地球環境にとって「私が何を食べるか」の選択はなぜ大事なのか|せきねめぐみの、肩の力を抜くごはん
ただ、逆のことも言えます。もし私たちが愛を持ち、自分たちの体を大切に扱うならば、その思いや行為はちゃんと地球や自然に反映されていくということです。愛情深い人は時として、自分ひとりが何をしても世界が変わるわけない、とふさぐこともあるかもしれませんが、大らかな自然の摂理はそんな不安さえ優しく洗い流してくれます。皆が皆環境アクティビストになれませんし、なる必要もありません。ただ今のままで充分に、生き生きと生きることのできる体を私たちひとりひとりは持っています。この身を通して、今いる場所から、それぞれが世界へ愛を届けられるのです。
そのためにまずできることが、何をどう食べるか?という選択だと私は考えます。地球環境を守るために身ひとつですぐにでも参加できる、手っ取り速くて持続可能なデモみたいなものです。生まれてから今日この日まで私たちが欠かすことなく続けているのが食事ですので、その結果は大きな違いを生むのではないでしょうか。今日の夕食にしようと今まさに手に取ろうとしている食べものは、どこでどのようにして作られたのか?環境を過度に破壊して手に入れた原料は使われていないのか?一体何が、環境破壊を推し進める食べものなのか?それらはどれくらいの頻度で食べれば大丈夫なのか?教科書やテレビでは教えてくれないことに頭を突っ込んで、自分の為に、地球のために生き生きと学ぶのです。心意気が、体を導いてくれます。人身小天地は、人心小天地でもあるのです。
物質的には貧しかったかもしれないけれど、精神の豊かさや大らかさがあった少し前までの時代。当時は珍しかった身体的・精神的な様々な病気や症状が芋づる式に増えてしまった現代。私たちが病んでいることは、地球が病んでいることのしるしです。地球がこの先も病んでいくならば、私たちも病み続けます。
地球も人間も動植物も、あらゆる生き物は同じ宇宙を内側にはらみ、つながり合い、循環しあいながら同じ命を生きています。苦しく先が見えないだけの循環を、本来のあるがまま、心地よい循環に変えていくことが、この多様性を守ることだけが、私たちが生き延びる方法ではないでしょうか。地球や大自然に耳を傾けることは、私たちが自らの体と心に耳を傾けることと同じ。私たちが良くなることが、地球が良くなることなのです。「食という字は、人が良くなる、と書く。生きている以上、少しでも向上しなければ、食べる意味がない」と高森顕徹さんは言いました。厳しい言葉ですが、今こそ前向きに捉えていきましょう。
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AUTHOR
関根愛
俳優を始めた十数年前よりアトピーなどさまざまな心身の不調を感じてきたことで、薬に頼るのをやめて自分の体の声を聴きながら養生していくために自然食を始める。「じぶんらしく生きるための食養生」をテーマにInstagramやnote、Youtubeで日々発信をつづける。マクロビオティックマイスター。映画制作者、ライター、翻訳者としても活動。座右の銘は「山動く」。
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