誰のために"服を着る"のか|プラスサイズモデル吉野なおが考える「自分のための選択」の重要性
もちろん、落ち着いたテイストのファッションを本人が好きで選ぶこともありますが、本当にやりたい自己表現を抑えて「今の自分にはこの程度が相応しい」と心のどこかで妥協してファッションを選んで過ごすのは、自分のことなのに他人事みたいでちょっと寂しい。
『クィア・アイ』の番組の最後で、自分らしさを活かしたファッションを身にまとったターゲットの表情は、何とも言えない喜びに満ちていて、画面越しに感動が伝わり思わず涙が出てきてしまうほど。
「おしゃれはいつかの日のために」「今の私にはもったいないから」と思い込んで自分をおざなりにしてしまった経験が私にもあったので、このシークエンスにはすごく共感できました。
誰のために"服を着る"のか
ファッションは『外から見る・見られる』という相対性があって成り立つ部分も確かにあります。でも、着ていて気分が良いファッションは、心がのびやかになるもの。自分がのびやかに過ごせると、もっとどこかに出かけたくなるし、誰かに会って更に楽しい時間を過ごしたくなる。
無理して毎日パーティーのようなドレスを着よう!という事ではなく、誰かや何かのためではなく、思いっきり自分のためのファッションを楽しむ日をたまには作っても良いはず。
例えば、私は天気の悪い雨の日や、気分が落ち込む日にこそ、わざと華やかな服やお気に入りの服を着ることがあります。「今日はデート!?」と聞かれたりもしますが、いえいえ、自分のためのファッションです。
「自分はこの程度でいい」を積み重ねると自尊心が低くなる
『自分のために』は、ファッションだけではなく、食事に関しても言えること。例えば一人暮らしだと、適当な食事で済ませてしまったり、買ってきたお惣菜をプラスチック容器のまま食卓に並べて食べることがあります。洗い物も減り、片付けも楽になりますが、それと引き換えに、なんだかちょっと虚しい気分になることも。そこでたまにはプラスチック容器から、お気に入りのお皿に移し替えて食べるだけで少し気分が変わるもの。
些細なことですが何に対しても『どうせ自分はこの程度でいいや』を選びとると、積もり積もって大きな雪だるまになり、最終的にそれが自尊心の低さや自己否定に繋がっていたことが私もたくさんありました。衣食住を始め、恋愛、仕事、人間関係…。
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