なぜトイレットペーパーだったのか|性教育を広めるZ世代・鶴田七瀬さんが思う「日本の性教育の課題」
相談できる環境を整えることも性教育
――日本では性教育というと、体の仕組みや男女の性差についての知識というようにとらえられがちですが、鶴田さんはジェンダーロールや自分らしく生きることも性教育に含まれると考えていらっしゃいます。
私にとっての性教育は授業や教科書で得るような知識だけではなく、もっと環境を整備していく、といったイメージです。困ったとき、すぐに相談できる人を身近に作ることも、お互いに健康的なコミュニケーションができる力を養うことも、私にとっては性教育です。
最近、性教育というワードが少し適切じゃないのかもしれないと思ってはいるんですけど……。性の悩みを持ったとき、怖い経験をしたときにすぐに相談できて、解決できる環境を整えることが「性教育を広める」という私の活動の柱です。
――そういった活動を始めようと思ったのは、性教育を学ぶために留学した海外での経験からでしょうか。
もともと「何か社会に貢献できる活動がしたい」という気持ちがありました。社会貢献、といえば聞こえはいいですが、自分が幸せになるために何かしたいなと思っていて。何かしたいけど、何をしたらいいのか分からないと思っていたとき、自分にとっての大きな課題が「性」だということに気が付きました。
ちょうど海外に行くことで日本を客観視したいという考えを持っていた時期でもあったので、福祉や性教育の制度が整っていると聞いて興味を持っていた北欧に留学して。当時は資料も多くなかったですし、やっぱり現地の方がどのように感じているのかを実際に肌で感じてみたいという思いもありました。
――留学先の北欧で、日本との差を感じたのはどういった部分ですか。
自己肯定感の高さ、でしょうか。一見、性教育とは関係ないと思うかもしれませんが、例えば「自分の価値を感じたい」「他者から性的に求められることで自分に価値があると思える」という理由で、望んでいるわけじゃないけど性行為をしてしまう。過去の経験を正当化するために、それを性被害だと思わずに同じことを繰り返してしまう。そういった行動の根本にあるものは、やっぱり自分が愛されているのか分からない、という感覚だと思うんです。
日本と違って、愛情表現をはっきりする方が多いので、そこに不安を感じる方が少ないなというのは感じました。自分が何もできなくても価値がある人間だと思えるかどうか。そこの水準が高いんです。
また、親や学校の先生との関係性にも違いを感じました。日本だと「先生は友だちじゃないから」とよく言われますけど、例えばデンマークだと、すごくフランク。丁寧な態度でもちろん尊敬もしているけど、無駄に卑下することがないというか。相談しやすい関係なんですよね。悩みを持ったときに相談できる環境が整っている、ということはすごく感じました。
もちろん性教育についての授業内容も全然違うのですが、性的なことに影響があるだろうなと思ったのは、この二つですね。
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ヨガジャーナルオンライン編集部
ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。
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