ポリコレは「お笑い」を殺したのか|そもそもなぜ人は笑うのか。何を笑うのか

 ポリコレは「お笑い」を殺したのか|そもそもなぜ人は笑うのか。何を笑うのか
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そもそもなぜ人は笑うのか。何を笑うのか

今現在、世の中の流れは、「差別発言は笑いの文脈のなかでもNG」という方に傾いている。

ポリコレの意識が浸透し始めたからだ。ポリコレとは、ポリティカル・コレクトネスの略で、「人種や宗教、性別、容姿などの違いに対する偏見を助長したり、差別的な扱いをしたりするのはやめよう」「差別的描写ではなく、公平な描写を心がけよう」という概念だ。

では、ポリコレ意識が浸透することでお笑いはやりにくくなるのだろうか? この疑問に応えるためには、「なぜ人は笑うのか。笑いとはなにか」を検討する必要がある。

プラトンやアリストテレスなど古代ギリシアの哲学者たちは、人は他人の弱さ、不幸、欠点、引さを見ると喜ぶと考えた。トマス・ホッブスは、人は他人と比べて自分が優れていると思うとき、プライドが高まって気分がよくなって笑うのだ、と分析した。このような「誰かを侮蔑するユーモアが面白いのは、その対象よりも自分が優れているという優越感を感じられるからだ」という観点を、優越理論という。優越理論によれば、自分の立ち位置によって、同じユーモアでもおもしろいときとそうでないときがあるという。自分の優越性が感じられる際には面白いけれど、逆に自分がけなされたと感じれば面白くなくなる。人は自分が同一視できる集団に優越感を持たせる冗談、つまり自分と同一視したくない集団をこき下ろす冗談を楽しむのだ。決して自分と同一視したくない、できない集団に対する侮蔑は、みずからの属する集団の優越性を確認できる楽しい経験となる。(※1)

優越理論とは少し違った角度からで笑いにアプローチした哲学者もいる。ベルクソンだ。ベルクソンは、笑いとは常識から外れた人やものを「外れているよ」と示すサインであり、人間が社会的生き物だからこそ生じた表現だと述べた。つまり笑いは、自分たちの属する属性こそが主流だと主張し、それ以外を端っこに追いやる装置にもなるのだ。(※2)

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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