両足院副住職・伊藤東凌さんに聞く【苦しみの原因を取り除く、自分との距離の置き方】「忘我思考」とは
思い込みにとらわれがちな私たちが、それらを手放し、本来の状態に戻るためのヒント。そして、私たちの内側に広がる、未知な部分、可能性、平穏…を見つけるための考え方を、様々な専門家にお話を伺いながら探っていく連載企画『インナージャーニー(内なる探求)』。第1弾は、臨済宗建仁寺派 両足院副住職の伊藤東凌さんに、自分自身との距離の置き方についてお話を伺いました。
次々に変動する環境、情報と刺激に溢れた日常、人間関係……。生きていく上で抱える沢山の不安や苦しみを抱える私たち。「苦しみの根本は自分へのこだわり=自我から生まれる」と、『忘我思考』(日経BP)の著者の臨済宗建仁寺派 両足院の伊藤東凌副住職は仰っています。では自我をどうしたら忘れることができ、何事も受け入れる柔軟性を手にすることができるのでしょうか?
自己肯定感の呪いに気をつけよ!?自分へのこだわりが苦しみの原因
——「忘我思考」という著書を書かれていますが、なぜ「我を忘れる」ことが大事なのでしょうか?
一言で言ってしまうと、結局苦しみのほとんどが、自分へのこだわり、執着、つまり自我が大きくなってしまうことによって起こるんです。特にビジネスの世界では、自分の強みを磨く、自分の個性を打ち出し他者との差別化を図る、つまり自我を強め、拡大させて成功していくといった側面がありますよね。
そういった他者と比較競争したり差別化するような考えの基で生活をしていくことで、どんどんと自己肯定感が低くなるといったことが起こっています。特に、真面目な方にその傾向が多いと感じます。他者から見れば、エリートでバリバリ働いてすごいと思われているのに、本人は自己肯定感の低さに悩んでいたりする。
自己とか自我を捉えることはすごく難しいものです。未だに自己を完全に理解できるような公式は作られていないんです。だから自己を捉えようとすることは、非常に難しく厄介なことです。そうしようとすることによって逆に自己の捉え方が凝り固まり、それに囚われ苦しみを自分で勝手に増やしているようなところがあるんです。
「自己肯定感が低い」といったことが話題になりすぎると、今度は自己をどうにか肯定しなきゃいけないんじゃないかという、強い言い方をすれば呪いがかかる。凝り固まった自己、自我は、我が儘やエゴイズムなど元々ネガティブなイメージがありますよね。だから容易には肯定できません。多くの人が「自己否定」になるのも自然なことではないでしょうか。ですので、そんな厄介なものを、まずは「忘れる」というキーワードを置いて具体的に迫っていったのがこの「忘我思考」という本なんですね。
大体の場合は、頭の中だけが自分だというふうに捉えてしまいやすいんです。でもそれだと狭いですよね。そこで繋がるという発想が大事になります。頭と体が繋がっている、心と体が繋がっていることを感じると、少なくともちょっとは自分が広く捉えられますよね。ですが、これだけにとどまらないです。自分に影響を与える環境も、習慣的に飲んでいるこのお茶も自分の一部だっていう捉え方もできますよね。自分が愛用しているもの、住んでいる空間、よく喋る友達、家族も自己の一部と言えます。自己というのはこんな風に、横や縦に広がっていくそういう存在そのものなんです。仮に自己否定、自己肯定を下げるということは、実が自分が好きなもの、大切にしている人に対してもケチをつけてしまっていることにもなるんです。
つまり自己をどこで区切るのかという話になるんです。究極は「梵我一如」(宇宙を支配する原理と我が同一であるという古代インドにおけるヴェーダの思想)みたいな世界観もあるわけで。自己と思っていたものは実は、大自然、大宇宙、全てのものと繋がっているという見方もあるわけです。それが頭の中だけになっている状態から、ちょっと脱出しましょうっていうのが「忘我思考」のメッセージなんです。
——自我を忘れるというのは、自分の捉え方を広げるってことなんですね。確かに多くの方が頭の中にあるものを自分だと認識していると思います。全てのものが自分だと捉えられるようになるためには、どうしたら良いのでしょうか?
端的にお伝えすると、瞑想を取り入れて欲しいです。瞑想というと難しいというイメージを持つ方が多いですよね。確かに中には難しいプロセスを踏んでいく瞑想もありますが、ここで言っている瞑想は、坐禅のように座って目を閉じるということではなくて、生活の中でできることです。まずは生活の中に習慣性を持つこと。この時間にはいつもこのお茶を飲んでいるとか、掃除しているとか、料理しているとか、なんでもいいんですけど。その時に無意識でなんとなくやるのではなく、五感を働かせ意識的に何かを行うことが瞑想であり、日々の小さな違いに気づくことができるようになっていきます。そうすると、様々なものが関係し合っていること、それによって変化が起こることが自覚でき、自分が固定されたものではなく、関係性の中で変化する生き物であることがわかってきます。そこがわかってくれば、「自分の頭の中だけが自分」という狭い見方が自然に広がっていきます。
習慣性を持つことで変化に気づき調える
——五感を働かせて、無意識だったところを意識的に感じるということで、自己の捉え方が広がっていくんですね。習慣性を持つということも大きなポイントでしょうか?
そうですね。現代はあまりにも複雑だと思うんです。いつでも連絡が取れるツールが生まれ、何を返答したかわからなくなるくらい沢山のメッセージがくる。こんなに繋がらなくていいんじゃないかというぐらい繋がりは増え、ものすごいスピードで物事が動く。そうなると不調になった時、どこが起点だったのかわからなくなるんですよ。
昔はもっとシンプルだったじゃないですか。ポケベルに入ったメッセージが気になって、そこから調子が崩れ始めたとか。古いけど(笑)。こんな風に、1個の原因を見つけて、そこを修正しようということができたんだけど、今はそこが複雑すぎて、どこが原因で今この状態になっているのかが、掴みきれないですよね。
あるお医者さんが言っていた例え話が分かりやすくて好きなんですが、ボールを投げた壁が凸凹だったら、自分の投げ方のどこが問題で、こんなふうにボールが跳ね返ってきているのかわからないですよね。これが平らな壁であれば、ここが力んでいたから右に曲がっちゃったんだとか、ポイントを掴むことができます。この平らな壁を作るのが習慣なんです。毎日この時間にはお茶を飲んでいる。そうすると味が「今日は強い」とか、「焦ってお茶を入れたから薄くなってしまった」とか、いろんな違いの原因が、そこでやっと測れるようになります。自分をメンテナンスしようとなると、お医者さんに行ってチェックしてもらうよりも、毎日の中で「あれっ?」という違和感に気づけるかどうかが極めて大事です。複雑な時代だからこそ、日々の中で変化に気づくためには無意識を意識化する習慣が必要なのではないでしょうか。
お話を伺ったのは…伊藤東凌(いとう・とうりょう)
臨済宗建仁寺派 両足院副住職。1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院での坐禅指導を担当。現代アートを中心に領域の壁を超え、伝統と繋ぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。2020年グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」、禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。海外企業のウェルビーイングメンターや国内企業のエグゼクティブコーチも複数担当する。
AUTHOR
鈴木伸枝
ヨガ/冥想 指導者 全国のイベント出演、大学や専門学校のカリキュラムの作成、メディアの記事監修など、活動は多岐にわたる。指導者養成コース講師を担当し、1000人以上のヨガインストラクター輩出実績がある。 「自分を生かすYOGA」をモットーに、心と体双方の健康を目指し、自分に意識を向ける時間をもち、自身で心身をベストコンディションへ導き、ひとりひとりが自分らしく輝いて生きていくサポートを、ヨガを通して行うことをライフワークとしている。誰でも簡単にヨガや瞑想を生活に取り入れられるよう、平日毎朝6:30からインスタグラムよりクラスを配信している。
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