【禅宗の僧侶が説く】ウィズコロナ時代、今こそ知りたい!シンプルに生きるための禅(ZEN)の教え

 【禅宗の僧侶が説く】ウィズコロナ時代、今こそ知りたい!シンプルに生きるための禅(ZEN)の教え

社会が混沌とした状況にあるなか、心を健やかに保つのが難しいと感じることがあります。そんなとき手を差し伸べてくれるのが、数千年以上前から人々の生きる道しるべになってきた禅(ZEN)の教え。曹洞宗の僧侶である河口智賢さんに日常的にトライできる禅(ZEN)の実践法や、心にストンと落ちる禅語について教えていただきました。

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修行ではなく、誰もが日常生活で実践できる「禅(ZEN)」

禅(ZEN)は、釈迦がインドの菩提樹の下で坐禅をして悟りを開いたことを起源とし、その後インドから中国へと渡った達磨大師が坐禅を基本とした修行を行ったのが始まり。洞窟の壁に向かって9年間坐禅を続けたという逸話が残っています。その後、鎌倉時代になって日本に伝えられた禅(ZEN)が、今ふたたび注目されています。まずは禅とは何かを紐解いていきましょう。

禅
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「釈迦が仏教を始めたのは、人生の苦しみから離れて少しでも楽にいきるためでした。非常に苦労することを仏教の言葉で『四苦八苦』と言いますが、生きること、年を取ること、病気になること、死を迎えることの4つの苦しみが『生老病死』。さらに愛する人と別れること、欲しいものが手に入らないこと、怒りや憎しみを向けられること、身体的な痛みを負うことを合わせて四苦八苦と表現します。人生は苦しみと共にあり、その苦しみから逃れるために説いた八正道(はっしょうどう)という実践法のひとつが坐禅を基本とした禅(ZEN)です。禅(ZEN)の目指すゴールは宗派によって異なり、私が信仰する曹洞宗では、禅(ZEN)とは『人生を豊かにするための日常生活における実践』と捉えています。長い修行を積んで悟りの境地を目指すイメージがありますがそうではなく、この瞬間というものを重視し、例えば坐禅をしようという行動を起こしたことが豊かな人生への一歩。その時々に得た気づきが悟りなのです」(河口智賢さん)

無宗教でもOK? 禅の入口は広く坐禅以外の実践法も!

禅(ZEN)には現代を生きるうえで役立つ教えが多いですが、どうやら仏教への信仰心がなくても学ぶことができ、どんな人にも禅(ZEN)の扉は開かれているようです。

「もちろん宗教を信じていなくても学べます。ですが、独学で学ぼうとするとご自身の思想が入ってしまうので、興味がある方はまず禅宗の僧侶が開く坐禅会や法話の会に参加してみるのがいいでしょう。坐禅を行うときは背筋を伸ばして座り呼吸を整えると、心もおのずと真っ直ぐになります。一番大事なのはあるがままを受け入れ、そして受け流すこと。雑念が浮かんでも心がざわついている状態が今の私なんだ、と受け入れてあらがわない。それができると心が鎮まっていきます」(河口智賢さん)

また禅(ZEN)とは日常生活における実践なので、坐禅を組む以外にもあらゆる日常の営みを丁寧に、心を尽くして行うことで禅(ZEN)の実践につながります。

「例えば食事のときは、目の前の料理ができあがるまでの経緯を想像し、食材の生産者、料理を作ってくれた人、動植物の命に感謝し命を頂戴するという思いを込めて『いただきます』を言ってみましょう。そしてテレビやスマホを見ながらの”ながら食べ”をやめて、料理を口に運んだら一度器を置き、しっかり咀嚼して素材の味や食感を味わうこと。

食べる
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禅宗では食事を担当する役職である典座(てんぞ)の心構えを記した『典座教訓』があり、そうした作り手の心を食べ手が受け取って初めて命の循環が行われると考えられ、食事と向き合う姿勢が重要視されています。また動の坐禅と言われるのが掃除です。やらされていると思わず、一緒に暮らす家族のため、お店であればお客様のため、という利他的な考えに改めて行ってみましょう。この世は周りと調和することで成り立っており、自分中心の利己的な生き方は他者との衝突を生むため、禅の実践を通して利他的な精神を育んでください」(河口智賢さん)

世界のエグゼクティブが実践!国境を超えて広がる禅(ZEN)の教え

禅は海外で「ZEN」として広まり、Appleの共同創業者であるスティーブ・ジョブスが禅(ZEN)から派生したマインドフルネスを実践していた話しは有名ですが、ほかにもGoogleやFacebookの企業研修でも瞑想が取り入れられています。ビジネス界では禅が意識や行動にどのような変化をもたらしているのでしょうか。

「私も日本国内の企業に講演に行く機会がありますが、禅(ZEN)を通して経営者や社員の間に利他の精神を養い、会社のより良い成長につなげたいという思いを感じます。会社の発展には利益の追求が不可欠ですが、自分だけが富を得ようとするとひずみが生じるものです。仏教では『利益』とかいて『りやく』と読み、まずは社員やその家族を守り、お客様に喜びを提供する、または地域貢献や社会貢献など相手のためにして差し上げようという利他的な行動の結果、その『御利益』として会社が潤うという循環を作ることが発展を続けるための秘訣です。そうした意識変容、行動変容のツールとして禅(ZEN)が注目されていると感じます」(河口智賢さん)

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頑張り過ぎの人にこそおすすめ!禅(ZEN)は心の特効薬に

人は苦しみの中で生きていると仏教では説いていますが、河口さんが特に禅(ZEN)をすすめたいのは、どんな状況に置かれている人でしょうか。

「悩みがひとつもないという人は少なく、置かれた状況によってそれぞれが悩みを抱えていると思います。その中でも自分を押し殺したり、『私は大丈夫』が口癖だったりして『我慢してしまう人』に禅をおすすめしたいですね。仏教でいう我慢は慢心、つまり自分に対する過信や過大評価であり、短い時間でもいいので坐禅を組んで自分と向き合うと実は大丈夫じゃないことに気づき、次に取るべき行動が見えてくるはずです。利他的な意識や行動が重要だと言いましたが、自分が整っていなければ他者を思う心の余裕は生まれません。まずは自分の体と心の声を聞くようにしましょう」(河口智賢さん)

心を楽にする「禅語法話」を悩み別に解説

お悩み「コロナ禍では行動制限が多く我慢ばかり……。できないことばかりで嫌になります」

「確かに昨年から我慢することが増えていますね。そんなときは今の自分にとって本当に必要なものを自問してみましょう。禅語には『明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)』という言葉があり、『明珠』は宝物、『掌』は手のひらを意味し、本当に大切な宝物は自分の手のひらの中にあるということを表しています。

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坐禅を行うときに右の掌の上に左の掌を重ね、左右の親指を合わせる法界定印(ほっかいじょういん)という手の組み方をしますが、必要なものはその手の中にすべて収まっていると言われています。自分自身や家族などかけがえのないものに気づけると、ない物ねだりをせず『家族といるだけで幸せ』『今日という日を健康で過ごせて有り難い』と、身近な幸せに目が向いて本当に必要な物を再確認できます。

自分にない物が欲しくなるのは人間の心の習性ですが、欲が増えるほど手に入らないことも増えて苦しみが伴います。この機会にすでに持っている宝物に気づき、『足るを知る』の精神にも立ち返ってみましょう」(河口智賢さん)

プロフィール/河口智賢さん

河口智賢さん
曹洞宗耕雲院副住職(山梨県都留市)。曹洞宗大本山永平寺で修行を積み、現在は副住職の傍ら曹洞宗布教師、梅花流師範、全日本仏教青年会理事、全国曹洞宗青年会第22期副会長を経て地域、学校、行政、企業と交流し「禅」の魅力を発信。主な活動はオンライン座禅会、精進料理教室、講演、子ども食堂、ヨガとのコラボレーション企画など。映画『典座-TENZO-』に主演、製作も行い第72回カンヌ国際映画祭で高い評価を受け、マルセイユ国際映画祭では観客賞を受賞している。「オンライン坐禅会」毎週日曜日朝6時〜7時、毎週月曜日夜9時〜9:20開催。禅の食べ方教室「典座教室」毎月月末開催。

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text by Ai Kitabayashi

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ヨガジャーナルオンライン編集部

ヨガジャーナルオンライン編集部

ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。



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