ニュージーランド首相の精神的疲労から考える、これからの時代に必要な「休む勇気」「休む努力」
先日、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相が精神的疲労を理由に辞任を発表したことが世界中で注目を集めました。現地のパーソナルトレーナーmikikoが日本とニュージーランドでの「休み」の捉え方の違いについて考えます。
首相辞任から見える、ニュージーランドのライフスタイル
辞任のアナウンスでは、娘に向けて「今年から学校に行く時にそばにいてあげられるのが楽しみ」、パートナーに向けては「そろそろ結婚しようか」 と話し、ライフスタイルを重視するニュージーランドらしさがにじみ出ていました。
年末年始の大型休暇(夏休み)の間に人生について振り返る人は多く、アーダーン首相のように大きな決断をするのはニュージーランドではよくあること。毎日仕事に追われてると考えられないことや、自分にとって本当に大切なものについて、一度立ち止まることでじっくり考える時間は、気付かぬうちに少しずつ理想からズレていく人生の方向修正をするためには欠かせないものです。
政策こそ(どこの国のリーダーでも同様に)賛否両論ありますが、彼女が精神的疲労を理由に辞任を決断したことには国内からだけでなく、海外からも多くの称賛を受けています。国のトップがこれまでタブーとされてきた精神的疲労をオープンに話すことで、これからもっと多くの人が自分の心の状態を見直す機会が増えていくでしょう。
「休む」勇気
首相に限らず、勇気を持って「休む」のは責任ある大人の立派な決断です。頑張りたいのに頑張れないのは辛いこと。頑張れない本人が1番辛いです。動けなくなる前に休まなければいけない。
休むことに文句を言う人もいますが、「これ以上力を振り絞れない」と言っている人を責めても何も生まれません。勇気のいる決断をそうやって責めている人こそ、いざ自分が疲れ切った時に休む決断を下せない人なのでしょう。
「No pain, no gain(痛み無くして成長無し)」という言葉で奮い立たせて苦労や痛みを美徳とする時代は終わりました。多くの分野で、そのやり方が効率的ではなかったことが証明され始めています。
使い古されたスポ根精神にしがみついて、壊れていく身体を引きずって押し通した先で、何が残るのでしょうか?燃え尽きた心と身体は、誰がいたわってくれるのでしょうか?
「休み」は勝手にやってきません。みんなが自分のことで必死な時代に、誰も「休む?」なんて聞いてくれないからです。今は自分で能動的に休みをとり、「休む努力」をしなければならない時代なのです。
「休む」から頑張れる
ニュージーランドの有給は年に4週間あります。週4日勤務の話もあがり始めました。これを聞くと、日本で働く多くの人が「そんなに休みがあったって使い方が分からない」「そんなに休んでも社会が回るの?」と困惑するのではないのでしょうか?
日本の文化では、休みを悪い印象と結びつけることが多く、「すみませんが…」と言いながら休む場面が多くありますね。インフルエンザで休んだ人が「(休んでしまい)ご迷惑おかけしました」と菓子折りを持って職場に戻ってくる。旅行に行ったら「(休ませていただき)ありがとうございました」とお土産を持っていく。そんな日本での日常は、ライフスタイルを尊重するニュージーランドでは見かけません。
私も日本を出るまでは「休み」は頑張った後のご褒美だと思っていました。頑張り方ばかり教わり、身を削って努力をすると褒められました。でも「休み方」は教わらなかった。「1日休んだら、取り返すのに3日かかる」とさえ教わりました。休んで褒められたこともなかったし、「休んだら頑張れるのに」とでも言えば「なーにそんなだらしないこと言ってんだ」と笑われていたでしょう。
たしかに、ひと昔前はそんなやり方が通用していたかもしれません。でも、それで成り立っていた社会はもう足元から崩れ始めています。過労死、鬱、燃え尽き症候群、ストレスによる病気などが現代人の幸福と健康を脅かしています。
「頑張ったら休む」は今の日本の文化には向いていません。自己肯定感が低く、自分を褒めることが苦手で、人から褒められても謙遜するように教えられて育つ”謙虚”で”勤勉”な日本人が「私、えらいよ、頑張ったね」って自分の頑張りを認めて上手に休むタイミングを見計らうことなどできるはずがないからです。
ご褒美をあげるタイミングを知らない私たちは、これまでのやり方に疑問を持ち、「休んだから頑張れる」に切り替えていく方が現実的ではないでしょうか。
休む人を心から祝えるか?
ニュージーランドに来たばかりの頃、私が休暇をとる時に同僚・上司・クライアントから「よかったねぇ!思いっきり楽しんでおいで!」と言われると、戸惑いつつも温かい気持ちになったことを覚えています。
同時に、私は人が休む時に「いいなぁ」「羨ましい」ばっかりで、誰かが休みをとることを心からお祝いしたことがなかったと気がつきました。日本の仕事環境に慣れていると、1番最初に頭に浮かぶことが「誰がカバーするの?」であることも珍しくないでしょう。休んだ人が後に嫌味を言われるケースもあります。
疲れた大人たちの、足の引っ張り合い。休みなく走り続けて努力した結果がこれならば、「勤勉」の何が美しいのでしょうか?疲れ切って心を失った人間の言葉に体温はありません。ニュージーランド首相の辞任を機に、「休み」の捉え方を変え、メンタルヘルスと向き合い、自分の心と身体の健康を最優先にした生活を描き始めてみてはどうでしょうか。
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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