祈りはお願いごとをすることではない?両足院副住職に聞く、不安や恐怖を縮小する【祈りの本質】

 祈りはお願いごとをすることではない?両足院副住職に聞く、不安や恐怖を縮小する【祈りの本質】
鈴木伸枝
鈴木伸枝
2023-06-11

思い込みにとらわれがちな私たちが、それらを手放し、本来の状態に戻るためのヒント。そして、私たちの内側に広がる、未知な部分、可能性、平穏…を見つけるための考え方を、様々な専門家にお話を伺いながら探っていく連載企画『インナージャーニー(内なる探求)』。第1弾は、臨済宗建仁寺派 両足院副住職の伊藤東凌さんに、現代人に今こそ必要な「祈りの本質」についてお話を伺いました。

広告

「神様にお願いごとをする」現代ではそう捉えられがちな祈り。その行為の本質には、私たちが日々抱える苦しみや恐怖を小さくする効能があると、両足院副住職・伊藤東凌さんはおっしゃいます。

祈りのとは何か?

ーー伊藤さんにとって「祈り」ということは、どういうものですか?

東凌さん:祈りとは、願望を叶えてもらうために何か特別な力を借りるとか、ただただ祈っているだけで、何かが変わる、救われるっていうことではないと思ってはいます。ただその行為が、内的な働きで、自分自身の意識を変える力は絶対あると思います。

祈りという言葉は「い」と「のり」の二つの音の組み合わせです。簡単に言うと「い」は命、「のり」は宣言を意味します。つまり “今ここに生きている”という宣言になるんです。つまり「祈り」はこの命を輝かせるための意識的スイッチとも言えるんですよね。今私はここに体が生きている、心臓も動いている、血が流れていると言うことを、しっかりと感じ取っていくと言うのが「祈り」の原点だと思っています。ですので、祈りは、“wish”や “want”ではなくて、“live”を探し求めにいくことから始まります。そうするとこの湯呑みもお茶も止まっているように見えていますが、全部に命があって躍動しているように感じてくる。これが祈りの境地だと思っています。今にある命の躍動を体感できて、ありがたいと感じることができる。

目の前にいる人をこの境地で感じると、この人も本当にたくさんの命の集まりで、今も“live”だなと感じる。そうすると、〇〇さんは優しい人だ、△△さんは頑固な人だ、と決めて固定化して見えていたものが解除されていますね。「祈り」があると全てが“live”の繋がりで、世界は1ミリたりとも止まってない。すると「もうだめだ」と自分が固定させて生み出していた恐怖から解放される。祈りにはそんな効能もありますよね。

ーー伊藤さんの中で祈りというのは、今ある命をありありと感じるということ。そうすることにより、全ての命のライブ感、繋がりを感じることができ、自分と他を区別する枠がなくなる。言葉を変えれば、自己と認識している範囲が拡大するってことなんですね。

東凌さん:そうですね。それと時間軸もそうですね。自分が今感じていることは、長い長い時間の中の点でしかない。お寺では150年前の改修をこないだの、300年前の改修を少し前の、みたいに表現をするので、長い年月で物事を観ていくのが私はしやすいんですが、150年とまでは行かなくても、自分の人生の30年という長いタイムスケールで捉えていくと、「昨日のあの人が言った一言が、、、」「あの人の態度が、、、」など、自分の心を波立たせていたものが気にならなくなってきませんか? 今この瞬間にある空間という横軸、時間という縦軸を広げて観ていき、自己の意識を拡大し、自他との区別は本当はないことを実感することが「祈り」なんです。

心と視覚を王座から引きずり下ろす〜「祈り」のファーストステップ

ーー確かに広く捉えていくことで、日々感じているストレスが、小さく感じられるようになっていきそうですね。ただ、自他の区別がないと言う境地は、現実からはかけ離れているように感じるのですが、そこに至るためのファーストステップとして、どんなことができるのでしょうか。

東凌さん:ファーストステップは、五感を開いて、入ってくる情報をじっくりと味わうことです。仏教では、人間の認識のよりどころを「六根」と呼びます。眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)舌(味覚)、身(触覚)、意(意識)の6つ。まさに五感+心です。そして心を特別重要に扱ったりはしません。むしろ自己を充実させる上で、「要注意なもの」として扱っています。イメージを思い浮かべるとやりやすいので、「心のスペースを6分の1に縮小し、空いたスペースに五感からの情報を満たす」ことを意識してやってみてください。五感を一気に感じることは初め難しく感じる方もいるでしょう。そうしたらまず、音と匂いから始めていきましょう。

五感をふくらませる時に注意したいのは、視覚情報の扱いです。視覚の情報量と認識が占めるウェートは、心に勝るとも劣らず巨大です。「今考えていること」と「今みていること」。多くの方がこの2つの情報で世界と自分の今を判断しがちです。目を閉じている時ですら、何かを感じる時の素材は、ビジュアルな記憶が多くを占めているのではないでしょうか?もちろんどちらも無視するわけにはいきませんが、放っておくとこの2つばかりが頭の中でふんぞり返ることになりますので、どちらも意識的にサイズダウンをするほうがいいです。
これは言い換えれば、世界と自己認識プロセスの民主化です。心と眼と言う認識の両巨頭を王座から引きずりおろし、その権力を他の権力を他の感覚機関に分配するのです。

もしやり方が明確にあった方がやりやすければ、音(聴覚)に意識を向ける(3分)、匂い(嗅覚)に意識を向ける(3分)、体(触覚)に意識を向ける(3分)でやってみてください。それがちょっと大変そうだな、敷居が高いなと感じる人は、例えば仕事中の集中が途切れた時に窓を開けてストレッチをしながら、あるいは横断歩道で信号待ちをしている手持ち無沙汰な時間に、鳥の声の愛らしさに耳を傾けたり、風の匂いや肌触りを感じてみたり、好きなお茶の味をじっくり味わってみたり、そんなことから始めてみてください。これは実際にやってみた方が早いと思います。普段あまり気にしていない感覚情報を深く味わうことを意識するだけで、気持ちがぐんと楽になります。そうした感覚の豊かさを自己の一部として感じれば、心に少しくらい否定的な要素があっても、「まあいっか」と思えるようになっていきます。また、今までの世界の捉え方がいかに「頭でっかち」だったかがよくわかるでしょう。そうすれば、自己の認識は自然と広がっていき「祈り」の境地に近づいていくのです。

五感
AdobeStock

遊びから祈りへ

ーー著書「忘我思考」の中で、「祈り」と「遊び」の共通点に触れていて、非常に興味深く感じたのですが、その部分を詳しくお聞かせいただけますでしょうか?

東凌さん:自分の心が上手く保てなくなる感情の根源にあるものは、「恐怖」だと思うんです。おそらく太古の時代は、動物などの外敵、自然現象など、絶えず命の危険と隣合わせだったことでしょうし、今は科学的に解明されている雷や月食なども、わからないが故に「神の怒りだ!」と恐怖の対象だったでしょうね。心配、不安、恐怖に何も打つ手がない時に、「祈る」ということをしたんでしょうね。つまり精神的な力で恐怖をなんとかしようとした、ということが祈りの原点です。実際に祈ることで恐怖が和らぐということを、太古の人は実感していたのでしょう。

一方遊びは、例えばオオカミを遠ざけるために誰かが石を投げたのが始まりかもしれません。それが的当てなどに発展していった。夢中で投げて競っていたら、その束の間は、恐怖を忘れて楽しかった。そういうことが、遊びの起源では無いでしょうか?現代でも夢中で遊んでいる時間は、多くの人が苦しみや恐怖から解放されているのではないでしょうか?それはとても重要な「遊び」の働きだと思います。つまり「祈り」も「遊び」も恐怖を和らげるという作用があるのです。

英語は「遊び」は「play」、「祈り」は「pray」だと思い出した時には、「やっぱり根っこは一緒に違いない!」と思わず膝をたたきましたが、調べてみたら、この2つは無関係だったのですが(笑)現代ではどちらかというと遊びは低俗、逆に祈りは崇高でのもので、一番かけ離れたものとして捉えられていますが、恐怖を緩和するという点から見れば根っこは一緒です。
命の危機に対する恐怖はなくとも、日々人間関係の中での恐怖はまだまだ沢山あると思います。それに対して向き合おうとする時、より「遊び」や「祈り」を取り入れていった方が良いと思っています。最近は遊びが苦手になっている大人も多いですし、祈りなんてもっとわからないですよね。「祈り」について真面目に話をすればするほど、一般の方にとってはどんどん縁遠いものになっていきます。
実は、触れて遊べるアートの展覧会を開催して、そこで遊んでいるうちに祈りの境地に至れる場を創れないかと模索しています。ゲームなどの低俗とされているものも、映画やアニメも、没頭することで自我を一時忘れることができますし、視点を増やしたり、気づきを与えることに一役かっていると思います。エンタメを創る日本のクリエイターはとても優秀な方が多いので、そういう人たちの力とともに「祈り」を伝えていきたいと思っています。

ーーそれはすごく魅力的ですね!今後の伊藤さんの活動を楽しみにしています!

忘我思考
「忘我思考」(日経BP)

お話を伺ったのは…伊藤東凌(いとう・とうりょう)

伊藤東凌さん

臨済宗建仁寺派 両足院副住職。1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院での坐禅指導を担当。現代アートを中心に領域の壁を超え、伝統と繋ぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。2020年グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」、禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。海外企業のウェルビーイングメンターや国内企業のエグゼクティブコーチも複数担当する。

広告

AUTHOR

鈴木伸枝

鈴木伸枝

ヨガ/冥想 指導者 全国のイベント出演、大学や専門学校のカリキュラムの作成、メディアの記事監修など、活動は多岐にわたる。指導者養成コース講師を担当し、1000人以上のヨガインストラクター輩出実績がある。 「自分を生かすYOGA」をモットーに、心と体双方の健康を目指し、自分に意識を向ける時間をもち、自身で心身をベストコンディションへ導き、ひとりひとりが自分らしく輝いて生きていくサポートを、ヨガを通して行うことをライフワークとしている。誰でも簡単にヨガや瞑想を生活に取り入れられるよう、平日毎朝6:30からインスタグラムよりクラスを配信している。



RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

五感
忘我思考
伊藤東凌さん