【クラスの場所取り】どうやって私がクラスの最前列でヨガをするようになったのか?
もしあなたがまだクラスで最前列でヨガをする体験をしていなかったら、次回のヨガクラスで試してみてはいかがですか?
ヨガクラスの最前列でプラクティスって勇気がいること?
たとえクラスメートにとって私の大きなお尻が視界に入ることがあまり心地良いことではなかったとしても、私にとって最前列でプラクティスをする方が良いのでここにいるのです。
「ロックンロールなヨガボディを手に入れたわ!でも残念ながら私のぽっちゃりボディに隠れちゃってるんだけれどね」授業中、ライアンが私のことをじっと見たとき、こうジョークを飛ばしてみました。「うーん、もういいよ。そもそもこの場でそんな会話をすべきではないよ」オーナーがまるで聞き耳を立てているかのように、彼は周りを気にしながらこう言いました。
私が通うシアトルにある「The Grinning Yogi」は、元オリンピックスケーターで摂食障害を経験した方が創設したヨガスタジオで、体重を落とすことに重点をおいた教室とは異なります。
「自分の体のイメージに応じて列を選んでください」とライアンは言いました。もちろん、彼は私に向けて言ったわけではありません。誰も大きな声でそんなことを言うことはできません。それから何年間も最前列に居座り続けました。限られた人数しか座ることのできない最前列でプラクティスを重ねてきました。そして今日では当たり前のように、マットを持って馴染みの最前列にむかいます。
どうやって私が最前列でヨガをするヨギになったのか
いいえ、私はいわゆるフロントロウヨギ(最前列でヨガをするヨギ)ではありません。よく言うフロントロウヨギというのは、スポーツブラを着てハンドスタンド(下向きの木のポーズ)からチャトランガをできるような人のことを指します。約10年前に私が初心者だった頃、フロントロウヨギといえば、スタジオの最前列でプラクティスする体の柔軟なフランスのバレリーナのよう人たちだけでした。
私はチャイルドポーズ(子供のポーズ)ばかりしてしまいます。ダウンドッグ(下向きの犬のポーズ)をする際にシャツが下がってくるとパニックに陥ったりするような人間です。ヨガブロックもよく使いますし、つま先もほとんど触れることができませんし、90度以下には曲げることができません。
このスタジオはどんな体型の人も受け入れるオアシス的な場所ではあるものの、2019年インスタグラムが大流行のアメリカにおいて、私のような体型の人間は日の目を見ず、受け入れられ難いことはわかっています。本来、スタジオにいるときはそんなことは考えるべきではありませんが、プラクティス中でさえ、そのような自分でもわかっていることに考えを巡らせてしまいます。
最終的に後列から最前列に落ち着きました
旅行のために3ヶ月間の休暇を取ったときには、すでにヨガを数年間にわたって続けていました。旅から戻ると、トイレと時計の脇にある地味な後方に座わるようになりました。まるで照明と壁の間を通る露出したダクトのように、私はすっかり影の存在になっていました。私だけすっかり上腕三頭筋が硬くなり、そして考え方も萎縮していたのです。すっかりだらけた自分にがっかりしました。
「うー、ドルフィンポーズ(イルカのポーズ)も上手くできない。無造作ヘアにしてもなんて綺麗に見えないの?恐竜のタトゥーでも入っていたらいいのに。20代の頃の凹んだ脇の下が恋しい。そうよ、私はカラスのポーズはもうできなくなっちゃった。着てるヨガパンツはどこのブランドだっけ。まだ私横たわることができるんだっけ?あとどれくらいでレッスンが終わるの?あとどれくらい?」
こんなことばかり考えてしまうのは、私が隠れてばかりで努力をしなかったからです。努力をしなかったから、隠れているような気持ちになったのです。数ヶ月過ぎて、ようやくそんなことを考えても意味がないことに気がつきました。
私は中学生の時に落ちこぼれ気味で、母がある日学校の先生と電話で相談し、最前列の席に移動することになりました。すると先生の目も行き届きやすくなり、自分でも少し楽になったのです。そこで当時と同様のアクションを起こすことに決めました。ヨガマットを最前列に敷いて座り、自分の目標について考えたのです。
唯一のプロテクションは自分の体の後ろに置いたポールのみでそれは電気のスイッチよりも少しだけ幅広な程度でしたが、自分のすぐ後ろに人がこないようにするのには十分な役割を果たしてくれました。
そして素晴らしいクラスに恵まれました。集中的でまとまりがあり、やりがいのある内容でした。アクアブルーの壁以外自分の前には何もない状態で、目移りしやすい私が集中することができるようになりました。また光が当たるところで周りにも見られているという意識から、努力をすることができるようになったのです。だから最前列にいるようになったわけです。たとえ周りの人が私の大きなお尻をじっとみていることを想像すると良い気持ちにはならないものの、最前列でプラクティスしたほうが自分にとって良いと思ったからここに留まることに決めたのです。私は家では誰にも見られていないのでヨガのいわゆるプラクティスはしません。自宅ではマットの上に寝転がって10分ほどTwitterを眺めますがそれが私の「プラクティス」です。ヨガ続けるためにはやはり社会的プレッシャーが多少必要なのです。
クラスの最前列でヨガをする経験から私が学んだこと
最前列にいると、正直なところ鏡にしっかりと体が映ります。周りの人が私のことを見ることができますし、むしろ積極的に見てきますし、時には自分の動作を参考にします。もし間違った腕をあげれば、まるでドミノのように自分の後ろにいる人もさらにその後ろの人も自分が上げた方の腕を上げてしまうことでしょう。そんな時は後ろを向いて一言、「ごめんなさい」というようにしていました。時々左右の誤りをしてしまうものの、10年間毎週ヨガを続けてきて現在では、ヨガをだいぶ理解してきました。
自分のヨガマットはダウンドッグを1000回以上行って足を沈めてきたせいか、すっかりすり減ってきました。賢者のポーズから椅子のポーズ(ウトカタアーサナ)もようやくできるようになり、(断言していいかわかりませんが)やっと見るに値するようなポーズができ、周りの人が見ても参考になれるようになったと思っています。
足がうまく曲がらない時にはポーズをもっと改善すべきだということはわかっています。もし横たわりたい時はいつでもできるので無理せず、時にはそうするようにしています。自分でもどうしたら失敗するかわかっているのです。幾度もの失敗を重ねてきた10年を経て、今ではすっかり失敗のエキスパートになったのです。
まだ失敗の初心者だった頃、「は〜い皆さん、私も自分にガッカリしてますよ!」と周りに訴えるかのように失敗する度に頭を振り、イラっとして飲み物に手を伸ばしていました。
今は失敗のエキスパートとなり、一旦立ち止まり、バランスを再度整えても一度行うようになりました。
失敗だけが幸せな瞬間を手に入れる唯一の方法だ、とたくさんの経験を通じて知りました。そしてその幸せの瞬間というのはその一瞬だけ頑張っても手に入らないものなのです。また、失敗と成功は表裏一体で今自分が経験していることもそうなのです。
ただ最前列にいるだけでも、容姿が劣るとか上手にできていないという理由で自分のヨガプラクティスを恥じることはない、ということを体現しているのです。我々は体型やレベルなどの指標として列に分けられるべきではないのです、むしろ自分のプラクティスに適切な時と場所によって判断すべきなのです。後方でプラクティスする人々にも理由はあるでしょう。そして私は見られるに値しないという理由でそうしていました。そして今私は最前列でプラクティスをしています。なぜなら、自分にとって自分が1番頑張れる方法だからなのです。
スタジオに行く時は最前列が指定席で、皆それを知っています。15分早めに到着し、シャバーサナ(屍のポーズ)をする時には時折、喜びの笑みを浮かべてしまいます。そして時には、横向きのカラスのポーズをして、ちょっとキメたりしています。
私のヨガのゴールはハンドスタンドやスプリットができるようになることや大学時代の体重に戻ることではありません。つまり、それらは私のエゴのゴールであり、もっと自分の深い部分に存在するゴールというのは、精神的、感情的、身体的なより多くの経験を積み、本当の自分、本当の人生へと近づくことなのです。時にそこにしっかり向かっていると感じます。そして時には「あ〜、失敗ばかりで、たまにはペディキュアしに行きたいなあ」なんて時もあります。
きっと大丈夫、うまく行くはず。
教えてくれたのは…ポーレット・パーハックさん
ポーレットさんはシアトルに暮らし、ライターおよびライティングのコーチとして活躍している。
ヨガジャーナルアメリカ版/「How I Became a Front-Row Yogi」
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