喪失感や悲しみにとらわれない「落ち着いた心」の身につけ方【臨床瞑想コンサルタントが解説】

 喪失感や悲しみにとらわれない「落ち着いた心」の身につけ方【臨床瞑想コンサルタントが解説】

人生は幸せなことだけではなく、大切な人との死別など耐え難い苦しみに直面することがあります。不幸なことが起こると、喪失感や悲しみの感情にとらわれて、なかなか立ち直れないことも。臨床瞑想コンサルタントでもあるアンディ・プディコムさんの著書『頭を「からっぽ」にするレッスン 10分間瞑想でマインドフルに生きる』(辰巳出版刊)より、彼の体験談を交えた、喪失感や悲しみの感情から別の視点に切り替えるための考え方のヒント。また、落ち着いた心を取り戻し「より自由に、楽に生きられるようになる」2つのエクササイズを紹介します。

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視点の転換で世界は違って見えてくる

インドを旅している時、ジョシという男性に出会いました。ある日私がバスを待っていると話しかけてきたのですが、ひと目で好感を覚えるような人物でした。インドに行ったことのある人ならおわかりでしょうが、バスが来るまでかなり長く待たされることもあります。まして山間部ではそうです。

インド人
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私たちはうまが合い、いくつかお互いに共通の興味もあることがわかりました。その最たるものが瞑想でした。それから数週間というもの、私とジョシはさらにいろいろな話をしました。お互いの身の上話もしました。ジョシは毎日少しずつ、これまでの人生のことを語ってくれました。

私たちが出会う数年前、ジョシは妻と4人の子どもに囲まれて暮らしていました。さらに、夫婦のお互いの両親もそれほど裕福ではなかったので、一緒に同居していました。家が狭くて窮屈ではあったけれど、それでもとても幸せだった、とジョシは言います。

しかし、4人目の子どもが生まれてまもなく、仕事に復帰した妻が交通事故で死亡するという悲劇が襲いました。生まれたばかりの赤ん坊と妻の両親も同じ車に乗っていました。ひどい事故で、生存者はいなかったといいます。ジョシがこの話をしてくれた時のことを思い出すと、今でも涙が浮かんできます。

耐えがたい苦しみに、ジョシは現実と向き合うことができず、ただ自分の殻の中に閉じこもっていたかったそうです。けれども、両親に言われて思い出したのです。自分にはまだ面倒をみてやらなければならない3人の子どもがいて、子どもたちには父親がそばにいてやることが何よりも必要だと。そこでジョシは子どもたちの世話に没頭し、精一杯の愛情を注ぎました。

数か月後、モンスーンの季節がやってきました。それとともに、ジョシの住む地方は洪水で水につかってしまいました。水はなかなか引かず、そのせいで病気が大流行しました。村の多くの子どもとともに、ジョシの子どもたちも重い病気にかかりました。ジョシの母親も病に倒れました。

モンスーン
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2週間のうちに、3人の子どもと母親が死にました。もともと弱っていた母親の死は早く、子どもたちはもう少しもちこたえたものの、病気にうち勝つことはできませんでした。たった3か月のうちに、ジョシは妻、母親、子ども、義父母をなくし、残る肉親は父親ひとりだけになってしまいました。あまりにも多くの悲劇を経験した家にそのまま住み続けることはできず、ジョシは友だちの家に移りました。

父親は愛着のある故郷の家を離れられず、そこに残りました。引っ越してから数日もしないうちに、家が火事になったという知らせがジョシのもとに届きました。父親は家の中にいたようだといいます。それが事故だったのか、父が耐えきれなくなってしまったのか、今でもわからないとジョシは言いました。

話を聞いているうちに、だんだん自分が恥ずかしくなりました。いつでもものごとを思い通りにしようとして、望み通りにならないと不満で、愚痴を言ったり嘆いたり文句を言ってばかりの自分が。列車が遅れたとか、夜中に起こされたとか、友だちと意見が合わないくらいのことで、何をそんなにカリカリしていたのでしょう。目の前にいる人物は、想像を絶する苦しみを味わいながら、なお驚くほど穏やかで落ち着いているというのに。

家族を失った後のことを尋ねると、ジョシはこの新たな土地にやってきたいきさつを話してくれました。家族も家も金もなくして、人生に対する考え方がまったく変わらざるをえなかったといいます。最終的に、彼は瞑想所で暮らし、そこでほとんどの時間を過ごすことを選びました。

瞑想することによって、過去のできごとに対する感じ方が変わったか、と私は尋ねました。感じ方は変わらない、でもそれらを感じる体験が変わった、と彼は答えました。今でもときどき大きな喪失感や悲しみを感じることはあるが、そのことの受け止め方が変わった、それらの考えや感情の下に、安らぎや穏やかさや落ち着きのある場所を見つけた、というのです。

それは決して自分から奪うことのできない唯一のものであり、この先の人生でどんなことが起ころうと、自分の中にはつねにこの戻る場所がある、と彼は言いました。

これは極端な例かもしれませんが、私たちの誰もが、必ず人生の試練にぶつかります。あんなふうにならなければ、もっと違っていたらと願わずにはいられない状況を(ジョシほど悲惨なものではなくとも)必ず経験します。瞑想はそれを変えられません。ほかのどんなものでもそれは変えられません。

人間とはそういうもので、この世界に生きるとはそういうことです。時には、外部の状況によって変わることを求められたり、強いられることがあります。あなたはその状況をマインドフルネスで乗り切らなければなりません。

しかし、そのような状況ついてあなたがどう考え、感じるかについては、まず経験を形作るのが心そのものだということに気づくのが出発点です。だからこそ心のトレーニングが大切なのです。世界の見方を変えれば、実質的に自分のまわりの世界が変わるのです。

メンタルトレーニング
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この点はよく誤解されていて、瞑想するためには人生の夢や目標を諦めなければならないと感じている人がいるようです。けれどもまったくそんなことはありません。何かをなしとげようと努力するのは人間の本能であり、人生において目指すべきものや目的意識をもつことは不可欠です。

むしろ、瞑想にはその目標を明確化し、後押しする効果があります。なぜなら、実際にやってみればはっきりわかるように、これらに頼らなくても持続的な幸福感が得られ、「からっぽ」を感じられるからです。

そのため、より自由に、楽に生きられるようになります。自分が人生で向かっている場所に自信をもてて、予想外の障害や好ましくない結果に傷ついたり落ち込んだりすることがあっても、それに過度にとらわれなくなります。これはかすかではあっても、とても意味のある視点の転換なのです。

「何もしない」ことを体験してみる

あなたが最後に、テレビにも音楽にも本にも雑誌にも、食べ物にも飲み物にも、電話にもパソコンにも、友だちにも家族にも一切邪魔されたり気をとられたりせず、考えなくてはならないことも答えを出さなくてはならないこともなく、ただじっと座っていたのはいつのことですか? 

これまで瞑想(やそれに似たもの)に目を向けたことがなければ、たぶん一度もないのではないでしょうか。なぜなら、私たちはたとえベッドに横になっている時でも、たいてい何かを考えているからです。だから多くの人にとって、一切何もしないというのは、よくて退屈、悪ければ実におそろしいことに思えるのです。

私たちは始終何かをすることに忙しくて、ただじっと心を休めることの意味をかえりみることさえありません。私たちは「何かをする」ことにとり憑かれていて、そこには「考える」ことも含まれます。だから、最初は何もしないでじっと座っていることに少々居心地の悪さを感じたとしても不思議はありません。

エクササイズ1 何もしない

今すぐやってみましょう。今座っている場所から動かず、本を閉じて膝の上におきます。座り方に特に指定はありません。軽く目を閉じ、1、2分そのままでいます。いろいろな考えが頭に浮かんできてもかまいません。今の段階では浮かんでは消えるにまかせ、たとえ1、2分でも、何もせずにじっと座っているのがどんな感じか体験してみましょう。

瞑想
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何もしないでいるのはどうでしたか? とてもリラックスできたのではないでしょうか。あるいは「何もしないエクササイズなんておかしい、何かしたい」と感じたでしょうか。何かに集中したい、意識を向ける対象がほしいと感じたかもしれませんが、心配はいりません。

これはテストではないし、次の章で瞑想を実践する時には、意識を向けなければならないことはたくさんあります。ただし、今の段階で、つねに何かしている癖やそうしたくなる気持ちについて気づいておくのはいいことです。何かをしたくならなかったという人は、もう一度、今度はあと1、2分長くエクササイズをしてみるといいでしょう。

テレビを見たり、音楽を聴いたり、酒を飲んだり、買い物したり、友だちと出かけるのが悪いと言っているのではありません。むしろ大いに楽しむべきです。ただ、これらは一定量の一時的な幸福をもたらすものであって、持続的なからっぽの状態をもたらすものではないと知っておくのはいいことです。あなたは一日の仕事を終え、頭の中が忙しすぎて疲労困憊して帰ってきたことがないでしょうか。そこで、頭を切り替えるためにテレビでも見ることにしました。

真剣にのめりこめるほどおもしろい番組だったら、頭を埋め尽くしていた考えからつかのま解放されたように感じられたかもしれません。でもたいしておもしろくなかったり、頻繁にコマーシャルが入ったりしたら、そのすきをとらえてそれらの考えがしばしば頭に浮かんでくるでしょう。

いずれにしても、番組が終わったとたんに、さっきまでの思考や感情が一気によみがえってくることはよくあることです。同じ強さではないにせよ、それらは心の奥のほうにずっと存在していた可能性が高いからです。

そしてほとんどの人はまさにこんなふうに、次から次にいろいろなことに気をとられながら日々を過ごしています。職場では忙しすぎたり、別のことに気をとられたりして、自分の気持ちを意識する暇がありません。そして家に帰った時、突如として多くの考えが押し寄せてくるのです。

あるいは、帰宅後もなんやかやと気をそらせることができたとすれば、ベッドに入るまで、それらの考えにすら気づかないかもしれません。けれども頭を枕につけたとたん、心が突然、猛スピードで暴走しはじめるのです。もちろん、その考えはずっとそこにあって、ただ気をそらすものがなくなったから、その存在に気づいたというだけのことです。

あるいは逆のパターンもあるかもしれません。人づきあいや家庭生活に忙しくて、職場に着いてはじめて、自分がどれだけ疲れていたか、頭の中をどんな考えが駆け巡っていたかに気づく人もいます。

これらのことに気をとられていたら、注意力が散漫になり、とても最高の力を発揮することはできません。言うまでもないことですが、心が次から次に浮かぶ考えをあたふたと追いかけているような状態では、集中力が著しく削がれることになります。

エクササイズ2 五感を意識する

今度も2分間の短いエクササイズをしてみましょう。前と同じように、今いる場所に座ったままでかまいません。本を膝においたら、五感のひとつに軽く意識を集中させます。今の段階では音か視覚がいいでしょう。

耳を澄ます
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目を閉じて背景の音に集中するのがおすすめですが、ときどき予測不能な音がすることもあるので、目をあけて部屋の中の特定のもの、あるいは壁の1点をじっと見つめてもいいでしょう。音と視覚のどちらを選んでも、それにできるだけ長いあいだ集中してみましょう。ただし、あくまで軽く、ゆったりとです。何かの考えが浮かんだり、別の五感に気をとられたら、もう一度集中する対象に意識を戻して続けてください。

どうでしたか? 簡単に集中を保てたでしょうか。それとも何度も別の考えが浮かんで気がそれてしまったでしょうか。気がそれるまでにどれくらいの時間がかかりましたか。

ひょっとすると、ぼんやりした意識を保ちつつ、同時に別のことを考えることができたという人もいるかもしれません。信じられないかもしれませんが、1分間、対象への集中を保てればたいしたものです。

これを聞いてずいぶん心配になる人もいるかもしれません。仕事や子どもの世話では、あるいは友だちの話を聞いたり、車の運転をしている時には、もっとずっと長い時間集中しなければならないのですから。

頭を「からっぽ」にするレッスン
『頭を「からっぽ」にするレッスン 10分間瞑想でマインドフルに生きる』(辰巳出版)より

この本の著者…アンディ・プディコム / Andy Puddicombe
イギリス保健医療委員会公認の臨床瞑想コンサルタント。元仏僧。大学在学中に僧を志し、アジアに旅立つ。世界各地の寺院や僧院で修行を積んだのち、チベットの僧院で正式な仏僧となるが、2004年にイギリスに帰国し、瞑想普及のための団体〈ヘッドスペース〉を創設。「瞑想を誰にとっても身近なものにし、なるべく多くの人に瞑想にしたしんでもらいたい」との理念をもち活動に励んでいる。

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ヨガジャーナルオンライン編集部

ヨガジャーナルオンライン編集部

ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。



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