アラフォーヨガ初心者!本田ゆうすけのインド修行記【バクティヨガの衝撃編#28】
アラフォー体ガチガチのヨガ初心者、本田ゆうすけさんが本場インドでRYT500を取得するまでの波乱万丈!?エピソードをお届けする人気連載。合宿先で出会った、お茶目なイタリア男性アルフォンソ。彼が実践するバクティヨガとは?圧倒的な体験をレポート‼
信愛と献身のヨガ「バクティヨガ」
インドに来る人が個性的なのか、個性的だからインドに来るのか…? 合宿メンバーに限らず、頻繁に訪れるバックパッカーの旅人たち、外国籍のヨギ・ヨギーニたち、みんな個性に溢れてクセも強い(笑)。前回はその面々を一部紹介。中でも印象に残っているのは、もともとイタリア人→キリスト教からヒンドゥー教に改宗→インドに帰化したアルフォンソ。アーサナの練習はすぐ飽きて得意のマントラ歌いだすし、授業中もすぐ飽きて自分のタイマッサージを披露するし…。一見ただのお調子者なのですが、彼が実践しているバクティヨガは、数あるヨガの中でも特殊と言ってよいかもしれません。時に特定の神の名を唱え、祈りを捧げる。とらえ方は様々ですが、最も宗教要素の強いヨガとも言えます。今回はそんなバクティヨガについてのお話。
ある日の昼下がり。ヨガの練習を終えて談笑していると、「今日の夜、アルフォンソと外に出かけない?」一人のメンバーから提案が。何やらアルフォンソが信仰しているヒンドゥー教の催しが行われるらしく、インド各地から人が集まる大規模イベントだと。その集まりに僕らも誘ってくれたのです。
礼拝?お祭り?ストレス発散?
信仰心の厚いインドでは、プジャーと呼ばれる礼拝儀式がしょっちゅう行われています。ガネーシャ、シヴァ、ドゥルガー、ラクシュミー…多神教であるヒンドゥー教において、人々は実に様々な神様を崇拝します。小さなものから大きなものまでプジャーを目にする機会が多々ありました。年に一回くらいの大きなプジャーになると、まさにお祭りです。
たくさんの巨大な神様の像が建てられ、大通りは屋台と出店が立ち並び、何百メートルに渡って人混みが続きます。大量のバイクやリクシャの鳴らすクラクション、スピーカーから流れる爆音と、その周りで汗だくで踊り狂う若者たち。インドという国の強烈なエネルギーを感じる瞬間でもあります。日本でいうと花火大会と盆踊りを同時開催するような感じです。この夜の集まりも、そんなお祭り騒ぎが繰り広げられるのでは、と好奇心を抱き、アルフォンソに同行させてもらうことに。
夕食の後、リクシャ―を捕まえて、海岸沿いへ。以前の記事でも書いた、ナイトマーケットや火葬場のある、日ごろから交通量の多い地域。いつも以上に混んでいるような気がします。本当にインド各地から信者たちが集まっているのかもしれません!その道中、アルフォンソから一つのマントラを教えてもらいました。シンプルで短いこのマントラは、ただただ神の名前を唱えるもの。インドの神様の中でも絶大な人気を誇る、クリシュナという神様を讃えるものです。みんなで覚えて口ずさみながら、いよいよ目的地に到着!
人・人・人…‼
まず目に入ったのは、巨大な白いテント。大~きな原っぱに、大~きなテント。さながら、フェスの会場のような雰囲気を醸し出しています。その巨大なテント内に足を踏み入れると、前方には巨大スクリーンも用意され、生でマントラを歌う歌手の姿が映し出されています。すでに会場内は盛り上がりを見せており、白い衣装に身を包んだ人たちがギッシリ‼
「ハレクリシュナ~ハレクリシュナ~♪クリシュナ、クリシュナ~♪ハレハ~レ~♪」「ハレラーマ~ハレラーマ~♪ラマ、ラーマ~♪ハレハ~レ~♪」
神の名を唱えるこのシンプルなマントラを歌手が歌い、続けて全員で復唱するスタイル。何千人もの大合唱は、鳥肌ものです。たまにリズムやテンポが変わったりしますが、マントラは同じ。恍惚とした表情で目を閉じている人、輪になって踊りながら歌うグループ、やっぱりどう見てもバリバリの宗教全開なのですが、その場を包む神聖な空気感、一心に祈りを捧げる人々の姿は、むしろ感動的です。それまで目にしてきたプジャーとはまた違い、献身とも評されるバクティヨガの一端を見られたような気がしました。
1時間ほどで会は終了し、徐々に引き上げていく人々。会場内にはしばらく、熱気と余韻が残っていました。そしてアルフォンソ君が次から次へと嬉しそうに声をかけておしゃべりをし始めるので、会が終了してからさらに1時間後、ようやく帰路につきました(^^;
生まれた時から信仰に身を置いているインドでは、宗教自体が当たり前。世界的に見ても、日本ほど無宗教の色が強い国の方が珍しいかもしれません。宗教=怖いという観念はどうしても付きまといますが、マザー・テレサやガンジーもバクティヨガの実践者と言われています。彼らは見返りを求めずに人々に奉仕・献身を行いました。神も人も自分も同一という考えがあり、だからこそすべてに対して愛をもって接したのだと思われます。
個人的な結論としてはやはり、宗教にせよヨガにせよ、そもそも‟良いもの”を伝えようとしているだけかと思います。そこに人の思惑や宗教間の対立といったものが入り込んでしまうから、本質がわかりにくくなるのでしょう。どちらも、根本は幸せを目指しているはずです!毛嫌いせず、自分で良いものを見極めていきたいものですね!
それではまた。NAMASTE!!
本田ゆうすけ
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