ヨガの最後にシャヴァーサナを必ず行う理由

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ヨガの最後にシャヴァーサナを必ず行う理由

JOHN HANC
JOHN HANC
2017-12-25

ヨガ歴史家のゲオルク・フォイヤーシュタインは、著書『The Deeper Dimensions of Yoga』の中で、シャヴァーサナ(シャバアーサナ、シャヴァ・アサナとも書く)が、14世紀に書かれたヨガの権威ある教典の一つ、『ハタヨガ・プラディピカ』で説明されている点――シャヴァーサナは疲労を防ぎ、心理的休息を得るためのもの――を挙げている。

フォイヤーシュタインによると、シャヴァーサナは「内なる静寂と強いエネルギーを結合し、まさにヨガの本質を象徴するもの」だ。また、彼はこの世で所有することを放棄した年老いた禁欲的なヨギたちの例も挙げている。腰帯だけ身につけた世捨て人のような外見は、“歩く屍”のように見えるかもしれないが、“内面は活気に満ちあふれている”と。

今日では、シャヴァーサナについてこう言えるだろう。私たちは自らをしばし死の状態に至らしめ、日々の仮面を外し、終わりのない不安ややるべきことを手放し、内なる生命の源とコネクトする、と。

シャヴァーサナを「亡骸のポーズ」と訳すのは間違っている?

再びニューヨーク州マサピーカでの話に戻るが、たいていの人は、亡骸と言えば、まさに死んでいる状態と考える。このポーズの名前自体が、誤解を生む原因の一つとなっている。“亡骸”というのは残念な翻訳ですね、と言うのはリチャード・ローゼン。ヨガジャーナルの寄稿編集者で、ロドニー・イーと共にカリフォルニア州オークランド、ピエモント・ヨガ・ スタジオの共同創立者である。「たしかに私たちにとっては死体という意味です。でもインドでは違います。彼らにとっての亡骸とは、肉体は不活性でも感覚が非常に冴えている状態のことなのです」。これこそが、シャヴァーサナで私たちが目指すもの――静穏で、マインドフル(心が集中している)な状態だ。

とはいえ、新しい名前として“感覚の冴えた死人”のポーズとか、“外側は死んでいても中身はノリノリ”のポーズなどと言っても認められないだろうから、おそらくずっと“亡骸”のポーズのままだろう。だが私たちヨギとしては、陰気な名称のせいで、練習での真に生命力にあふれたポーズであるという理解が得られないのは我慢ならない。

ヒューストンにあるテキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターの人事マネージャーで、運動生理学者のビル・バウンは、シャヴァーサナをマインドフルな瞑想(気づきの瞑想)として捉えている。そのため、シャヴァーサナは、国内有数のがんセンターで生死を扱うストレスフルな環境にいる医師やスタッフたちを助けたり、朝出かける前に子どもたちと格闘した後の疲労感をも鎮めてもくれるような、極めて有益なものとして考えている。

「深いリラクセーションにある程度ひたることによって、いわゆる無駄なおしゃべりから遠ざかることができるのです。例えば、絶え間なく続く自分自身との対話だったり、一時間前に怒鳴りつけてきた上司の言葉だったり、他にも人生で起きていることすべてからです」とバウンは言う。そして、その静かな“感覚の冴えたくつろぎ感”とともに、私たちは再び人生と向き合うこととなる。「だからこそ、クラスの終わりにヨガティーチャーが生徒たちを、現在に引き戻すことが重要なのです。エネルギーと活力を取り戻した状態で、再び人生に戻ることができるからです」

感覚が冴え、ゆったりとした平穏な状態でいれば、ストレスフルな状況にも効果的、かつ冷静に対処できるようになる。

Translated by Sachiko Matsunami
yoga Journal日本版Vol.25

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