【そのヨガの先生、信じて大丈夫?!】カリスマ的指導者を含む、偽りの師から学んだこと
あまりにも "委ねること" ばかり促されると何が起こるのか。
ヨガの練習を毎週4年ほど重ねた頃、クンダリーニヨガのティーチャートレーニングを始めた。クンダリーニは私に合っていた。クリヤや特定の動作に重点を置くことで、ストレスや失望に面した時も、神経系と全般的な回復力が強化されるように思えた。打ちのめされたり途方に暮れることが少なくなり、地に足が着き、適切な意思決定ができるようになった。さらに、全体的な心の状態も向上した。
このプラクティスは電話のようなものだ、とある指導者は表現した。必要なヒーリングチャンネルにダイヤルすると、そこに繋がる。落ち込んでいる?それならそのためのクリヤがありますよ。眠れない?それならこの瞑想をして下さい。成功、なんならストレートにお金が欲しい?それならこのマントラを試してみて下さい、という風に。私の人生で初めて、精神、感情、人間関係、さらには経済的な葛藤の全てに、解決策が用意されていた。クンダリーニは処方箋のようだ。私はこの魔法を他の人々と、ぜひとも共有したいと思った。
しかし、欧米におけるクンダリーニヨガの「父であり創始者」ヨギ・バジャンについては、複雑な思いがあった。バジャンは2004年に亡くなったが、私が通っていたヨガスタジオでは聖人のように崇められていた。彼の姿がスタジオの壁に飾られ、彼の教えはたびたび引用されていた。
私たちはヨギ・バジャンによって作り出された「ホワイトタントラヨガ」を練習していた。白い服を着て、ターバンを巻き、1日に8時間から10時間、瞑想やチャンティングをする日々が求められる。バジャンは、墓の向こうから私たちの修行を導いてくれると言われていた。1日15分間、40日の間、ヨギ・バジャンの像を見つめながら、非常に強力な瞑想をするように言われたこともある。ある指導者はそれを「カルマを解消し、運命を拡大する」と説いた。
ジャーナリストであり、宗教やスピリチュアルな教義を持たずに育った不可知論者である私は、あらゆる「約束された結果」のようなものには懐疑的だ。ヨギ・バジャンの神格化には抵抗があった。しかし、クンダリーニヨガの魅力は、ヨギ・バジャンが定義した「技術」であり、癒しと変容をもたらすものとして、信じられないほどの影響力をもっていた。
偽りの師(グル)とは?
多くのヨガの指導者が生徒の間で師(グル)の地位を獲得していることは周知の事実だ。それは、自分勝手な目的によるものであったり、もしくは、苦しんでいる人が「治療法を持っている人」に力を明け渡してしまうことから生じる。
ある指導者やイデオロギー、あるいはその両方を疑うことなく信奉する集団は、厄介な存在となる可能性がある。しかし、その教えには、実際に人々を助け、癒すことができる真理が含まれていることが多い。そしてそれこそが、偽りの師(グル)と、自分を導いてくれる人を見分ける上で非常にきわどい点である。
カリスマ的指導者を含む偽りの師(グル)の典型的な兆候は、ほとんど、あるいは全く説明責任を負わずに、全ての権力を握る人物だ。批判、及び批判的思考は積極的に排除され、支持者は通常、思想改革または「洗脳」のプロセスを経る。メンバーはしばしば精神的、経済的、そしてもしくは性的な搾取を受け、元メンバーは悪者扱いされ破門される。
精神的危険領域
YTT期間中、ライフスタイルとしてクンダリーニ・ヨガに深く入っていくうちに、練習の中にかなり奇妙で、支配的と思われる側面も見え始めた。ヨギ・バジャンは人に授けるような智慧を持っていなかった、クンダリーニがカルトだ、と言っているのではない。実際、ヨギ・バジャンは自分を「グル」だと主張しないよう注意を払っていたし、"真のグルは内にある "という有名な言葉も残している。
しかし、彼は性的、身体的、精神的、そして金銭的虐待で複数の元支持者から訴えられている。2020年、Olive Branchという組織による独自調査により、性的、身体的、精神的な不正行為の申し立ては事実である可能性が高いと判断された。
このニュースを耳にして、私はいろいろな意味で報われたような気がした。私のいたスタジオの指導者や生徒の間で、彼が神のような存在であることに違和感を持ち続け、ヨガのティーチャートレーニングの一環として勉強させられる彼の「教え」の多くは、彼の支持者に対する冷酷で軽蔑的なものだと感じていた。
ティーチャートレーニングの指導者たちは、ヨギ・バジャンの頑固で不機嫌で、ほとんど人間嫌いともいえるスタイルを「土星の先生だから」と、占星術をほのめかしてこじつけ、弁明した。でも、どうしてそんな人から学びたいと思うだろう?
YTTの最初の週、化粧をして前髪がある女性を非難する彼の特に奇妙な教えについて議論していた時、私は「ヨギ・バジャンはクソみたいだ」と発言したのだが、自分自身でそれを支持する。
真理の見極め方
ヨガの練習は、なんらかの操作や精神的虐待が起こった際に、立ち止まり、振り返り、認識することに役立つ。サンスクリット語のヴィヴェーカは、「識別」または「明晰な視覚」を意味する。パタンジャリのヨガスートラ(2.26-2.27)には、ヴィヴェーカは幻想から現実を分離する助けをしてくれると説明されている。ヨガの練習は、私たちが目を覚まし、思慮深くあり、そして自分自身に忠実であることを求める。偽りの師(グル)は、その逆を行うように求める。
最終的にパタンジャリは、苦しみからの解放の手段として、「継続的な識別の意識」を教えた。ヴィヴェーカは、私たちがアヴィディヤ(無知)を見つけ、それを根絶するのに役立ち、人生を歩む上で不可欠なものだ。実践すれば、真実とそうでないもの、巧みなものとそうでないものを見分けることを助けてくれる。ヴィヴェーカは、自分自身、そして自分自身の智慧と直感に根ざしたままで、真実を見分ける手助けをしてくれる。
クンダリーニ的ヨガ
現在の私は、クンダリーニヨガに対して、よりバランスのとれた慎重なアプローチをとっている。ヨギ・バジャンが敬虔な支持者に命じていた、2時間半のヨガとチャンティングを要する朝のサーダナをする気も、朝4時に起きて家で実践しようという想いも、もはやない。
また、ホワイトタントラヨガも、もう実践していない。振り返ってみると、これらの時間を要する練習はどちらも、私にとっては、支配下におかれたエクササイズのようであり、十分な休息や個人の時間の確保から遠ざける手段に思える。
しかし、その練習を完全に捨てたわけではない。ストレスやフラストレーションが溜まった際のエネルギーシフトには、YTTで学んだプラナヤマを頼りにしている。チャンティングやマントラもとても好きで、これからもそれはきっと変わらず、通常、自分が教えるクラスにはなんらかの方法で取り入れている。
ヨギ・バジャンが教えていたクンダリーニ・ヨガは非常に厳格なものだったが、私が今教えているクンダリーニ・ヨガは、より流動的で直感的なものだ。私はそれをクンダリーニ・インスパイアード・ヨガと呼んでいる。私は練習、そして指導者から、「自分の好きなものを選ぶこと」を学んだ。そして、それ以外のものは後にするのだ。
教えてくれたのは・・・
ジェニファー・デイビス=フリンは、コロラド州ボルダーを拠点とするライター兼ヨガ講師。詳細はInstagram @jennifuriousでチェック。
ヨガジャーナルアメリカ版 / 「My Experience With a False Guru」
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ヨガジャーナルアメリカ版
全米で発行部数35万部を超える世界No.1のヨガ&ライフスタイル誌。「ヨガの歴史と伝統に敬意を払い、最新の科学的知識に基づいた上質な記事を提供する」という理念のもと、1975年にサンフランシスコで創刊。以来一貫してヨガによる心身の健康と幸せな生き方を提案し続けている。
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