「人の力を借りて、自分を大切に生きていってほしい」重病を経験した村井さんが今伝えたいこと
心と体が大きく変化する”更年期”。年齢とともに生じる変化の波に乗りながら生き生きと歩みを進める女性たちにお話しいただくインタビュー企画「OVER50-降っても晴れても機嫌よく」。第5弾は、翻訳家・エッセイストの村井理子さんにお話を伺いました。後編をお届けします。
重病で倒れながらも自分以外の誰かの心配をしていた
ーー『更年期障害だと思ってたら重病だった話』を拝読しました。育児や仕事で多忙だと自分の不調を後回しにしてしまう女性って多いと思いますが、重病が隠れていることもある怖さを感じました。
村井さん:あの時はほとんど死にかけでした。心不全ですからね。即入院でした。
ーー夜中に何度も看護師や医師がやってくる描写から、切迫した状況だったことが伝わってきました。倒れるまでは更年期障害だと思っていたことや、息子さんたちや愛犬ハリーくんの心配をしていることに驚きました。
村井さん:怖くないですか?倒れた日、午前中はスーパーで買い物をしていたんですよ。体調が悪いはずなのに、ごはん作らなきゃと思っていたんですよね。でも本当にしんどくて、いつもはスーパーでは野菜コーナーから惣菜コーナーへと入っていくんですけど、惣菜コーナーまで辿り着けなかったんです。それで帰ってきたら、足がむくんでいることに気がついて。これはまずいと思ってすぐに病院に行ったら、「これは心臓(の疾患によるもの)です」って言われました。そんな状況でもまだ家のことをやろうとしていたんですよね。
女性には、そんな人が多いと聞きました。先生が言うには「女性はもう手遅れになるくらいまで我慢してからやってくる」って。この前翻訳した本にもそういう記述があったけど、女性は男性の健康も管理しなければならないんですよね。女性は病院になかなか行けずに不調を誰にも言わずに過ごしている場合が多い。そんなにギリギリになるまでがんばっちゃうっていうのはかわいそうだなって思います。それは自分自身もそういう経験があるので、なにかあったらすぐに病院に行ってくださいって言いたいです。
ーー村井さんの場合は心臓のご病気とのことでしたが、更年期障害と間違えるような症状だったのでしょうか。
村井さん:疲れやすいとか、しんどさとか、そういう症状しかなかったんです。先生からは「慣れちゃっていた可能性がある」と言われました。「たぶんこの状況に慣れちゃっていたんだろうけど、普通だったら立っていられないですよ」って。
ーー当時、ハリーくんも小さかったから、その体調で散歩もしていたんですよね?病室では当時小学生だった息子さんの生活を心配されている描写もありました。ずっと自分以外の誰かの心配をされていましたよね。
村井さん:そうなんです。入院中は、自分が死にそうなのにそういう心配をたくさんしていました。その後、大学病院に転院して手術を受けたんですけど、その病院に移った時にはもう吹っ切れていましたね。やっぱり、手術となると人間の精神のモードが変わるんですよね。他のことは全てスイッチオフになって、そこに集中するわけですよ。生きるか死ぬかみたいなところですよね。
でもね、励まされたことがありました。心臓血管外科の患者って、おじいちゃんとおばあちゃんばかりなんですよ。でも、おじいちゃんやおばあちゃんでも手術をしたら元気になって退院していくんですよ。同じ病気で100歳の誕生日をみんなに祝ってもらったおばあちゃんもいて。その方が退院する時に、「今日家に帰ったらなにするんですか」って聞いたら、「畑仕事をやる」って言ったのを聞いて、すごい励まされましたね。入院中はおじいちゃんたちに混じって、リハビリでトレーニングバイクに乗ったりしていたのですが、あるおじいちゃんから「あんたまだ若いんだから無理したらあかんで」とか言われたりね。あそこは心のリハビリの場所だったなって思っています。あの3週間が私の人生を変えてくれたというか、ちゃんと前向きに生きていかないといけないと思えた時間でした。
自分を犠牲にすることが家族を幸せにすると勘違いをしていた
ーー著書の中で、「今まで全力疾走しすぎていたんじゃないか」とおっしゃっていたのが印象的でした。入院期間は、いったん足を止めて見つめ直す時間になったのでしょうか。
村井さん:そうです。それまでは、自分を犠牲にすることが家族を幸せにすることだって、大きな勘違いをしていたんですよね。自分を削って与えることが愛情だと思っていたけど、それは愛情じゃなかった。間違いをしていたと反省しました。
ーー多くのお母さんたちがそうしているのではないでしょうか。
村井さん:やっぱり、自分がやってあげなくちゃって思っちゃいますもんね。子どもに対しては特に、100パーセントやってあげようとしちゃいますよね。子どもに対する愛情っていうのはそういうものだからそれ自体はいいと思うんです。ただ、最初はなにかできることをしてあげようと思っていたはずが、いつの間にか完璧にやってあげようという考えに変わってきてしまう。
特に、子どもが小学校に入ると色々と準備してあげないといけなくなるんですよね。私が入院した時、子どもはまだ小学生だったんですよね。毎日、持ち物の準備をしていたんですけど、自分が入院したら給食のコップとかどうしたらいいんだろうって、そんなことばかり考えていました。給食のコップより自分の命だろうと今なら思うんですけど、そういう細かいことを考えちゃっていましたね。
ーーその時に、「なにもかも更年期障害だと片付けるなんて自分に対するネグレクトだ」と書かれていたのが印象的でした。今振り返ってみると、あの時にどうしていたらよかったと思いますか?
村井さん:自分の中では否定していたけれど、今考えると倒れる数ヶ月前から確実に体調は悪かったんです。異常な状態でギリギリのところで生活していたのだと思います。だからやっぱり、心不全になってしまうまで我慢せずに、心不全になる以前にもっと早く病院に行っておけばよかったと思います。
私は、心臓病を持って生まれてきて子どもの頃に手術をして、20歳までは毎年検診を受けていたんです。20歳の時、先生に「理子ちゃんもう卒業でいいよ」って言われて卒業しちゃったんですよね。でも、子どもの時に手術をした人で、大人になってから2度目の手術になる人って意外に多いんですよ。手術をするというのは何かしらいじっているわけで、よく使っているパーツが壊れる確率が上がるらしいんですよ。だから、先生に卒業していいって言ってもらっても、ずっと検診は続けておけばよかったなって思います。2回3回と手術をしている人たちとネットで知り合って友達になったんですけど、やっぱり心臓の手術をしたことがある人たちは1年に1回の検診はずっと行くべきだよねって話しています。
人生で2回目のチャンスをもらったと思った
ーー大病をされたのが47歳の時。その時にどんなことを考えましたか?
村井さん:その時には実の父も母も亡くなっていたんですよね。7歳の時に手術を受けた時は父も母も病院にいてくれたのに、私は今回はひとりなんだって思って、それはちょっと寂しかったんだけど、そう思った瞬間に「私はもうこうして独り立ちした大人になったんだな、これから人生で2回目のチャンスをもらったんだな」って思いました。「私ってなんて不運なんだろう」って思ったこともあったんですけど、「ちょっと待てよ」と。2回も手術して、それも2回目はすごい有名な先生がたまたま滋賀にいらしたので執刀してもらえて。ラッキーだと思いました。2度も命を救われた女ってあんまりいないんじゃないかと思ったら、これからがんばろうって思いました。その1年後にうちの兄が死んじゃったんですよ。怒涛でした。
ーー怒涛の40代後半でしたね。
村井さん:たぶんね、みなさんも同じだと思うんですけど、40代後半から50代って自分の周りの家族が具合が悪くなる時期なんですよね。どんな人でもなにかしらあります。
ーーエッセイを拝読すると、感情を抑えて淡々と書かれているように感じます。だからこそ読みやすい文章なのですが、怒涛の時期、実際には感情は大きく揺さぶられていたのでしょうか。
村井さん:そうですね。手術後には死に対する恐怖がやってきました。あれだけ重病の状態で平気で暮らしていたのに、一度命が助かったと思うと、今度は死に対するものすごい恐怖が出てくるんですよね。そんな時にインターネットで検索するんですけど、心不全の予後は10年とか書かれていたり、5年以内に半数が亡くなるっていう資料が出てきたりする。実際は違うんですけど、いい加減な資料がインターネットにはたくさんあって、揺さぶられました。それで、病気について検索することは一切やめて、メンタルクリニックに通うことにしたんです。そこからぐっと気持ちが上向きになったので、メンタルクリニックに行ったことはすごく重要な決断だったと思います。
ーー日本ではメンタルクリニックに対する抵抗があったり、カウンセリングの重要性もまだまだ知られていなかったりして、メンタルクリニックにはなかなか行けないという声も聞きますが、やはり良い効果を生んでくれたのですね。
村井さん:そう思います。今となってはメンタルクリニックに行くことにして本当によかったと思うんです。今でも仕事を続けていられるのは、メンタルクリニックに行こうと自分が思えたこと、助けを求めるっていう境地に至ることができたことが大きいと思います。
ーー助けを求めることって年齢を重ねるにつれて苦手になるかもしれませんね。
村井さん:そうそう、我慢しちゃうと思います。先ほどもお話ししましたが、更年期も生理のことも「辛いのは当たり前」「仕方がないこと」って言われちゃう機会が多いじゃないですか。でもね、頭が痛かったら頭痛薬を飲むような感覚で、色々な人に助けを求めたほうがいいのかもしれないですよね。
自分を大切にするためにも仕事は続けていく
ーー大病を経験して、今は何を大切にしたいと感じていますか?
村井さん:やっぱり「自分」ですね。あと、強く思ったのは、絶対に仕事は手放さないでおこうということ。やっぱり自分自身の鎧みたいなものを持っておこうって思って。だから仕事はこのまま続けて、ある程度自分で稼いでいる実感をちゃんと持っていこうと。お金の話をするといやらしく聞こえてしまうかもしれないんですけど、40代〜50代の女性に自分のお金は絶対に必要です。今は不況で、40代の女性が今から新しく仕事を始めますって言ってもなかなか厳しい状況ではありますけど。だからこそ若い時の仕事を続けていきたいですよね。
ーー村井さんは翻訳業はどれくらい続けられてますか?
村井さん:ちょうど20年くらいです。でも十分に稼げるようになってからは10年です。最初の10年は泣かず飛ばずで1年に1冊を訳す程度でした。この10年でようやく軌道に乗りました。今が多分ピークで、これからは翻訳はちょっとずつ落ちていくと思うんです。体力が落ちてくるから翻訳の冊数は減ってくるでしょうね。だから、ちょっとシフトチェンジをしていて、翻訳だけじゃなくて普通の文章を書く仕事も増やしています。今は半々くらいにしているんですよ。
ーー村井さんといえば筆が早いイメージがありまして、新刊が出るのが早くてうれしいです。
村井さん:8000字書くのにかかる時間は3時間くらいです。やっぱり、合計して20年タイプしているから、タイピングも早くなるんですよね。自分の思考と指が合致する瞬間があって、考えてタイプするんじゃなくて思考が直接指から出ていくような感覚なんです。そういう時は特に早いです。
ーー翻訳も執筆もデスクワークなので、長時間お仕事をされていると腰痛や肩こりなどの不調を感じそうですが、健やかにお仕事を続けていくために気をつけていることやセルフケア、精神的な健やかさのための癒しはありますか?
村井さん:癒しは犬ですね。作業については、ずっと座り続けないように気をつけています。作業をしていても15分に1回はどこかに行くんです。15分作業をしたら立って、ちょっとお茶を飲んだり、洗濯物を干したり、ちょこちょこ動いています。私があまりにも頻繁に動くものだから、リモートワーク中の夫がびっくりして、「いつ原稿書いてるんだ」って言ってました。
翻訳者って短命なんですよ。だから、あんまり長時間座っちゃいけないっていうのは、翻訳者はみんな自覚していることなんです。翻訳者みんなで声を掛け合っていて、「座りすぎはやめようよ」「徹夜自慢はやめよう」「みんな、年に1回は検診に行こう」とか言い合っています。
ーー座りっぱなしでいないよう心がけることは大切ですね。運動はいかがでしょう?
村井さん:最近は運動もしないといけないと思っています。ウォーキングが心臓にはいいんですよ。だから、息子にバイト代として1000円払って、夜一緒にウォーキングしてもらっています。
ーー息子さんとの散歩だなんて、いい時間ですね。どれくらいの時間をかけて歩きますか?
村井さん:40〜50分は歩こうとしています。琵琶湖をぐるぐると歩いています。トレーナーさんについてもらうにしても、マッサージしてもらうにしても、1000円ではとてもじゃないけどお願いできないけど、息子には頼める。安いものだと思って。
ーー親子の会話も生まれそうですし、いいですね。体を動かすことは大切ですよね。
村井さん:それは心臓の先生にも言われています。歳をとると、脚の筋肉が衰えて脚が細くなってくるじゃないですか。「女性も男性も、脚が太い人が長生きなんだよ」って言われるんです。「心臓に血を戻す力が強い人ってことだから。歩きなさい。筋肉を落としちゃだめだよ」って言われています。「せっかく手術したのにもったいないでしょ」とか言われてね。
ーー本当にそうですよね。こうしてお話を伺っていても、著書を拝読していても、深刻な話題でもたのしくお話ししてくださるお人柄が魅力的ですが、普段から面白がりながら過ごすよう意識されていますか?
村井さん:子どもの頃から面白いことが大好きで、面白いことばっかり探して生きてきたんですよね。だから、その頃からの癖なんじゃないかなと思います。いつまでもふざけていたいタイプなんですよね。でも、50代の女性で、いつまでふざけていていいのかって考えることがあるんです。おばちゃんが張り切ってるみたいに思われたら困るなとか思います。
ーーその明るさに読者は救われるんだと思います。更年期ってマイナスイメージが浮かびやすいので、村井さんの笑い飛ばす姿勢って励まされると思います。
村井さん:それはね、やっぱりちゃんと薬を飲んでいるっていうのはあると思いますよ。薬も、明るく前向きに過ごすためのひとつの支えになると思います。
人の力を借りて、自分を大切に生きていってほしい
ーーこれから更年期を迎える女性たちにアドバイスをいただけますか。
村井さん:人生って本当に色々なことがあります。その時々で人の力を借りて、自分を大切に生きていってほしいと思います。
私の人生は壮絶だと言われますが、誰の人生も同じく壮絶だと思うんです。ひとりひとりに話を聞いていったら、誰の人生にもアップダウンがかなりあるだろうと思うんですよね。だからその都度、自分を大切に、自分優先で生きていってほしいです。
ーー村井さんが自分の体の声を聞いて、不調があればその都度病院に行くようになったのは大病の後ですか?
村井さん:そうですね。それまでは、体の声は聞こえないふりをしていました。だからこそ思うのは、もし親友がいたら、一緒に検診に行くのもいいと思うんです。友達と誘い合って行くとか、友達に付き添ってあげたり付き合ってもらったり。友達と行くといいと思うのは、家族には不調を隠してしまうから。家族って、具合が悪いっていうと「なんでちゃんとしてないんだ」みたいな面倒くさい感じになることもあるじゃないですか。だから家族に頼るんじゃなくて、友達と誘い合うっていうのはすごくいいと思います。外部のサービスを頼ってもいいですしね。
ーー家族の中で解決しないといけないと考えがちですけど、そんなことないんですよね。
村井さん:家族だけで解決するって難しいですよね。女の人って主婦になったり出産直後だったりすると、年に1度の健康診断に行くのも難しいっていう問題もありますよね。健康診断自体は国保で受けられるけど、何ヶ所も病院をまわって、時間がかかるじゃないですか。小さい子どもがいたら検診ってさらに難しいですよね。女の人はそういう点でも大変です。
だから、温泉にでも行くような感覚で女友達を誘って行けたらいいと思います。実際に人間ドックでそういうのありますよね。人間ドックを受けてから夜は温泉に入って帰るサービスが。そういうサービスがどんどん増えたらいいですね。それを利用して、旅行感覚で検診に行ったらいいと思うんです。「嫌なことは一緒にやっちゃおう」みたいな感覚で。
ーー健康診断も面白がる精神ですね。
村井さん:健康診断にすらエンタメを求めて(笑)。
嫌なバトンは次の世代の女性たちに渡さない
ーー最後に、これからどんなエッセイを書き、読者に届けていきたいですか。
村井さん:私の目標は、もし将来デイサービスとかに入るとしたら、デイサービスの中からもずっと書き続けることなんです。だから、これから60代になっても70代になっても、私の私生活をダダ漏れさせていこうと思っています。もう、起こることすべてを書いていく姿勢でいこうと思っています。
ーー人生の先輩で少し先を歩かれている村井さんが年齢を重ねる様子を見せてくださることは、一読者としても心強いです。
村井さん:そう思っていただけると本当に嬉しいです。そういう意図でやっているので。「嫌なバトンは次の世代の人たちに渡さない」って友達と言い合っているんです。ただでさえ、女の人って生きづらい部分があるから、嫌なところを次の世代の女性たちには渡さないようにしようって。「図々しい介護」みたいな。「お金で解決する介護」とか、そういうのもいっぱい書いていこうと思うんですよね。
ーー村井さんが介護する側として感じることも、これからの村井さんについても、拝読できることを楽しみにしています。今後の新刊の予定はありますか?
村井さん:翻訳が2冊、連載の単行本化が2つ出ます。新潮社から『村井さんちの生活』が出るし、あとは集英社からも出ます。翻訳は、今SNSを騒がせている『射精責任』が出て、その後にもう1冊出ます。
ーー楽しみにしています!ありがとうございました。
お話を伺ったのは…村井理子さん
翻訳家/エッセイスト 1970 年静岡県生まれ。琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーとともに暮らす。
著書に『兄の終い』『全員悪人』(CCCメディアハウス)、『家族』『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、『本を読んだら散歩に行こう』(集英社)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)、『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)ほか。訳書に『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(K・Cデイビス、SBクリエイティブ)、『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー著、早川書房)、『サカナ・レッスン』(キャスリーン・フリン著、CCCメディアハウス)、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(キャスリーン・フリン著、きこ書房)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(共にトーマス・トウェイツ著、新潮社)、『黄金州の殺人鬼』(ミシェル・マクナマラ著、亜紀書房)ほか多数。
AUTHOR
磯沙緒里
ヨガインストラクター。幼少期よりバレエやマラソンに親しみ、体を使うことに関心を寄せる。学生時代にヨガに出合い、会社員生活のかたわら、国内外でさまざまなヨガを学び、本格的にその世界へと導かれてインストラクターに。現在は、スタイルに捉われずにヨガを楽しんでもらえるよう、様々なシチュエーチョンやオンラインでのレッスンも行う。雑誌やウェブなどのヨガコンテンツ監修のほか、大規模ヨガイベントプロデュースも手がける。
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