ルーティンとマンネリの見分け方とは?【退屈で非生産的な行動パターン】から抜け出す3つの軌道修正
ヨガジャーナルアメリカ版の人気記事を厳選紹介!日課として取り組むことと、ただの繰り返しとの違いはなんだろう?それは視点によって大きく変わってくる。
退屈で非生産的な行動パターンに閉じ込められていない?
生産性が重視される現代社会では、最も効果的な日課を持つことが、あらゆる困難の解決につながると考えられている。仕事を失ったのなら、自分のための新たな日課をつくろう。不安や憂鬱、悲しみを抱えているなら、日課を見つけよう。パンデミック下の生活に疲れを感じているなら、乗り切るための日課を探そう、という具合に。
私たちには、ある程度の「予定」が必要だ。日課は秩序をもたらし、確実さと安心感を与えてくれるからだ。不確かで手に負えないと感じる世界でも、日課があると確かな感覚が得られる。一日の予定があらかじめ決まっていれば、いつ起きるか、朝食は何を食べるか、どの歯磨き粉を買うかなど、取るに足らない無数の決断に圧倒されることなく、より安らかな気持ちで過ごすことができる。
一貫した睡眠スケジュール、ヨガなどの定期的な運動、毎日の瞑想などの日課がもたらす心理的・身体的効果については科学的にも長らく示唆されている。また、うつ病、不安神経症、トラウマ、依存症からの回復にも効果があるといわれている。
だが実は良いことばかりではない。日課が悪影響を及ぼす場合もある。あまりにも厳密な日課に縛られると、焦りや不安が生まれる。常に気を配らねばならず、続けるのが難しい日課も罪悪感や恥の意識をもたらす。また、分刻みで一日を最適化するような日課は、今この瞬間に起こることに心を開く能力を低下させてしまう。日課とは規則的に行われる一連の行動を意味するが、マンネリも同じ意味を持つ。ただしマンネリは判で押したように日々に閉じ込められているような、退屈で非生産的な行動パターンを言う。皮肉なことに、私たちにとって理想的な日課は、まさにマンネリに陥る可能性を秘めている。
日課とマンネリの見分け方
日課がマンネリ化する分岐点は曖昧でわかりにくい。私たちは自分のためになる日課を見つけると、エンジン全開で臨む。そして日々にリズムが生まれる。だが時間が経つにつれ、そのリズムは単調になってくる。より良いものを追求することが面倒になり、気がついた時にはマンネリ化している。健康的な日課として始めたヨガも、同じ時間に同じクラスで同じスタイルのヨガを続けるうちに、惰性で体を動かすだけの時間になってしまう。
どうしたら行き詰まらずに、必要な日課を続けられるだろうか?それにはまず、日課とマンネリを両極端なものとして捉えずに、「日課、マンネリ、軌道修正」を繰り返すひとつのサイクルの一部だと考えてみよう。
見落とされがちなマンネリの利点
日課を続けるうちに必ず浮き沈みが訪れ、マンネリに至ると知っていれば、サイクルの中のそれぞれの局面に価値を見いだせるようになる。安定した日課と単調なマンネリの違いがわからないと、精神分析学者のカール・ユングが唱えた「心理的エントロピー」には気づけない。いわゆる「相反するものの間の緊張感」と呼ばれるものだ。これがなければ、ユングが言う「平穏なぬるま湯の中での死」を経験することになる。この緊張感は私たちに不可欠なものだ。すべての物事が完璧にスムーズに運んでいたら、私たちは成長できない。日課とマンネリという違う局面が繰り返し訪れる進化のサイクルの中にいてこそ、私たちは古い在り方を刷新できる。
つまり、マンネリは避けたり排除すべきものではなく、変化の時を知らせてくれるものなのだ。仕事、人間関係、生活環境、人生観などにマンネリを感じたら、それは自らを軌道修正する機会が訪れたというサインだ。
社会学者で作家のヒュー・マッケイは、社会に蔓延する「ユートピア(理想郷)・コンプレックス」つまり、完璧な人生という理想像は、私たちが問題や緊張に対処する際の障害になっている、と指摘する。「私たちの人生には変化や、不確実で予測不可能なこと、混乱、予期せぬ出来事が押し寄せる。だからこそ、私たちは自分が何者であるか、人生に何を求めているか、人生に貢献するために必要なものは何か、という本質的な問いを明らかにできる」とマッケイは述べている。そして、その後の軌道修正によって、新たな可能性が開かれるのだ。
マンネリを抜け出すための軌道修正
いきなりすべての変化を受け入れるのは難しいが、変化にオープンであることが大切だ。これが成長につながる。トルストイが『戦争と平和』の中で書いているように「慣れた道から外れると、すべてが失われたように感じる。だがここから新たな良い未来が始まるのだ」。
私たちはマンネリ化した自分を厳しく裁く傾向があるが、そのプロセスを過ごすための忍耐力が足りないせいかもしれない。たとえば、悲しむ人を避けたり、手っ取り早く解決する方法を指摘したり、「前に進め」と言ったりする。確かにマンネリ化すると日常のスピードが落ちるので効率的ではなくなる。さらに不確実なものに直面するし、やる気もなくなるし、生産性を求める世の中に適合できなくなる。
何かのきっかけで突然マンネリから抜け出すこともある。たとえば、愛する人の死、別れ、病気、失業、失望、拒絶などで私たちの生活は大きく変わる。恋愛や出産、就職、卒業など人生の節目となる出来事もそうだ。
だが通常は人生の軌道修正には時間がかかるので、忍耐が必要だ。ボブ・サリバンとヒュー・トンプソンは共著『The Plateau Effect: Getting from Stuck to Success(プラトー効果:停滞から成功へ)』の中で「音と音の間の静寂が音楽の一部であるように、休息したり活動しない期間も、懸命に頑張る期間と同じくらい重要だ」と書いている。
変化は往々にしてわかりにくいものだ。だが一見何も起きていないようでも、水面下で私たちはゆっくりと新しい道に向かって軌道修正している。「This Jungian Life」というポッドキャストのエピソードでは、適応するプロセスを生クリームからバターをつくることにたとえている。生クリームの容器を振っても振ってもすぐには何も起こらないが、さらに振り続けていると突然バターになる、と。
マンネリから抜け出すプロセスも似たようなものだ。抜け出すには長い時間がかかることもある。何も変化を感じられず、混乱の中に閉じ込められているようでも、やがては何か新しいものにたどりつく。移行の間は面倒だし困惑することもあるが、最終的には変化が起きる。マンネリから抜け出すのは至難の業だ。だが好奇心を持って自己観察すれば、日課がマンネリ化する時がわかるようになる。そこからまた人生を存分に体験できるのだ。
【マンネリ化の兆候】
1. 面倒に感じる
かつては健康的だった日課があまりにも定型化してしまうと、そのパターンを維持することが億劫になったりする。同時に、自分には何も変えられないと感じるかもしれない。
2. 疲れやすい
単純な作業でも、突然より多くのエネルギーと労力が必要だと感じるようになる。その結果、エネルギーを維持するために行動を最小限に抑えるようになる。なぜかやる気が起きず、長時間ほとんど何もしないこともある。
3. 消極的になる
人付き合いや、楽しいことから遠ざかっている自分に気づいたら注意しよう。
現状維持から抜け出す
マンネリは変化のきっかけになる一方で、惰性を生む場合もある(つまり「行き詰まる」ということだ)。マンネリに陥ったとき、私たちはやることを減らして休息や活力回復を図る必要がある。だが次第に何をするにも億劫になっていき、動くこと自体が面倒になる場合もある。
マンネリ化に気づいても、さらに悪化したり、悪循環に陥ることがある。なぜなら、現状に慣れ親しんでいるので、変化という不確実性に直面するよりもマンネリはずっと快適に思えるからだ。行動心理学者のチャールズ・フェルスターは、気分が落ち込んでいる人は一般的にやることが少なくなる傾向があり、もっと具体的に言うと、喜びや意味をもたらす活動が少なくなると説明している。これが悪循環を生み出す。世間から引きこもると、戻ることが難しくなるのだ。
重要なのは、この悪循環を何とかして断ち切ることだ。大きな変化を起こす気力が持てなくても、少しずつ変わっていけばいい。たとえそれが完璧な治療法でなくても、不快に感じても、何か新しいことを経験しようとする意欲があれば、やがて自分に合うものが見つかる。
私たちは挑戦し続け、オープンでいなければならない。そうすることで緊張に順応し、学び、縮こまらずに前進できるようになる。
興味深いことに、日課はマンネリを招くだけでなく、マンネリから抜け出すきっかけにもなる。睡眠、運動、食事の仕方や表現方法をほんの少し変えるだけで、それが新たな日課になることもある。やがて、困難な局面を乗り切るときに何が支えになるか見えてくるだろう。自分に安定感をもたらすものを見極めるには練習を要するし、その支えは人生を通じて変わっていくものだ。新たな支えを見つけるために忍耐強く費やす時間は、決して無駄にはならない。
「日課、マンネリ、軌道修正」を繰り返すサイクルの中で、私たちは大切なもの、変えるべきもの、忍耐が必要なことに気づかされる。スケジュールに縛られず、マンネリに留まらずに、明日は新しい日というだけでなく、違う日だと思えるようになる。そして、マンネリ中でも日課に励んでいても、その間のでこぼこ道でも、そこには人生がたっぷり詰まっていると実感できるだろう。
マンネリに陥ったとき、マンネリに気づく方法やマンネリから抜け出す方法を見つけるには
1. 先を急がない
いきなりマンネリから脱出しようとせずに、まずはマンネリ化している自分の状態に気づくことが大事だ。生活を一変させる必要はない。友人と散歩したり、ヨガスタジオを変えたり、朝食のメニューを変えてみるなど、小さなことを1つずつ取り入れてみよう。
2. 何かを学ぶ
人生全般に無関心になっていると気づいたら、意識的に何かに興味を持つようにしてみよう。新しい言語を勉強したり、楽器を習ったり、今まで遠慮していた質問を誰かにしてみたり、探究したかったトピックを1時間かけて調べてみよう。
3. 恐れていることを試してみる
日課が退屈になっていたら、いつもと違うことを試してみよう。行き詰まったときは、多くの場合、慣れ親しんだことと反対のことをするといい。「水の中で自分が行けると思うところよりも、常に少し先を目指すんだ。自分の限界を広げよう」とデヴィッド・ボウイは言った。オープンでいることを忘れずに。
文●マドレーヌ・ドーア
作家でインタビュアー。ブログ「Extraordinary Routines」とポッドキャスト「Routines & Ruts」を通じて、充実した一日の過ごし方を探求している。最初の著書は『I Didn't Do The Thing Today』。
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