかで、複数の大学の医学部で教授職についていたほか、テレビのトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」に心理学の専門家として出演してきた。これまで数えられないほどの講演やヨガのクラス、研修を行ってきている。
ゲイル博士は長年ヨガを研究する学者として、アーシュラマ(4住期しじゅうき)の概念をよく理解している。人は誰でも人生で4つの段階を通過していくとする考え方で、具体的には学ぶべき学生期(がくしょうき)、家庭をつくる家住期(かじゅうき)、隠居すべき林棲期(りんじゅうき)、定住せずに放浪して死を待つ遊行期(ゆぎょうき)がある。ヒンドゥー教の文化では、人は各段階を受け入れて、それを精一杯生き、次の段階に優雅に移っていく。ゲイル博士は「ヨガサービス審議会会議」が開催された時点で既に心理療法のカウンセラーを辞めて、全面的にヨガ講師とメンターとなっており、心理学の手法とヨガの経験を組み合わせながら、ヨガセラピーの方法と科学的知識を指導することに専心していた。
ゲイル博士はこの時、自分がさらに飛躍を遂げることになるとは思わなかっただろう。自著『Restorative Yoga for Ethnic and Race-Based Stress and Trauma(民族および人種によるストレスとトラウマを解消するリストラティブヨガ)』(未邦訳)が2020年に出版されたのだ。それはまさに、世界がこの問題に関する知恵を切実に必要としていた時であった。また、同年、その本が出版される前に、「黒人ヨガティーチャーズ連合」(Black Yoga Teachers Alliance:BYTA ) の理事長の職も新たに引き受けており、精力的に活動したのだった。
ゲイル博士は現在75歳。自らの研究と経験を通じて蓄積してきた人生の教訓を人々に伝えるのに適任である。今のような困難な時期には、知恵があり、感性が豊かで思いやりのある人、ひとことで言えばまさにゲイル博士のような人の話を誰もが聞きたくてうずうずしている。
ブラフマチャリア:学生期(がくしょうき)
ゲイル・パーカーのヨガの旅は、デトロイト美術館で始まった。「そもそも、どういう経緯で最初のヨガのクラスに巡り会ったのかわからないのよ」と、パーカーは話す。1968年、あのデトロイトの暴動がアメリカを根幹から揺るがした翌年のことだった。パーカーは22歳、大学を卒業して少し前に結婚しており、社会的対立の熱気が未だ冷めやらず、「長く熱い夏」の人種問題がくすぶっていたデトロイトで社会福祉のケースワーカーとして働いていた。
「当時はヨガスタジオなんてなかったわ」。ヨガマット、ヨガパンツ、ヨガのポッドキャストや音楽のプレイリスト、YouTubeチャンネル……そのようなものは何もない時代だった。パーカーは20名ほどの受講生と一緒にTシャツにジーンズという姿でハタヨガのポーズを練習するためにデトロイト美術館に通った。「ブラック先生という男性にヨガを習ったの。先生は黒のスーツを着てネクタイも結んで教えていたのよ」。パーカーはブラック先生が写っているセピア色の写真を見せてくれた。髪をきれいに整えて清潔な白いシャツを着たブラック先生は、ヨギというより銀行の支店長のように見えた。
それから数年後、パーカーはブラック先生がパラマハンサ・ヨガナンダに直接教えを受けた弟子であったことを知った。「私はヨガの大家にヨガの世界へ導かれたのね」
パーカーはブラック先生のクラスに熱心に参加した。先生が1週間の瞑想の講座を行ったときにはそれにも参加した。ヨガ哲学の学びを深めるために、『あるヨギの自叙伝』のコピーが配られたこともあった。「読もうとしたけれど、頭に入らなかった。若すぎたのね」とパーカーは当時を振り返る。
毎週欠かさずクラスに通っていたのは、ヨガをすると安らぎや幸福感を覚えたからだったとパーカーは言う。クラスが終わると、妻として、そして多忙なケースワーカーとして働いた。シングルマザーや仕事を必死に見つけようとしている人々をはじめ、貧しい人を貧困から救い出すようにはつくられていないシステムのなかで身動きが取れなくなっている人たちを助けたい一心だった。
一日が終わって帰宅した先に待っていたのは、身体的虐待を加えてくる夫だった。似たような境遇にある大半の人と同じように、パーカーもこのことを隠していた。さまざまな口実をつくって誰にも打ち明けなかったのだ。
ある日、夫から激しい言葉の攻撃を受けている最中に、鮮明な声が聞こえてきたという。「君は彼に問題があることを承知しているね。でも、君にも問題がある。それを我慢しているのだから」。この瞬間、パーカーのなかで何かが変わった。この日パーカーはひと言も発しなかったが、どういうわけか夫は殴ってこなかった。そして、それ以降、二度とパーカーに手を上げなくなった。パーカーの意思は固まった。そして、しばらくしてパーカーはその家を去った。人生のひとつの段階がそこで終わった。
「あの瞬間、被害者意識から抜け出て、自分には行動を選ぶ能力があることを悟ったの。自分の力を手に入れたのよ」とパーカーは話す。ヨガのクラスで満ち足りた感覚を経験していたからこそ、家庭生活が幸せとはかけ離れていることに気づけたとパーカーは感じている。
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