カテゴライズなんて無意味!"個人の生と性"に目を向ける時代へ/キレイな人の脳内 #2 小原ブラス
ーーこれまでで一番嬉しかったエピソードは?
これから経済を立て直そうとする国・ロシアから、経済的に発展し尽くした日本に来た僕にとっては何もかもが楽しかったことを記憶しています。来日当時6歳の僕は言葉が分からず友達もいなければ、テレビをつけても何を話しているのかが分からない。言葉が分からなくても楽しめたのは、東京ディズニーランドを紹介する映像が入ったビデオ。そのビデオを毎日見ていました。そしてある日、僕がそのビデオばかりを見ていることに気づいた父が「今から行こう」と言い、そのまま新幹線で姫路から東京へ連れていってくれたのをよく覚えています。
もちろんディズニーランドはすごく楽しかったけど、それよりもよく覚えているのは、ディズニーランドの帰りに父に「パパって呼んでね」と言われたこと。日本に来て間もなかった頃、僕は新しい父をいつも下の名前「カズ」と呼んでいたのです。いきなり「この人が今日からパパだからね」と言われても子供にとっては簡単なことではないですからね。父もなかなか「パパ」と呼んでもらえないことに悩んでいたのでしょう。その「パパと呼んでね」という言葉は僕にとっては嬉しくもあり、なんだか安心できる言葉でもありました。6歳のその記憶を今でもよく覚えているのは、それだけ“衝撃的”だったからでしょうね。僕は「カズ」とディズニーランドへ行き、「パパ」と帰ってきた訳です。
ーー人生で一番辛かったエピソードは?
実はつい最近なのですが、ゲイだと母にカミングアウトをした時です。カミングアウトをしたというよりも、バレてしまったと言うべきなのでしょうか。もともと僕は周りの知り合いや、メディアなどで隠さず自分のセクシャリティをオープンにしていましたが、家族にだけには伝えていませんでした。伝えるべきだとは思っていたのですが、どう伝えていいか分からずズルズルと時間が経ったのです。たまたま僕がテレビで好きな男性のタイプの話をしているのを見た母から電話がきて、伝えたのが所謂僕のカミングアウトになるのですが、その時にただただ母は泣いていました。否定も肯定もせず、言葉を失ってただ泣いている母の声を聞くのは、間違いなく人生で1番辛い時間でした。テレビで話しているのを見られるよりも前に、しっかりと向き合って話すべきだったと今では思っています。
ーー ゲイということで自身のSNSにレインボーマークをつけていますが、よく考えると大半のいわゆる“ストレート”の人は特にマークをつけませんよね。そのマークを敢えてつける“意味”は?
今あのマークをつけているのは「どんな女性がタイプですか?」とか「彼女はいますか?」とか、「(ピロシキーズの)相方のアレちゃんとは付き合ってるんですか?」という質問がくるたびに「僕はゲイなんです」と答えることに疲れたからです。だから、僕があのマークを出すことの意味、それは「ゲイです」ということをアピールするよりも「それを言わせないでくれ」の方が大きいかもしれません。僕がゲイであることに誰も驚かず、誰も“不必要に”興味を持たなくなれば、すぐにでも外して、自分にとって当たり前にゲイでありたいです。いつか、SNSに載せているあのレインボーマークが取れるような世界になるといいなと思っています。
ーー最近はジェンダーが複雑化したり、”アイデンティティ”の確立がより求められる風潮があると感じます。それ以前に「小原ブラス」という一人の人間として何ができると思いますか?
今の日本では「LGBTQに配慮するべきだ」という言葉をよく聞きますが、必要なのは配慮というよりも、当たり前に接することだと思います。そもそも、LGBTで誰がレズビアンで、誰がゲイでとカテゴライズをする必要も本来はありません。というより不可能です。性は流動的で、明日は誰を好きになるかなんて分からないのですから。人もそうです。アイデンティティ は常に流動し、個人は常に変わります。生まれながらにして、人種、民族、国籍、性別等の様々な枠に振り分けられ、そして生きていく中で数えきれない流動するアイデンティティが加わる。それがまるで1つの分子構造のパズルのように組み合わさり、1人の個人として存在しているように思います。
皆は僕が「関西弁を喋るロシア人、そしてゲイ」という点に注目をするけど、よく考えたらロシア人なんて世界には1.5億人いるし、関西人は2000万人います。同性愛者も世界人口の5〜10%いると言われます。その組み合わせが珍しいから注目されるのかもしれないけど、1つ1つを紐解いていくとなにも珍しくはありません。そして誰でもアイデンティティを組み合わせたら珍しい人なのです。相手をよく見て、よく話したら誰でも「変な人だな」と思えるポイントは持ってるものですよ。
ロシア人として立派である前に、関西人として立派である前に、男として立派である前に、人として立派であることを目指せば、それで良いんじゃないの?そんなことを身をもって伝えていけたらいいなと思っています。
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