老いることが怖いのはなぜ?格闘技ドクターが考える、「高齢」から「好例」を楽しむための意識改革

 老いることが怖いのはなぜ?格闘技ドクターが考える、「高齢」から「好例」を楽しむための意識改革
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「老い」という言葉には、全盛期が終わり人生の終焉が迫っているような暗いイメージがつきまといます。人生100年時代に、老いを恐れず年齢を重ねるにはどうすればいい?自分をデザインするための心の在り方を説く『強さの磨き方』の著者で、スポーツドクターの二重作拓也先生にヒントをうかがいました。

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年齢という数字にとらわれず、今しか見られない景色を楽しむ

50代にさしかかり体力が低下し、20代、30代で軽々とできたことができなくなったとき、「老い」という言葉が頭をよぎります。さらに喪失体験が重なると若さにしがみつきたくなりますが、どうすれば前向きに年を重ねられますか?二重作先生の考え方を聞いてみたいと思います。

――ご自身も50代を迎えて、「老い」をどのように捉えていますか?

そうですね、「老い」という言葉に関して申し上げますと、一般的にはあまりポジティヴな響きではないですよね。老朽化、とか、老廃物とか、老々介護、といったどちらかといとネガティヴな意味で使われる場面が多い印象があります。そういった空気感の中で私は「50歳ってどういうことなんだろう?」と思ったんですね。50歳って、10進法、そして1年は365(366)日であるとする古代エジプトの太陽暦が大元になっていて。ですからシンプルに言えば、50歳って「生誕から50年経ちました」って意味であって、それ以上でもそれ以下でもない。そこに「老い」というキーワードをどのくらい乗せるのか。私は50代を迎えるとき、そんなことを考えました。

――なるほど、「50代」と「老い」を直接イコールでは結ばれなかったんですね。

はい、完全イコールを全力で拒否したかったのかも知れませんが(笑)もちろん、年齢を意識したほうがいい場面も多々あります。例えばハードなコンタクトスポーツなどは、どう考えても「身体が出来上がった若い人向け」ですから、50代になって一念発起して世界チャンプを目指すのは、やはり身体上のリスクをかなり伴います。ですので、経年変化を鑑みた場合、より安全に、健康な方向性が求められる年代と言えるでしょう。

――たしかに加齢に伴う身体の変化には自覚的でないと危険な時もありますね。

筋肉や神経系は正しく鍛えたり、休養や栄養を与えれば機能向上に結び付くわけですが、関節や靭帯など多くのパーツはやはり摩耗していくので。視力も低下してくるし、聴覚も高い音から聞こえづらくなってくる。ですので「人間の身体は消耗品である」という基本は意識に置いておく必要があるかな、と。

――人間の身体は消耗品。たしかに中年期のスポーツ、ヨガでも年齢を無視して身体を壊してしまう例は少なくないです。そういう意味では、健康、安全の比重が大きくなる年代なんですね。

おっしゃる通りです。その一方で「老い」というキーワードが常に頭の中を占拠しているのも問題ですよね。階段を昇ったらすぐに息が切れて落ち込む、毛髪に白髪を見つけるたびに悲観的になる、20代の若者を見るたびに「あの頃はよかった」と遠い目をする…。それってどうなんだろう?と疑問に思ったんです。過去と現在を比較して、未来に不安を抱いてる状態なんじゃないか、と。毎日、老いを意識していたら、老いに対する恐れや不安がますます強くなる気がしたんですね。

高齢
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――「老い」に囚われると、「老い」ばかりが目についてしまう、というわけですね。

そうなんです。私たちの脳は、見たいものを見て、聞きたいことを聞きたい性質がありますから。「可能性」にいかにフォーカスするか。50代はこれがテーマとして問われている気がします。

――残念ながら日本社会は年齢で区切りたがる風潮が強いのも事実です。まだまだ年齢という数字の呪縛が生きづらさを生み、その人らしさを奪っているように感じます。

最近は、80歳、90歳を超えても大活躍されている、反例のような先輩方も多いわけですよね。そういう意味でも、かなり前につくられた年齢で区切るというシステムが、これからの時代にも即しているかといえば疑問ではあります。年齢という数字で一括りにせず、多様性を重視して個人の素質をベースに考えていくべき時期ではないでしょうか。

――人生の後半戦に挑む50代は、年齢の捉え方を変えるチャンスかもしれませんね。

フィジカルや外見で20代の人と対等に勝負するのは難しくなる。しかし、50代には50代、60代には60代の役割があり、人生の折り返し地点で役割に気づけると楽しくなるのかな、と思うんです。必死になって若さにしがみつき、少しでも下の年齢を言われることを喜ぶより、50代ならではの景色を楽しみ、現在を全うするほうがずっと若々しくいられると思います。

社会に貢献する生き方ができると、50代から人生は変わる

――二重作先生が書籍の中で提唱されている「好例化社会」、非常に面白いと感じました。ぜひ詳しく伺いたいのですが、なぜこのようなコンセプトを思いついたのですか?

若さに価値があるならば、年を重ねることにも価値があるんじゃないか、と感じていたんです。それぞれの年代において役割があるはずだ、と思っていろいろ調べたところ、興味深い研究結果を見つけました。それはマサチューセッツ工科大学の認知科学研究者ジョシュア・ハーツホーン氏らの研究チームが、10歳から90歳まで数千人を対象として年齢と知性の関係を調査したものです。それによると、ピークとなる能力は、年代によって異なることがわかりました。ザっと一覧にするとこんな感じになります。

総合的な情報処理能力と記憶力:18歳前後

新しい名前を覚える能力:20代前半

新しい顔を認識する能力:32歳前後

集中力:43歳前後

他人の感情を読み取る能力:48歳前後

基本的な計算能力:50歳前後

新しい情報を学び、理解する能力:50歳前後

語彙力:60代後半から70代初め

――なるほど、それぞれの年代に役割がある、というわけですね。中年になって新しく名前を覚えられなくても、それは「科学的にもそうだ」と納得がいきますね。

スピーディーに覚え、どんどん脳で処理しながら進んでいく10代、20代。これはトライ&エラーや摩擦を積み重ねながら「自分」と「世の中」を理解していく時期と一致します。体力に溢れた30代は、どんどん自分の道を歩みつつ、個性と個性が出逢う年代。ミッションに集中しながら、人の感情をきちんと汲み取り、他のコミュニティやグループとも手を取り合う40代。「四十の手習い」という言葉があるように、新しい技術や価値観に触れる絶好の機会でもあります。

――その年代でやるべきこととリンクしている、と。

そうなんです。つながりや影響から得たものを社会に還元しながら、次世代にチャンスや場を提供することに喜びを感じるのが50代。あとに続く人たちに場や機会などを提供していくことに喜びを感じる年代です。そのためにも計算能力が大いに役立つわけですね。世の中全体を俯瞰して考えられる年代ですから、学びを役立てる能力もピークを迎えるんです。ですから私は中年という言葉は、「上の世代と次世代をつなぐミドルエイジ」だと考えています。

――世の中に対する考えや政治に対する意見もしっかりしてくる年代ですね。たしかに50代になると自分の幸せだけでなく、培ってきた知識と経験を社会に還元したい、次世代を応援したい、という気持ちが生まれるように思います。

たとえばフィギュアスケートの羽生結弦選手は、もちろんあらゆる年齢層にファンがいるのですが、彼よりも上の年代からの支持も絶大ですよね。羽生結弦選手の若さへの憧れだけでなく、次世代のあくなき挑戦を応援したい、という大きな想いを感じるんですね。SNSでの羽生選手のサポーターの方々の投稿は、愛情に溢れたものがホントに多くて。「この情報は羽生選手の役に立つんじゃないか?」「羽生結弦選手が好きな曲なので届いて欲しい」といったGIVER目線の投稿や「羽生さん、今日も元気でいてください」といった祈りにも似た投稿を目にすると、こちらまでやさしい気持ちになれます。

――何かと炎上しがちなSNSにあって、オアシスのような関係性ですね。

少し医学的な話になりますが、人は「誰かを守ってあげたい」という意識が芽生えると、オキシトシンと呼ばれる物質が、脳の下垂体から分泌されます。オキシトシンには、心筋細胞の再生や微小損傷の修復の作用が報告されているんですね。羽生結弦選手というひとりの存在が、ものすごい数の方々の健康に寄与している可能性があるわけです。羽生選手も応援してくれる方々に感謝の言葉を尽くされていますよね。そういう意味でも、羽生選手はこれからのアスリートや表現者たちのロールモデルだと思います。

オキシトシン
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――次世代への応援は健康にもプラスの影響があるんですね!その後の年代はいかがでしょう?

60代後半から70代は語彙力が高まります。実体験から学んだ教訓を言語化して次世代に受け継ぐ役割を担うのにふさわしい年代ですね。今、記録物という意味での言葉は、「タップするもの」「スクロールするもの」「選択するもの」さらには「AIに質問すれば返ってくるもの」になっていますが、それ以前は「書くもの」であり、さらにその前は「刻むもの」でありました。ですから本来、言葉やメッセージを次世代に遺す、とは、芸術家が大理石から彫刻を掘り出すような身体性を伴う作業なんです。その典型例がゲーテの超大作『ファウスト』です。彼は24歳で書きはじめて82歳で書き終え、作品は彼の没後に発表されています。

――まさに人生を賭けた作品なんですね。教訓を言葉に、形にして伝えていく世代である、と。身近に「好例化」の先輩がいると、「老い」のイメージ変換がしやすそうですが、二重作先生の好例を教えていただけますか?

おかげさまで何人もいらっしゃるのですが、先日対談の機会を頂きましたジャーナリストの田原総一朗氏は、感性が非常に若く、アグレッシヴで「刺激」そのものでした。時の総理や権力者にも堂々と意見し、年齢は89歳でも行動は礼儀正しきパンクロッカー。私も高齢者と話している感覚は全くなかったです。20代にはできない戦い方をしている、もうすぐ90代を迎える先輩の魂は相当若いぞ、と感銘を受けました。

――ギアを入れるタイミングを心得ているのも、年を重ねた円熟者の強みでしょうか?

そうですね。若い頃は、自分のキャパシティを広げるために、背伸びやむしゃらさが必要です。年齢を重ねたら普段はローギアやミドルギアで進み、ここぞというところでその年代ならではの実力をサッと発揮する。世の中のしくみを熟知し、貢献が主たるモチベーションとなる年代だからこその「匠の技」だと思います。

●お話を伺ったのは二重作拓也先生

スポーツドクター/スポーツ安全指導推進機構代表/ほぼ日の學校講師。

1973年生まれ、福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高校、高知医科大学医学部卒業。格闘技医学の開拓者として海外にも招聘され、強さの医学的背景を共有。音楽家のツアードクターとしても、プリンスファミリー、ジェフ・ベック他を来日時にサポート。著作『プリンスの言葉』の英語版『Words Of Prince Part1, 2 & 3 Deluxe Edition』はamazon.comのソウル部門でベストセラー1位を獲得。最新刊『強さの磨き方』(アチーブメント出版)

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text by 北林あい

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ヨガジャーナルオンライン編集部

ヨガジャーナルオンライン編集部

ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。



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