デンマークで触れた、アートが私にくれたもの【私のウェルビーイング】

 デンマークで触れた、アートが私にくれたもの【私のウェルビーイング】
Photo by Chiaki Okochi

こどもの芸術教育に関心がありながらも、二の足を踏み続けて10年。思い切って留学したデンマークでの経験は、これまでの記事でご紹介した通り、私にとってかけがえのないものとなりました。

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帰国してからそれなりに月日が経ち、今改めて見つめたいデンマークでの体験。今回は、私とアートの関係性について振り返ってみたいと思います。これまでの記事は、こちらをご覧ください。

アートを通してつながる

社会人になって初めて留学したデンマーク。およそ1年間の出来事は、今振り返ってもなお「人生のご褒美」だったと感じます。デンマーク語はもとより、英語さえもままならなかった私が、どうしてそれほどまでに思うことができたのか。それは国籍を問わず、出会った人たちがたくさん手を差し伸べ助けてくれたからです。しかし、その人たちとの”コミュニケーション”は、必ずしも言葉だけではなかったように思います。

<言葉を使わないコミュニケーション>それは私にとっては、アートでした。一般にアートと言うと、たとえば絵画や音楽など、いわゆる”作品”や”アーティスト”をイメージする方も多いかもしれません。ですが、ここで指すアートとは、アートをする行為そのもの、つまり、アートに向き合う姿勢とも言えるかもしれません。

私はデンマークで、美術と陶芸のクラスを受けていました。その時、どのように制作に取り組んでいるのか、そしてそこからどのような作品ができたのか。それは時に、言葉で語る以上に、私自身という人間を物語ることもあったのではないかと思うのです。そして、出来た作品を見てクラスメイトとお互いに喜んだり、時にはうまく行かないことをシェアしたり。今私がどう感じているのかということを、アートを通して伝え合うことができたように思います。

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学校でつくった作品
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忘れられない出来事

中でも忘れられない、アートにまつわる出来事があります。それは、学校ではない場所で偶然知り合った、とあるデンマークの友人とのエピソード。陶器工場を営む彼女に、私はある日、学校でつくった絵を見せました。すると、すかさず右下の白い部分を指して「アネモネだ!」と言うのです。

ご覧の通り、決して本物そっくりの、いわゆる写実的な絵ではありません。なにしろ、私自身も、アネモネを描こうと思って描いてはいないのです。ただひたすら無心で色を重ねていたら、結果として、それがどこかで見覚えのある景色だったかもしれない、という感覚です。

それでも彼女は、前に森で一緒に見た、辺り一面に広がるアネモネを想起したようです。まだ出会って間もない私たちでしたが、なんだかそのコメントがすごく嬉しくて、安心して…のちに彼女とその家族と一緒に暮らさせてもらうことにもなりました。私たちの出会いのきっかけや、その後については、よろしければこちらの記事をご覧ください。

Photo by Chiaki Okochi
どの森にもたくさんのアネモネ
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こどもの時にはできていたこと

デンマークに行ってできるようになったこと。それは、”何かを描こうとして描かない”術を、取り戻すことができたことです。実はこれ、こどもの時には当たり前にできていたけど、大人になっていつしかできなくなっていたことでもあります。

帰国後はありがたいことに、こどもとアートに関わるお仕事をさせていただいています。そこでは、”描く”という行為ひとつとっても、こどもが実に様々な方法で、あらゆる体験と出会っていることがわかります。それは、0歳の赤ちゃんや、まだ言葉を話さないこどもたちを見ていても感じることです。

「お絵かき」と聞くと、どんなことをイメージされますか?もしかしたら、"紙の上にかたちを描く”ということを想像されるかもしれません。だから大人はよく、こどもに「何を描いてるの?」と聞きますよね。その気持ち、とってもよくわかります。それは優しさであり、歩み寄ろうと頑張っての声かけだったりしますよね。

ですが、必ずしもこどもたちは"何かを描いているわけではない”かもしれないという視点を持って接してみると、見方が変わるかもしれません。はじめは紙などの素材、そしてクレヨンなどの画材に出会い、体の動きの痕跡として、偶然生まれた色やかたち。そこから何かを感じたり、あるいは発見していたりすることもあるのではないでしょうか。

しだいに成長するにつれ、たまたま生まれたそこに、「〇〇みたい!」と想像を膨らませ、次の創作へと世界が広がることもあります。そして、描きたいものを描けるようになる時期がやってきます。ですから、「何を描いているの?」という大人の声かけが、必ずしも間違っているとは思いません。

けれども、あまりにその言葉が降り積もると、絵を描くこと自体が、”何かの意味を持たなければならない”と感じるようになることも、あるのではないでしょうか。なんだか自分の幼少期を振り返ると、そういう可能性がゼロではないことを、身をもって感じたのです。

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学校からドライブしてビーチヨガ
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ヨガにも似ている?

そんなことを考えていたら、これってなんだかヨガにも似ているように感じました。たとえば、私はヨガをする動機として、「心身ともに健やかになれたらいいな」という願いは持っているかもしれません。けれども、1つ1つのレッスンを振り返れば、まず自分を褒めたいのは、ヨガをする時間を持とうとした自分です。

そして、忙しない日常の中で足を止め、その時間は”今ここ”だけに集中して、味わうこと。そこで出会ったアーサナ(ポーズ)を通して、自分の心と体の声を聞くこと。その先にあるかたちや成果ばかりを追い求めることは、かえってナンセンスだったりもします。

これらと、お絵かきをする時に起こることは、まったく別の話ではないように思います。意味を考えるよりも、ただ感じる時間。色を混ぜて「なんだか気持ちがいいな」や、手触りや擦れる音に「ザワザワするな」と気づくなど。そんな時間は、とても豊かなのではないかと感じています。

「ヨガを通して、自分とつながる、人とつながる、そして世界とつながる」と言われたりもしますよね。そんなプロセスは、アートにおいても起こっていると、私は考えています。

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AUTHOR

大河内千晶

大河内千晶

1988年愛知県名古屋市生まれ。大学ではコンテンポラリーダンスを専攻。都内でファッションブランド、デザイン関連の展覧会を行う文化施設にておよそ10年勤務。のちに約1年デンマークに留学・滞在。帰国後は、子どもとアートに関わることを軸に活動中。



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