"体"を媒体に表現活動を行う作家チョーヒカルが語る「誰もがエイリアンである」という言葉の真意
コンプレックスから絵を描き始めて、仕事になった
「実は、『私はかわいくない』というのも、アートを始めた動機のひとつなんです。思春期のときに『私は顔ではやっていけないな、顔でのし上がるのはムリだ』と思い、『手に職をつけよう』と思って絵を頑張ったんですね。SNSで作品を発表していくうちにテレビなどメディアに出していただけるようになったのですが、どんなに絵がうまくなっても『やっぱり美しくないことは悲しい』という呪縛からは逃れられませんでした」
——車内広告やテレビやインターネットなどを見ていても、容姿で人生が決まるかのような外圧を受けているなあとつくづく思いますね。
「その呪いを解くために、かわいくなる努力をしてみたんです。最初はモテ方向で、セミロングで前髪を斜めにして、小花柄の白いふわっとしたワンピースを着たりして。そうしたらちょっとモテたんですけど、これは私じゃない、似合ってないし美しくないなと。それからは他人の評価ではなく、自分の好きな顔になれるようにと、私の骨格からメイクで目尻をちょっと伸ばしてみたり、私の好きな人たちは性格のさっぱりしている人が多いなと思って髪をバッサリ切ったり。そういう努力を楽しむうちに、だんだんと自分の容姿を受け入れられるようになりました」
——世界では「ボディ・ポジティブ」=ありのままの身体を受け入れようということが言われています。
「私の作品に、身体の内側から花が咲いているものがあります。コンプレックスはそのときの自分には重荷ですけど、それを含めていまの自分ができあがっているのだから美しいものだよね、という思いでつくったものです。自分のコンプレックスを認める作業は大切で、作品をつくる過程で深く自分と対話するので、ああ、こういうところに引っかかって生きてきたんだなということがわかってから認められたように思います」
「まずは他者にどう言われるかという基準を捨てることかなと思います。外からの評価に頼っていると正解がなくなっちゃう。他者から100点を得られたとしても自分にとっての100点じゃなかったりもするし。アメリカではもっと自分本位でいいという空気感があります。日本では細くてか弱い女性が好まれ、体型がパーフェクトじゃないと露出しちゃいけない、おへそを出してたら奔放だと言われるくらい外圧がありますけど、アメリカではどんな体型の人でもおへそ出して平気だし、お尻のパツッとしたパンツで街を闊歩していて颯爽としているなと思います。数千キロ動いただけで気にならなくなることだったんだと」
——住んでいる場所など、環境を変えてみるのもいいですね。
「違う価値観に触れたことが大きかったですね。日本国内でも移動可能だと思いますが、絶対の価値観ってないんだなと噛み締めてから自分を見てみると、自分の顔、そこまで嫌いじゃないかも、これはこれで可愛らしさがあるなと。今は自分史上いい感じのラインに来ているなと思えてきました」
——アメリカでのエイジングへの意識はどう感じますか?
「日本は特に若い女性の需要が大きいですが、アメリカでは20代半ば〜30代が美しいとされていて、強い女性がよしとされる傾向は感じます。ボトックス注射とかビジネスでは日本以上かと思いますが、広告を見ると、普通に生きていてできるしわが“悪”だなんて謎だと感じます」
——以前に「腕毛のある女は無理w」という男性に対して「人には毛は生えるのになぜ女だけ?」と詰め寄ったことがあるとSNSで投稿されて反響がありましたね。永久脱毛にはリスクが伴うとも言われますが、広告には人が自信をなくすような表現もあります。
「脅しですよね。腕毛があったら女性終わってると思う男性とお付き合いして幸せになるわけない、そのことに気づいた方が幸せになりますよね」
前飲み会でタイプの女という話題が出たときに「腕に毛が生えてる女は無理w」と言った輩がいて「え?なんで?人は毛が生えるのに?なんで無理?毛が生理的に無理な人?でもご自分には腕毛生えてますね?え?女だけ腕毛処理が当然だと?何故?は?」と激詰めして地獄みたいな雰囲気になったことあったな
— チョーヒカル (@soba_ba) July 25, 2020
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