国家公務員だった私が今、福島でサスティナブルな化粧品を作る理由
5年足らずで転職。今度は心が苦しくなる仕事に疑問が
しかし、体は限界にきていた。
「ちょっと気を抜くと、体調を崩す。寝ている間もずっと気を張っていなければいけない状態で、足掛け5年ですが、その年月の2倍、10年は働いた感覚でした。仲間も大好きだし、仕事がいやになったわけではないけれど、もう無理するのはやめようと思って、民間のコンサルタント会社に転職しました」。
転職後は、全国各地で地域活性化事業に携わることになった。これは、小林さんが「人の役に立ちたくて公務員になったのに、現場を知らな過ぎて、役に立てないと実感していたから、現場に近いところで働きたい」と望んだからだった。
「ちょうど地方の人口減少が言われ始め、地方創生が言われ始めた頃でした。全国いろんなところを担当して、そのなかに福島もありました。それぞれの土地にいろんな課題があるけれども、まず福島のことをやらないで、今の日本をどうにもできないと思うようになったんです。というのも、計画やプランを提案するコンサルタントはあくまでも外部の存在であり、福島の人にとっては"外から来た人"でしかなかったんですね」。
そこには、どうしても壁を感じないではいられなかった。
「私が出会った福島の人は嘘をつかない、純粋な人たちでした。その人たちを前に、言葉で東北のために・福島のためにと言っていても、私はどこまで今の暮らしぶりや、人々が困っていることを知っているのだろうか?それに根差した計画を提案できているのだろうか?と考えると、だんだん苦しくなってきて」。
今度は、心の限界だった。
「福島の人口は限られていて、農村では60代が若手と言われているのが現実。今の暮らしのその先を、若い私たちが考えないと、後継者がいなくなる、農産物も作れなくなる。それを解決する人がいないとわかり、ここで福島にお金を生み出す事業を始めないと、私は後悔すると思ったんです。そのためにはまず、福島に住んで、日常の会話のなかで本当に困っていることは何かを知ってから始めよう、と」。
福島へ移住。日常の風景から、柿の持つパワーにひらめく
2017年夏、小林さんは福島県国見町に住民票を移し、福島県の中通り北部にある、人口約8600人の町で暮らし始めた。国見町を選んだのは、コンサルタント時代に訪れたとき、直感で「いい町だな」と思えたことと、まだ外から入ってくる若い人がいなくて、頑張れば何かできるかもしれないと思えたからだった。
「最初は壁のようなものはありました。いきなり東京から来て、農作業しているところに行って『勉強させてください』って言うんですから。でも、だんだん仲良くなって信用してもらえて、いろいろ話を聞くことができて。桃の収穫の季節には、規格外の桃の扱いに苦労している話を聞いて。箱詰めすると傷むし、コストもかかるから、もったいないけど廃棄している話を聞いて、だったら、コンテナで出荷し、箱詰めは必要なときだけやればいいという提案をしたり」。
そうこうしているうちに冬になり、特産品のあんぽ柿の製造が始まった。
「顔見知りになったばあちゃんが毎日、ものすごい量の柿の皮を畑に捨てに行くのを見て、大変だなあと思いながらも、柿の皮って捨てるしかない? 何かあるのでは? と思い、国会図書館に行って柿についての勉強をしたんです」。
実は、柿は縄文時代や弥生時代の遺跡から種の化石が発掘されており、奈良時代には日本の各所に流通していた、日本人にはなじみの深い果物。小林さんはさまざまな文献を調べ、昔から伝えられてきた食以外の柿の活用法や、柿の持つ成分やその効果効能についても調べた。
「国見町に住み始めたときから、豊かな自然や丁寧に育てられた植物を見て、なんとなく、何かコスメを作れたらいいなとは思っていたんです。柿について調べていくと、渋柿に含まれるタンニンが消臭、収斂作用があることをがわかり、役に立たないわけがないと、確信のようなものを持ったんです」。
失敗を繰り返し、ついに天然成分のデリケートゾーンケアのブランドが誕生
これがデリケートゾーンケアブランド『明日 わたしは柿の木にのぼる』の始めの一歩だった。2017年末、日本ではまだ「フェムテック」という言葉は広く知られてはいなかった。
「当時は私自身も、フェムテックという言葉は深く理解していませんでした。ただ、コスメを作るなら、女性の人生やライフスタイルに寄り添えるブランドでありたいと思っていたし、使ってくださる人には自分の体や心を大事にして欲しいと思っていたので、自然とデリケートゾーンケアの商品開発に導かれていきました」。
ここからのスピード感は、5年で10年分働いた小林さんならではだった。知人の伝手をたどり、植物由来の成分を処方する専門家に連絡し、「どうせ売れないから」と断られても頼み込み、相手が根負けするまでアタックした。試作品が完成しても、なかなか納得のいくものができず、数えきれないほど試作を繰り返した。
「デリケートゾーンのph値を踏まえて、菌のバランスを崩さず、しかもふわふわの泡が立つウォッシュにしたいと考えたのですが、泡のふわふわ感を天然成分だけで作るのはなかなか難しくて。成分は納得できるものだけにしたいと、また一から作り直したり」。
『明日 わたしは柿の木にのぼる』が安心であることを証明する検査も必要だった。
「あるアンケートで約8%の人が福島県産のものは買いたくないと答えていたという現実が、まだあるんですね。デリケートゾーンに使用するものなので、表示や公表の義務はあませんが、放射能検査も残留農薬検査もしました。表には出ないけれど、自分のプロダクツは心から安心して伝えたいから、そうした検査は徹底的に行いました」。
こうした試行錯誤の繰り返しで約2年、2020年1月、ようやくデビューにこぎつけたのだった。
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