人を肩書で判断する=自分を苦しめている?禅の教えに学ぶ、自分らしく生きるためのシンプルな方法
この数年はマスク生活が続き、相手の表情が読み取りにくかったり、画面越しに会話したりすることで、相手の本当の姿を見る機会が減っています。そんな世の中でも、人に対する偏見を持つことなく、自分らしく生きていきたいと願う人のために、アメリカを拠点に活動している住職の松原正樹さんの著書『心配ごとや不安が消える「心の整理術」を一冊にまとめてみた』(アスコム)より、心がスッと軽くなる方法をご紹介します。
日本は「肩書好き」が多い国
ニューヨーク在住の現役住職として活躍されている松原さんは、修行道場にいた頃、托鉢(たくはつ)という修行を経験しています。一般的なイメージでいうと托鉢は、片手にお椀のような鉢を持ち、鈴を鳴らし、金銭や食べ物などの施しを受けるという修行のこと。
当時まだ若かった松原さんは、托鉢の修行中に人から白い目でジロジロと見られたり、あからさまに軽蔑の目を向けられたりして、人生で初めて人間として扱われないという体験をし、涙をながしたそうです。
また別の場面では、日本人は周りの国々に比べて肩書を重要視する傾向にあり、自分がどんな人間かを知ってもらう前に、学校名や企業名を自己紹介の材料として使おうとする人が多いことを実感したとも書かれています。確かに日本人には、自分と似通った雰囲気の人には心をオープンにして接するけれど、畑違いな人に対しては「無関係」というラベルを貼って関わらないようにしたり、自分の方が上の立場だとマウントを取ったりする人も少なくないように感じます。
〇〇大学の卒業生である、〇〇企業に勤めているといった情報のほか、結婚しているか、子供がいるか、おおよその年収(生活レベル)が同じくらいであるか……といったステータスで人を区別している人も少なくありません。松原さんは、「少し酷な言い方になるかもしれませんが」と前置きした上で、「肩書なんてものは人生の後半なればゴミも同然です。決して人の心を救ってくれるものではない」と言っています。
では、人を肩書で判断してしまうと、自分にとってどんな悪いことがあるのでしょうか。
肩書を外した者同士で付き合う方が、人生は断然楽しくなる
松原さんが主催するリトリートでは、肩書や地位の先入観を持たないよう、名札さえ付けずに進行していきます。肩書も地位も外した状態で意気投合した者同士が仲良くなり、後日、仲良くなった相手が大企業の重役だった!なんてこともあるそうです。
肩書を外した状態で仲良くなった者同士ですから、余計なフィルターがかかることなく、あくまでシンプルな人間同士の付き合いができるという状況はなんだか羨ましく感じます。
しかしこれが、初めに相手の肩書や地位を知っていたらどうでしょうか。勝手に相手をラベリングしてしまうことは、せっかく出会った縁を自ら捨ててしまうことにもなり兼ねない勿体無い行為なのです。
親しい友人にも勝手なラベルを貼ってない?
このラベリングの危険性は、初対面の人に対してだけではありません。旧知の人にも自分の中で勝手なラベルを相手に貼り付けていませんか?シンプルかつ本当に自分らしくいられる相手と人間関係を築くチャンスは、自分の思い込み(ラベリング)によって阻まれているかもしれません。
肩書以外にも、相手の性格でもそうです。「この人は大らかな人」と勝手にラベルを貼ってしまうと、その相手が些細なことで怒っているのを見たときに、混乱してしまうかもしれません。堅実な人と周りからラベリングされる様な人が、ギャンブルで身を持ち崩すことだってあります。
今まで見えなかったものが見えるようになり、自分の力になってくれたり、心から楽しい時間を過ごすことができたりする相手を見つけて素敵な出会いを果たすためにも、人にラベルを貼るという行為から卒業してみましょう。
著者/松原正樹(まつばら・まさき)
1973年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環客員教授。千葉・富津市のマザー牧場に隣接する臨済宗妙心寺派母寺住職。Google本社で禅や茶道の講義をするなど、マインドフルネス界からも注目を集めている。ニューヨーク在住であり、アメリカと日本を行き来しながら、禅とマインドフルネスの橋渡し的存在として、国籍や人種、宗教を問わず人々の「心の救済」にあたっている。
AUTHOR
ヨガジャーナルオンライン編集部
ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。
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