「病気だからって、悲しいことだけじゃない」ヘアターバンデザイナー宮井典子さんインタビュー【前編】

 「病気だからって、悲しいことだけじゃない」ヘアターバンデザイナー宮井典子さんインタビュー【前編】
Noriko Miyai
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夢見た上京も半年で膠原病予備軍に

――上京後、インストラクターとして前向きに人生の道が見えてきたころに、膠原病予備軍と診断されることに。当時のお話もお伺いできますか。

宮井さん:父を見送ったあとに東京に来たんですけど、最終的に東京に行こうと決めた一番のきっかけは父を一緒に看てくれていたケアマネージャーさんの一言だったんです。30代前半だし、今さら行かなくてもっていろんな人に言われたなかで、多分背中を押してほしかったんでしょうね。「どう思いますか?」って聞いたら「ご両親と一緒にいる人生じゃなくて、これからは自分ひとりの人生を歩いて行っていいんだよ」って言われたんですよね。

その言葉もあって、自分のために生きよう!って。夢いっぱいの東京生活を描いて、夢や希望に満ち溢れて。でも、半年くらいだったかな。体調が悪くなってしまって……。

長引く風邪の初期症状を自覚していたので、病院に駆け込む前にピンときていたんです。症状をネットで検索したときに「膠原病」と出てきて「お母さんと一緒だ」って。当時は遺伝性が強いと聞いていたので「私も死んじゃうんだ」って思ってしまったんです。

駆け込んだ病院で「膠原病予備軍。発症するかしないかは分からないけど、ギリギリの数値」と言われたときには「やっぱりな」と思うと同時に、主治医の言葉ですぐに切り替えられたんです。

当時の主治医から言われた「お母さんの時代とは違いますよ」という一言が、スッと受け入れられたんです。病気を、ではなく先生の言葉がスッと入ってきたんですね。もしかしたら発症ではなかったというのもあったと思いますが、発症しない人が8人に1人と言われたかな。そのくらいの確率でいるから、その1人になってくださいと言われて、「私、なれるかも!」と。根拠はないんですけどね。ポジティブすぎますよね(笑)。

――もともとネガティブだったところから、そういう受け止め方ができるようになっていたということですよね。

宮井さん:そうなんですよね。ネガティブで根暗な幼少期だったとお話しましたけど、いつもお遊戯会で主役になる子を指でくわえて見てるタイプだったんです。そういった幼少期の経験も今、繋がっているのかなと思うときがありますね。

主役になれる人生になるにはどうしたらいいのか。そう考えたときに、今までみたいな指をくわえて見ているだけの人生でいいの? 私は嫌だなって。ひとつずつ選択しながら生きてきた感じです。病気があっても諦めたくない。そういう思いにも繋がっています。

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取材・文/吉田光枝

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ヨガジャーナルオンライン編集部

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ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。



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