「仕事のためにも体力はしっかりつけておきたい」一田憲子さんが語る更年期のあり方、続けていること
心と体が大きく変化することから「第二の思春期」とも言われている”更年期”。年齢とともに生じる変化の波に乗りながら生き生きと歩みを進める女性たちにお話しいただくインタビュー企画です。第3弾は、編集者の一田憲子さんへのインタビューを前後編でお届けします。
企画から編集、執筆までを手がける「暮らしのおへそ」「大人になったら着たい服」をはじめとして、数々の誌面で執筆を手掛け、著書も多数出版されている一田憲子さん。多忙な日々の中でも毎朝のウォーキングを欠かさず、ご自宅を美しく保ち、心身の健やかさが滲み出ている一田さんに、更年期の不調、働き方、暮らし方について伺いました。
仕事に邁進した30代
ーー一田さんはこれまでずっと編集者として活動していますか?
一田憲子さん(以下一田さん):大学卒業後、一般商社に勤めたことがあります。本当は、大学を卒業と同時に編集や出版に携わりたかったのですが、関西の出身なので自宅から通える範囲に出版社が少なかったんですよね。どうやったら出版界に行けるかもわからず、親の勧めもあって就職しました。
でも、何かが違うとは思っていたんですよね。その時にちょうど出版関係の仕事をしている人と知り合って結婚し、その仕事を手伝うようになりました。でもお別れしてしまって。親の反対を押し切って結婚して東京に来たものだから、帰るに帰れなくて。そこで、無理矢理に独立してフリーで活動を始めました。
ーー思い切った変化ですよね。おいくつの時でしたか?
一田さん:29歳でした。1人になって、仕事も独り立ちしたわけですが、独り立ちする準備が整っていなかったので最初は食べていくのが大変でした。あの頃は苦しかったですね。それでもコツコツできることを続けて、少しずつ食べていけるようになっていきました。とにかく必死でした。
ーー30代は仕事に邁進したのでしょうか?
一田さん:そうですね。とにかくライターとしてやっていくために寝る間も惜しんで仕事をしていました。今でこそ暮らし系の記事を書けるようになりましたけど、最初のうちは仕事を選べなかったので、ラーメン特集とか、街歩き系とか、とにかくできることはなんでも引き受けていました。海外のガイドブックに携わった時には、カメラ1台を持って1人で海外取材したこともあります。
徹夜することも珍しくなかったです。出版社に朝までいて、そこから空港へ行って出張に行くなんてことも平気でしていました。無理ができる年齢だったこともありますが、「できない」って言うなんて許されないと思っていたんですよね。
そんな感じだったので、30代は何よりも仕事を優先していて、自分のことを気遣う余裕は全くなかったです。体力も今よりあったし、気力も手伝ってどうにかがんばれたんでしょうね。
50歳から朝型生活へ
ーーそんな30代から働き方は変わりましたか?
一田さん:ちょっとずつ仕事が増えて、この仕事でやっていける気持ちにはなりつつも、自分としてはずっと仕事に振り回されてきた感覚です。働き方が変わったのは最近のことです。
変えようと思ったのは、年齢と共に今までのようには働けないと感じたからだと思います。例えば徹夜はちょっと厳しいですよね。だから少しずつ朝型に切り替えました。
ーー具体的に働き方を変化させていこうと思ったきっかけはありますか?
一田さん:晩御飯を食べた後、眠くなって原稿を書けなくなってきたんです。最初は眠くてもどうにか書いていたんですけど、翌朝それを見直すと酷いもので。書き直すことにしたら朝だと30分くらいで一気に書けちゃったんです。しかも、その方が余程いい原稿なんですよ。それでもう、夜は諦めて朝に切り替えようと思ったんです。
ただ、実際はなかなか諦めきれなくて。今までは夜遅くまで仕事をしてきたから、早く寝るのが不安なんですよね。もうちょっと仕事を進めておきたくなってしまう。でも、思い切って寝ないと早起きはできない。夜もまだ仕事をしたい自分と、早起きしたい自分とのせめぎ合いが何年か続いて、50歳を過ぎた頃に朝型にシフトしたんです。少しずつがんばって、朝型と言えるようになりました。
更年期症状と上手に付き合う
ーー年齢と共に体力が気力に追いつかなくなってくるだけでなく、更年期の体調の変化はありましたか?
一田さん:ありました。わかりやすいところで言うとホットフラッシュ。取材に出て、取材場所に到着した瞬間にぶわっと汗が噴き出るんです。顔じゅう汗だらけになってしまうものだから、取材先で心配されてしまって。ただ、ホットフラッシュは事例も知っていたし、本当に困るほどではなかったんです。
それよりも、喉の詰まり感のほうが気になりました。どうして喉が詰まる感覚があるのかわからないものだから、すごく心配になったんです。だから調べてもらおうと、まずは耳鼻咽喉科でファイバースコープで喉を診てもらったんですが、なんともないと言われて。それならば甲状腺に原因があるかもしれないと甲状腺科に行ってエコーで診てもらっても、やっぱりなんともないって言われたんです。だったら食道かもしれないと内科に行って内視鏡で診てもらったけど、食道も綺麗ですと言われて。じゃあどうしてだろうと調べたら、更年期症状で喉の詰まりがあることがわかったんです。
それから、更年期の友人に更年期症状について話してみたところ、同じように不調を抱えている人が更年期のサプリを教えてくれました。それを飲むようにしたらピタッと治って。ただ、サプリは高かったので、イソフラボンが必要なら自分で大豆を摂ればいいんじゃないかと思ったんです。それで大豆を食べたり、牛乳から豆乳に変えたり、ヨーグルトも豆乳ヨーグルトにしたり。そうやって変えていったら、サプリを飲まなくても大丈夫になりました。
ーー一田さんがご紹介されているレシピを拝見すると、様々な料理に豆乳を使われている印象でしたが、そんな理由があったのですね。
一田さん:そうなんですよ。料理に豆乳を使うようにしたら、どんどん大丈夫になっていったんです。今でも年に1回くらいは調子がおかしい時があるので、その時のためにお守りとしてサプリも持っています。基本的には豆乳を摂っていたら大丈夫だし、不調を感じてもサプリを飲めば治る程度まで落ち着きました。
ーー試行錯誤の末に更年期の不調とも上手に付き合うことができているのですね。
一田さん:五十肩で痛くてたまらかったり、鬱っぽくなったりっていう症状が出る場合もあると聞きますが、私自身はそういうことはなくて。あまりにもつらすぎることはなかったので上手く付き合えているんだと思います。
あとは、肌が荒れやすくなって、痒くなることもあります。そのため、化粧品を肌にやさしいものに全て変えました。これも試行錯誤がありましたね。化粧もしなくなりました。塗っても荒れちゃうから日焼け止めだけにしています。
仕事の環境を整えて更年期を迎える
ーー様々な更年期症状と折り合いをつけながらだとは思いますが、お仕事をセーブすることはなかったですか?
一田さん:セーブすることなく続けられました。ただ、セーブすることなく続けられたのは、仕事の環境を整えていたからだと思います。30代は息も切らさず走り続けましたが、40歳くらいでふと足を止めたんです。自分のこれまでを振り返ってみて、「私は何をしてきたんだろう」って考えました。そこで不安になったんですよね。「このままでいいのだろうか」って。それから、少しずつ仕事の環境を整えていったんです。これまではページ単位で依頼を受けてあらゆる女性誌でたくさんの仕事をしてひたすらに駆け回ってきましたが、40代では本を立ち上げて自分でやる仕事へとシフトしていきました。
健康維持のためにできることをコツコツ続ける
ーーお仕事の面でもしっかり準備をされてから更年期を迎えられたのですね。更年期をこれから迎える方は、体の面ではどんな準備をしておいたらいいと思いますか?
一田さん:やっぱり体のケアは大切ですよね。私は40代半ばでヨガを始めました。体が硬かったからヨガは無理だと思っていたんですけど、取材で出会った方がヨガをされていて、毎日続けたら絶対に柔らかくなるよと言われたんです。それで近所のヨガスタジオに週1回ほど通い始めました。ただ、その頻度だとあまり変化がわからなくて。自分で毎日練習しないとダメだと思って、家でストレッチなどできることを始めたら少しずつ柔らかくなっていきました。若い頃はすぐに結果が出ないと嫌なタイプだったんですけど、体のことってすぐに結果は出ない。それでもコツコツやれば必ず変わるんですよね。
他にも、毎朝ウォーキングに行っているのですが、30分2キロ歩くだけでも毎日続けると足腰が鍛えられるんです。書く仕事だから肩こりが気になるので、肩甲骨をほぐす運動を教えてもらったり、骨粗鬆症の予防のためにかかと落としをやったり、色々と自分に合うやり方を組み合わせて毎朝ケアしています。そうやって、健康維持のためにできることをコツコツと続けていくことが大切だと思います。
ーーコツコツ続けるって大切ですよね。毎日欠かさず続けられているところが素晴らしいです。
一田さん:そうじゃないと調子が出なくなってくるんですよね。ウォーキングもちょっと行かなかったら、疲れやすくなっちゃう。取材で最後のもう1問を聞く粘りって、体力がないとできないんですよね。だから、仕事のためにも体力はしっかりつけておく。気力は体力から生まれるから。
後編では、一田さんのこれからについて伺います。
AUTHOR
磯沙緒里
ヨガインストラクター。幼少期よりバレエやマラソンに親しみ、体を使うことに関心を寄せる。学生時代にヨガに出合い、会社員生活のかたわら、国内外でさまざまなヨガを学び、本格的にその世界へと導かれてインストラクターに。現在は、スタイルに捉われずにヨガを楽しんでもらえるよう、様々なシチュエーチョンやオンラインでのレッスンも行う。雑誌やウェブなどのヨガコンテンツ監修のほか、大規模ヨガイベントプロデュースも手がける。
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