ヨガ哲学って宗教…? どんな教えなの?【ニャンティの突撃インタビュー!♯乳井真介先生】

 ヨガ哲学って宗教…? どんな教えなの?【ニャンティの突撃インタビュー!♯乳井真介先生】
Nanayo Suzuki
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『ヨガスートラ』の「アヒンサー」を学んでみよう

N:ヨガ哲学の教えを学んで生活に取り入れていったら、どんな風に変われますか?

S:先ほども話したように、ヨガ哲学は「人生の取扱説明書」です。人生というゲームのルールがわかれば、うまくいかないことや望まない出来事が差し出された時も、気落ちしたりストレスを抱えたりすることなく、前向きな気持ちで前に進んでいくことができるようになると思いませんか? ヨガ哲学とはそういった教えなんです。

N:人生の説明書…、例えばどんなルールが書いてあるのでしょうか? 意識することで、今からでもすぐに実践できることはありますか?

S:もちろん、ありますよ。ヨガの根本経典『ヨガスートラ』に「アヒンサー」という教えがあります。これは“非暴力”つまり暴力を止めましょうという教えです。暴力と聞いて多くの人が最初に思い浮かべるのが殴る、蹴るなどの肉体的な暴力ではないでしょうか。しかし、ヨガが戒めているのは単に肉体的な暴力だけではありません。「暴力」という言葉は 「力」が「暴れる」と書くとおり、何かしらの力が暴れだし制御不能になってしまった状態を指します。

ヨガでは私たちが何かを行う時、

「思い(意)のレベル」
「言葉(口)のレベル」
「身体(身)のレベル」

の3つのレベ ルで見ます。これらの意・口・身という3つのレベルの行い は仏教で「三業」と呼ばれます。このうち「思いのレベル」は もっとも繊細なエネルギーでできており、思いのエネルギーが強くなると言葉が生まれ、言葉のエネルギーが強くなると行動が生まれます。

たとえ肉体的な暴力を振るわなくても、かっとなって言葉がコントロ ールできなくなり口汚い言葉を吐いてしまえば、それは言葉の暴力になります。そしてたとえ口汚い言葉を使わなくても、 心の中が嵐のような暴力的な思いで渦巻いていればそれは思いの暴力になるのです。たとえそれが思いのレベルであっても、暴力は敵対関係を生み出します。敵対は「つながり」の対極の状態です。

ヨガは「つながる」という意味の言葉ですから、つながりを手に入れるためにはまずは身の回りに生じているさまざまな敵対関係に終止符を打ち、停戦協定を結ばなければなりません。

まずは自分自身の暴力的な態度に対して意識的になる練習を繰り返すことから始めてみましょう。非暴力の心がけから、きっと身の回りに生じる敵対関係が少しずつ解消して、「つながり」が生まれていくはずです。

N:なるほど、肉体的な暴力だけじゃなく、思いの暴力を振るわないこともヨガ哲学の実践の一つなんだニャ! 

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Text&Illustrations by Nanayo Suzuki



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