兄の障がい・親の離婚・鬱病…【自己否定脱出を描いた漫画作者が語る】不完全な自分と向き合うヒント

 兄の障がい・親の離婚・鬱病…【自己否定脱出を描いた漫画作者が語る】不完全な自分と向き合うヒント
『自分へのダメ出しはもうやめた。 自己否定の沼から脱出したわたしカウンセリング日記』(オーバーラップ)

コミックエッセイ『自分へのダメ出しはもうやめた。 自己否定の沼から脱出したわたしカウンセリング日記』(オーバーラップ)は、さまざまな背景から自己肯定感を育むことのできなかった作者のノガミ陽さんが、自分を見つめ直し、自分を責めず受け入れられるまでの過程が描かれています。後編ではご家族との向き合い方や、承認欲求に関して思っていることや、「不完全さ」を見せることについてお伺いしました。

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客観的に見たら問題はあった。でも家族のことは好き。

——「自信がないこと」の原因として家庭環境のことに触れていますが、現在はどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。

家族のことについては、実は私自身はあまり問題があるとは思ってないんですよね。ただ、メンタルヘルスのことを学んだり調べたりすると、必ずといっていいほど家族関係の話が出てきます。自己否定などの思考の癖は積み重ねだと思いますし、幼少期は親の影響が大きいと思うので、家族関係を振り返るのは大事なことだと思いました。私自身は、父の期待に応えられなかったこととか、父が浮気をして離婚になったこととか、知的障がいのある兄に手がかかって母は兄につきっきりだったこととかは、何かしら影響はあったとは思います。

一方で、完璧な親や子育てが存在するとは思っていなくて。自分が親になったとして、子どもが満足するように愛情を注げるかと考えると、難しいだろうなと思います。今回も親を責めるような話を書きたいわけではありませんでした。でも子どもの頃に自分が感じていたつらさは確かにあったものですし、なかったことにしなきゃいけないものでもないと思っていて。この感情を何らかの形にしたいと思って描いたのが今回の作品です。

客観的に状況として見ると問題はあるとしても、私は自分の家族関係がつらいとは思ってなくて、現在、母と兄との関係は良好です。父に関しては十何年も会っていないので、思い出の人になっていて、ある種冷めてるんですよね。

私は家族のことはある程度乗り越えて、過去のことになっています。一方で、今も家族との距離が近いなど、現在進行形でつらい思いをしている人が私と同じようには考えられないだろうことも想像はします。

『自分へのダメ出しはもうやめた。 自己否定の沼から脱出したわたしカウンセリング日記』(オーバーラップ)
『自分へのダメ出しはもうやめた。 自己否定の沼から脱出したわたしカウンセリング日記』(オーバーラップ)


——お兄さんに知的障がいはあるものの、ノガミさん自身はケアラーのような役割を求められることはなかったのでしょうか。

母との関係ではなかったですね。両親が離婚したときに親類から「あなたが頼りだからしっかりしなきゃ」と言われて、高校生にそんな大したことできないよって思うことはありましたが(笑)。

もっと小さい頃も、母が兄につきっきりで寂しいという感情はあったものの、私が兄のお世話をしなきゃいけないような状況ではありませんでした。

障がいも程度の差がありますが、兄はコミュニケーションに多少のハードルはありつつも、小学生くらいの読み書きはできて、簡単な作業ならできて仕事にも就いています。

障がいの程度によっても違いますし、向き合い方も人によって違うので、当然「私が描いたこと=障がいのあるきょうだいがいる人の共通の姿」ではないことはお伝えしたいです。

共感はしなくても、一人の人間として理解をする。

——お母様とのコミュニケーションが近すぎず、遠すぎない印象を受けました。

先ほどお話ししたように、小さい頃は兄に手がかかっていたので、私のことは放置気味だったんです。でも私が精神科に通うようになって「つらいものはつらかったんだね」と理解を示してくれました。

加えて作中でも描いたように、私が自分に自信がないことなど、母は私の気持ちはわからないとは言っていたものの、「そういうふうに考える人もいるのね」と否定も肯定もせず、別々の人間として違いがあると受け取ってくれたのがありがたかったですね。

——ノガミさんはこのときどう思われましたか。

かつては「兄と違って障がいがないから頑張らなきゃ」などと思うことはあったのですが、立派じゃなくてもいいし、全然考え方が違っても受け入れてもらえるのだと安心感を得ました。

あと、母とのコミュニケーションで印象に残っていることは、私が28歳か29歳の頃の母の日に、母から「母卒業宣言」をされたことがあって。私と兄に対して、これからは母が全部やるとか、母として何かをするのではなく、共同生活者として一緒に頑張ろうと言われたことがありました。

——お母様はノガミさんのこともお兄さんのことも子というより、一人の人として接するようにされているのですね。

そうですね。私は高校までアメリカに住んでいて、そこでは兄に障がいがあることを隠すとか、引け目に感じたりとかはあまりなかったんですよね。

日本とアメリカでは、学校のシステムや社会の雰囲気も全然違ってて。私と兄は同じ一般的な現地の高校に行ってたのですが、兄の障がいはオープンにしていました。

その高校では英語が話せるか否かでクラスが違ったり、他の科目も学年ではなくレベルごとに分かれていたんですね。さらにホームルームのようなクラスで活動することもほぼなくて、だから一緒に授業を受けている人が何年生なのかよく知りませんでした。

さまざまなルーツのある学生がいて、授業中の態度も脚を組んだりお菓子を食べたりする人がいます。本当にいろいろでした。共通の常識のようなものがなくて、変わってると思われるような行動をしても「変な人」とまでは見られないんですよね。

日本の学校みたいに掃除や給食といったみんなで何かをすることもなくて。だから障がいのない子が障がいのある子の「お世話」をするみたいなことも生じませんでした。その文化・慣習が日本と比べて良いのかという判断は私にできませんが、そういう環境だったからこそ、兄はのびのびと高校に通っていたと思いますし、私自身も自分に合ったレベルの学習ができて、高校では勉強が好きになりました。

もちろんアメリカの学校もいいことだけではありませんでしたが、各々が個人として生きるためにはあの高校生活はすごく大事な時間だったと思います。

承認欲求はあって当たり前のもの

——承認欲求に苦しまれていることも描かれていましたが、今は承認欲求とどのように向き合われていますか。

あるものとして向き合うようになりました。以前は「みんなは持ってない」と思っていたので、承認欲求とは持ってはいけないもので、卑しいものだと思っていたんです。

でも、調べれば調べるほどみんなも持っているものだと気づきました。なので、あるものだと思って向き合うことに落ち着きました。承認欲求が完全に満たされることはなくて、ずっと暴れていて……そんな自分の中にある承認欲求を俯瞰的に見られるようになりましたね。

——本書ではご自身の未完成な部分なども含めてさらけ出されていると感じました。でもそういう側面って自分で認めたり受け入れたりすることのハードルもあると思うのですが、意識されていることはありますか。

知らないとか、誰かを頼らないといけないとか、病気があるとか、そういう自分を隠さないといけないならば、相当しんどいと思います。そういった部分を見せられないなら、わからない・できない自分を自分でも認められないですし、別の人間を装わなきゃいけなくなってしまいますよね。

私自身は兄の障がいのことも、親の離婚も、私自身の鬱のことも、ないことにする方がしんどいです。苦しんだのは事実なのに、その弱い部分を無しにして自分を偽る方が違和感があって、素直に言えた方が楽だと思います。

かつては私自身も、精神科に行くことにハードルを感じていました。自分をさらけだすのが怖かったんです。でも今では「全ては過程」だと思っていて。今は未熟であっても、未来に向かってどんどん完成されて行くものだと思うんです。

私は知らないことが多くて「無知な人間だな」と思うことがありますが、自分のことを「弱い人間」や「何もできない人」だとは思ってません。未完成な自分ですが、未来に向かって変化はしています。人は学んだり知ったりすることで変わることができるとも思うんですよね。変化していくのだから、今が不完全でも別にいいのではないでしょうか。未来に期待です。

私は悩んだときに他人の悩みに救われたんです。ラジオとか、トーク番組とか、エッセイとか、人の雑談を聞いたり読んだりするのが好きで。そこで同じような悩みや苦しみをを話されているのを聞いたときに「私だけじゃないんだ」と思えて、悩んだり苦しんだりしている自分を受け入れられたような感覚があったんですね。その積み重ねで、自分の悩みや苦しみをなかったことにしなくていいんだなって思えるようになりました。

もちろんこうやって明らかにすることへの恐れが全くないわけではありません。でも自分の不完全な部分について、隠さなきゃいけないことのようには思ってないですね。

『自分へのダメ出しはもうやめた。 自己否定の沼から脱出したわたしカウンセリング日記』(オーバーラップ)表紙
『自分へのダメ出しはもうやめた。 自己否定の沼から脱出したわたしカウンセリング日記』(オーバーラップ)

【プロフィール】
ノガミ陽(のがみ・あきら)

神奈川県生まれ、NY育ち。メンタルは大体えぐられがち。心すこやかに生きる方法を探し哲学と倫理学、カウンセリングを学ぶ。学んだことを作品にできないか日々奮闘中。

Twitter:@9X9_NogamiAkira
note:https://note.com/nogami9x9akira/

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雪代すみれ

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。



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