マハリシとビートルズ~超越瞑想で彼らが見つけたもの~
1952年1月
バイオリン奏者のユーディ・メニューインがインドで巡回公演を行う
アメリカで生まれた20世紀屈指のバイオリン奏者、ユーディ・メニューインがインド政府に招かれてインド各地でコンサートを開き、そこでネール首相からシタール奏者のラヴィ・シャンカールとB.K.S.アイアンガーを紹介される。メニューインは、シャンカールと制作したアルバム『West meets East』がグラミー賞を獲得し、ヒンドゥスターニーの音楽家アリ・アクバル・カーンとも共演するなどして、インド古典音楽界に燦然と輝く存在となった。メニューインは生涯ヨガを実践し続けた。1954年のヨーロッパツアーでは、アイアンガーを招いて直接指導を受けている。このふたりの親交は1999年にメニューインが亡くなるまで続いた。メニューインはアイアンガーによるベストセラー『Light on Yoga(邦題:ハタヨガの真髄)』に序文を書いている。この本は現在も出版されており、販売数は世界中で300万部を超えている。
1955年4月
インドの古典音楽がアメリカでヒット
インドの古典音楽で用いられる弦楽器サロードの奏者、アリ・アクバル・カーンが初めて渡米し、ニューヨーク近代美術館で一連のコンサートを行った。このコンサートから『Music of India : Morningand Evening Ragas』が発表された。これがアメリカで発売された最初のインドの古典音楽となった(アクバル・カーンはこの年、インド人の音楽家として初めてアメリカのテレビに出演している)。このコンサートは雑誌『New Yorker』と『New York Times』で絶賛された。この成功を受けて、ラヴィ・シャンカールが初のアメリカツアーを行い、小規模ながら熱心に耳を傾ける聴衆の前で演奏を繰り広げた。シャンカールはその後、ワールド・パシフィック・レコーズのプロデューサー、リチャード・ボックと知り合い、10年間にアルバム12枚を発表することになる。
1959年
マハリシが世界ツアーを実施
よく笑っていたので「Giggling Guru(笑うグル)」と呼ばれていたマハリシ・マへーシュ・ヨーギーが、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの各地で欧米人に超越瞑想を指導した。超越瞑想はマハリシがスワミ・ ブラマナンダ・サラスワティ師から学んだ一種のマントラ瞑想である。マハリシは1959年を「世界的な目覚めの年」と呼んで、世界各地の集会場や個人宅、教会などでこの瞑想を指導し、シャーリー・マクレーン、クリント・イーストウッドなどのハリウッドスターや、タバコ王の事業を相続した慈善事業家、ドリス・デュークのような社会主義者を惹きつけた。ドリス・デュークはこの瞑想を「人生を変える」ものだと語っている。マハリシは1971年までに13回のワールドツアーを実施した。
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