無限の自己表現を行おう|バプティストヨガの創始者による8つのヨガポーズ
世界的に有名なヨガティーチャーのインタビューとヨガレッスンを、ヨガジャーナルアメリカ版からお届け。今回紹介するバロン・バプティスト氏は、パワーヴィンヤサフローの第一人者であり、バプティストヨガの創始者。彼の半生と、パワーを得られる8つのヨガポーズを紹介する。
バロン・バプティストのルーツとは
バロン・バプティストの幼少期のことを考えると、今優秀な指導者になって尊敬されているのももっともだと思う。両親(マガーニャ・バプティストとウォルト・バプティスト)は、サンフランシスコで最も歴史のあるヨガスクールのひとつを1952年に設立して、大きな企業に発展させている。バプティストはB.K.S.アイアンガーと夕食会で同席したことを覚えている。また、(西洋人初の女性ヨガ指導者として知られる)インドラ・デヴィはバプティストの後見人だった。
もちろん、ヨガが主流になるはるか以前にヨギとして育った日々は、必ずしもアヒムサー(非暴力)とナマステだけではすまされなかった。バプティストは回想する。「いつも自分がほかの子供たちとものすごく違うと感じていましたし、周囲から誤解されていました。そういう子供たちと接点を持つのは難しかったですね。でも今振り返ると、そういう経験のおかげで、ヨガを生き、ヨガを分かち合うことに忠実であり続けるのに必要な太い神経ができたと思います」。
ヨガとの出会い
12歳の時に両親とインドのリシケーシュに巡礼に行った時のことを鮮明に覚えています。毎朝5時にネティポットを使って塩水で鼻を洗浄するところから一日が始まります。200人あまりの若い修道者たちと一緒に会場に集められて、瞑想、呼吸法、アーサナの練習を行い、その後、聖典を学び、さらにアーサナの練習をしました。ヨガが大勢の人の体と心と存在自体に深く作用していくのに触れて、感銘を受けました。この時、ヨガの道を選べば、ヨガを通じて成長し、自分を解き放ち、物の見方をすっかり変えることができることを痛感したのです。
師の教えでヨガの実践を決意
17歳の時、B.K.S.アイアンガーからワークショップに誘ってもらいました。当時はまだアイアンガーヨガについてよく知らなかったのですが、とても光栄に思い、参加させていただきました。ところが、自分なりに最善を尽くしたのに、ほとんどついていけなかったのです。あれほど厳密で身体的志向性の高いアーサナを経験したことはありません。そのワークショップの中で「ドロップバック」をするようにと指示された時、何のことだかさっぱりわからず、まわりを見渡して初めて、ターダーサナ(山のポーズ)からウールドゥヴァダヌーラーサナ(上向きの弓のポーズ)に入っていくのだと理解しました。あの時は、絶望的な気持ちになりましたし、自分はダメだなと思いましたよ。
私が嫌気を起こしたのに気がついたのか、アイアンガーが力強い視線を向けながら私のほうに歩いてきました。激しい優しさが感じられる目でした。アイアンガーはせきたてるようにポーズをするよう命じ、こう言ったのです。「もしどれかひとつの流派が自分に合っていると思ったら、その方法なり技術をしばらくの間練習しなさい。ほかのあらゆる方法のことは忘れなさい。そのひとつの方法だけに心を注ぐのです。でも、その方法は、ほんとうに君に合ったものでなければならないよ」その言葉で、私の心に火が点きました。アーサナを練習すると決めたのです。
父の言葉が指導者としての自信を与えた
若い頃はヨガの指導者になろうとは思いませんでした。10代の早い時期に子供のクラスを教えたことがあります。楽しかったですが、どちらかというと遊んでいる感覚でした。ある時、父が行う朝の呼吸法のクラスで代わりを務める人が必要になりました。私は気が進みませんでしたが、ともかく代役を務めました。18歳の時のことです。ひどくぎこちない教え方だと思ったことを覚えています。でも、レッスンの後、生徒さんたちは私のレッスンが楽しかったとずっと話し続けていたんです。その時、私の中に「教える人」が生まれました。父はよくこう言っていました。「お前は知識が豊富だ。これまで素晴らしい師についてきたし、学ぶことを通じて経験も積んできた。ただ、実践してきたことはお前の中にある。それはほかの人のために役立てなければ失われてしまう。お前には責任があるんだよ」
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