「エンパシー」はなぜ必要か|ブレイディみかこの著書と岡崎体育の楽曲から考える

 「エンパシー」はなぜ必要か|ブレイディみかこの著書と岡崎体育の楽曲から考える
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回のキーワードは、「エンパシー」。『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋 ブレイディみかこ著)から見る、エンパシーの意味や、必要性とは?

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エンパシーとシンパシーの違いとは?

日本では、エンパシーもシンパシーも「共感」と訳されるため、両者がごっちゃになりやすい。以下に、本書で紹介されているシンパシーとエンパシーの違いをまとめてみた。

シンパシーとは

・誰かをかわいそうだと思う「感情」

・ある考え、理解、組織などへの指示や同意を示す行為

・同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解

・共感ベースの他者理解

エンパシーとは

・他者の感情や経験などを、理解する「能力」であり「知的作業」

・認知的バイアスを外す努力

・他者の靴を履くこと(他者の立場になって考えること)

・共感ベースではない他者理解

並べてみると、同じ「共感」と訳されるふたつの単語は、実はまったく違った意味を持つ言葉だということがわかる。

シンパシーは「感情」であり、それゆえ、SNSの「いいね!」のように即座に反応できるものだ。簡単で、ときに気持ちよくなれるものでもある。

一方のエンパシーは「能力」であり「知的作業」だ。シンパシーは同じような価値観や経験に対して同調する行為なので素早く発動できるが、エンパシーは自分とは違う他者の立場に立つ行為なので、時間がかかるし、労力もばかにならない。

エンパシー能力はなんで必要? エンパシーがない状態とは?

エンパシーとは、「共感できない他者を理解する能力」であり、エンパシーがない状態とは、「共感できないと他者を理解しない」または「できない」状態だ。

共感なしには他者を理解できないとなれば、自分とはかけ離れていると感じる人に思いやりを持てず、排除する方向に向かいかねない。在日外国人を含む外国人差別や、性犯罪被害者への誹謗中傷、生活保護受給者への差別、年齢差別、学歴差別、外見差別、同性愛差別といったあらゆる差別は、エンパシーの欠如が一因となっている。

また、エンパシーがない人は、当事者の靴を履くことなく、「お前が努力しないからだ」と他人を責めがちだという点で、新自由主義と親和性が高い。マーガレット・サッチャーは私設秘書のティム・ランケスターから「彼女は、シンパシーのある人だったが、エンパシーのある人ではなかった」と評されおり、ゆえに側近には愛情深く接したが、市政の人の困窮にはどこまでも冷酷になれたという。

為政者や権力者のエンパシーの欠如は、新自由主義を加速させ、経済的格差を助長させることにもつながるのだ。

エンパシーは、自分のためになる能力であり、生き延びるためのスキル

これからの時代、エンパシーという能力を鍛えることが必要だ、と著者は言う。

「多様性の時代だから、自分とは違う他人を理解しましょう。様々な人と共存する社会のために」「差別を解消するために」……という社会的な理由だけではなく、エンパシーという能力を磨くことが、自分の利益にもなるというのだ。

エンパシー能力が他者の利益ではなく、自己利益につながると言える理由はいくつかある。

ひとつには、エンパシー能力が高い人は、そうでない人に比べて、世界の見方に広がりや深みが出る、という点が挙げられる。共感をベースとしない他者理解を絶えず行うことで、自分とは違う価値観や世界があることを理解できるのだ。「ここではない世界や価値の尺度が複数ある」と実感することができるので、「今いる場所でしか生きられない」と切羽詰まることもない。世界は広いし、価値観は多様だと知っているので、根本的に楽観的になれるのだ。

また、エンパシー能力を高めることは、自分を理解するためにも役立つ。日本に暮らしていると、自分が日本人でありアジア人だと意識することはほとんどない。外国に出てはじめて、「やっぱり自分は日本人だなあ」とか、「自分ってアジア人だったんだ」と意識することはよくある。同様に、自分とは全く違う他者の経験や考えに触れることで、自分との違いを認識し、自分のアイデンティティや感情をより深く理解できるのだ。

こういった理由から、エンパシーは、「個人が自分のために身につけておくべき能力であるとともに、生き延びるためのスキル」だと著者は言う。他者の立場になって考えることは、平和な社会の実現に不可欠なことであるから、自分のために必要なエンパシーという能力は、結果的に社会のためにもなる。

「僕を、あなたを、学べる人になりたい」と歌う岡崎体育

私が本書を読んだとき、最初に頭に浮かんだ曲が、岡崎体育・作詞作曲の『おっさん』だった。『おっさん』は、聞きようによっては「エンパシー能力高めたい」という意図が組み込まれた歌に聞こえる。

『おっさん』は、これまでの「当たり前」がどんどん時代遅れになり、世間との軋轢が生じそうになっている(将来生じるかもしれない)岡崎自身をも含めた「おっさん」に向けて、「更新していこう。新しい価値観を学ぼう。素敵に歳をとろう」と明るく歌い上げる応援ソングだ。

私が『おっさん』にエンパシー味を感じた点は2点ある。

ひとつは、「僕を、あなたを、学べる人になりたい」という歌詞。「くたびれた柔らかいソファの座り心地に囚われて」という歌詞に現れているように、「価値観を更新すること」「自分とは違う他者を学ぶこと」を、岡崎は億劫で面倒なことだと理解している。そのうえで、「学びたい」という姿勢を示す。共感ベースではなく、簡単にはいかない他者理解を努力して行いたいという姿勢。これこそがエンパシーではないだろうか。

ふたつ目に、「更新」したい、と言う理由が、かなり利己的な点が挙げられる。「めっちゃ年下の後輩とかにも好かれたい」「なるべく多くの関係者たちに惜しまれながら死にたい」ので、「更新」したいんだよね、と岡崎は歌う。他者のためではなく、自分のために価値観を更新したい、その利己的な気持ちによる更新が、素敵なおっさんを作り上げ、結果的に利他的にもなっている……ここでも、利他と利己が共存し混じり合うエンパシーに通じるものを感じた。

岡崎はSNS上で『おっさん』を作成した理由を以下のように述べている。

『僕がこの曲を作った理由は、人の大切なものを勝手に齧るような格好悪いおっさんのニュースを最近見たから。パワハラセクハラモラハラ。失言失態。軽視蔑視。自分はそういうおっさんにならないように、いつでも時代を学ぶ努力ができるようにこの曲を作りました』

社会的地位や年齢が高くなればなるほど、「他人に配慮しなくていい(他人の靴を履かなくていい)」立場になりがちだ。エンパシーは年齢性別問わず誰にとっても必要な能力だが、岡崎があえて「おっさん」に向けてメッセージを送った理由もそこにあるように思う。

人の大切なものを齧ったおっさんには、明らかにエンパシーが欠けていた。

エンパシーは支配や権力とは切り離して考えなければならない理由

ここでひとつの疑問が出てくる。

「齧ったおっさんの気持ちも想像してみよう。きっと理由があったんだよ。仕事のプレッシャーとか」……などと「他者の靴を履いて考えるべき」なのか?

こういった疑問に対して、著者は、「エンパシーはアナーキー(あらゆる支配への拒否)とセットではければならない」と回答する。

市井の人が、権力者や支配者層の気持ちを慮りすぎると、どんな理不尽も許してしまい、支配構造が強化されかねない。ブラック企業に勤める従業員が、「社長も考えがあるのだから」と滅私奉公的に働けば、心身の健康を害するリスクがある。また、DV被害者などの犯罪被害者が加害者に思いを寄せすぎることで、被害が放置される危険性も考えられる。

よって、「他者の靴を履く」際には、そこに支配が潜んでいないかを、見極める必要がある。いいことばかりに思えるエンパシーも、使いようによっては闇落ちしてしまう可能性もあるので、注意が必要だと言えるだろう。

さいごに

本書には、エンパシーという能力を日常生活で鍛えるために具体的に何をすればいいのかは書かれていない。だが、エンパシーとは何かを理解したい・知りたい人にとっては最適な一冊だと言えよう。

共感ベースではない他者理解を意識し、「他者から学べる人になりたい」という謙虚な姿勢は忘れずにいたいと思える一冊だった。

▶︎書籍情報

他者の靴を履くーーアナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ・著(文藝春秋)

ブレイディみかこ
他者の靴を履くーーアナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ・著(文藝春秋)

 

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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