「あれ、なんか太った?」がみんなを不幸にする?今すぐ止めたいボディシェイミング
「久しぶりー!なんか大っきくなった?」「後ろから見て誰だか分かんなかった!」私が日本に住んでいた時に怯えていた言葉たち。こう言われないように常にダイエットをしていたし、この言葉が怖くて鏡に写った自分を責め続ける日々を送っていました。「デブ」「痩せろよ」みたいな攻撃的な言葉ではなくとも、身体のことで何か言われるのが怖かったんです。その恐怖心から逃げるように「痩せた?」という言葉を餌に自己肯定感を育てるようになったし、他人からの評価で自分の価値を測るようになっていきました。 日本を出て5年、自分が置かれていた環境を外から見て気付きました。あの時の私は、周りからのジャッジに常に怯えていたのでした。
「何のために」挨拶代わりに身体のジャッジをするのか?
いくら友達だって、いきなり「給料いくらもらってんの?」と聞くのは失礼ですよね。「太った?」「痩せた?」と身体のコメントをするのも同様。心のフェンスを踏みにじり、相手に不快感を与える行為です。給料の話をしなくても世間話が成立するように、身体の話をしなくても会話は成立するはず。それなのに、なぜ「日本の風習」とも呼べるほど多くの人がこの話題を口にするのでしょうか?
一体何のために言うのか?
本人が喜ぶと思って言うのか?
伝えなきゃいけないと思って言うのか?
会話の意図まで考えたこともなく発言している人がほとんどだと思います。相手の体調を心配しているのであれば、「あなたの体調が心配でさ。最近調子どう?」とそのまま聞いた方がいいはず。身体に関するコメントをすることで物事がプラスになることはほとんどありません。相手を傷つけ、自分の心配も相手には伝わらない、とても質の悪い会話術なのです。
日本の文化?農耕民族として出来上がった風習?人間の社会性動物としての本能?色々とこの風潮が生まれた理由は聞きますが、私は、そういう学術的な話よりも個人が「なぜ私はそういう話をしてしまうのか?」と考える機会が与えられることが大事だと思っています。
ファットシェイミング
こうした身体に関するネガティブなコメントは「ボディシェイミング(身体に関する侮辱)」と呼ばれ、太ることに限定した侮辱は「ファットシェイミング」と言います。
日本だけではなく、アジアを中心にこの習慣は強く根付いていて、アジア人女性が家庭や日常で受けるファットシェイミングに関する研究も進んでいるほど。西洋圏でもそういう言葉を使う人はいますが、「失礼なこと」「敏感にならなければいけない話題」「避けるべき表現」という認識はアジアよりも強く、一般常識として広まっています。
ニュージーランドに来てから、日本での挨拶代わりのようなファットシェイミングの話をすると、みんな目を丸くして言葉を失います。さらに私が「男性や上司からも言われたことがある」と言うと、女性は「そんな環境は不健康だ!」と私のために怒ってくれたり、男性は「僕に娘が出来たらそんな環境にはいさせられない…」と動揺したり。そんな反応を見て「あぁ、私が置かれていた環境は当たり前じゃなかったんだなぁ。私が感じてた違和感や窮屈感は間違いではなかったんだなぁ。」と再認識したものです。
ファットシェイミングに関する研究では、過去にファットシェイミングを受けた人は、その後摂食障害を経験したり、ストレスやプレッシャーで体重増加する傾向があることが明らかになっています。こんな風習は、なくならないといけない。人の心と身体を傷つける行為は、文化だろうと習慣だろうと本能だろうと「今まで皆そうしてきたんだから、そのままやってて大丈夫」という理由で存続してはならないのです。
「痩せた?」も褒め言葉として扱わない
今年、3年ぶりに日本に帰った私は、久しぶりに会ったほとんどの人に「久しぶり!あれ、なんかシュッとしたねぇ!」と言われました。体調不良で食べれなくて痩せ細ってしまった私の身体。毎回人に会うたびに説明するのにも気が引けて、やんわりと流して話題を変えることの繰り返し。滞在中ずっとその話題ばかりで気持ちが削られました。
痩せる=いいこと、としての認識で、「よかれと思って」「私が喜ぶと思って」「私のために」言ってくれた言葉です。でも、そんな”優しさ”は私にとってはお節介でしかなくて、私の意図に関係なく誰かに身体のことをコメントされるのはとても窮屈だと改めて感じました。
こんなことを言うと、「あなたのことを思って言っているんだから」「あなたを心配して言っているんだから」と人のお節介な優しさを嫌がる私を批判する意見もあります。でもね、「心配しています」「大丈夫?」と伝える方法は他にもたくさんあるんです。わざわざ「太った?」「痩せた?」を選ぶ必要はないんです。求められていない”優しさ”を押し付けられて、感謝しないと「心のない人間だ」「冷たい人だ」と思われてしまう。これは、逃げ場のないトラップなのではないでしょうか?
誰かが「おかしい」と教えないといけない
「太った?」「痩せた?」という言葉が相手を傷つけ、人間関係を崩しているかもしれません。しかも、誰もそれを教えてくれることがなく、知らずに人を傷つけ続けている...。
相手の気持ちを想像する機会がなかった、タブーな話題だと知らない、は教育機会の問題です。教えてくれる人が周りにいなかっただけ。それは悲しいことであり、周りが「知らないの!?ありえない!」って怒って責めて終わりじゃ何も変わりません。
相手に知る機会を与える、というつもりで、「そんなこと言われたって嬉しくないから言わないで」と伝えましょう。そこで「ごめんね」と言って次回から気をつけてくれる人と今後一緒にいてください。笑ってごまかしたり、はぐらかそうとする人とは一緒にいてはいけません。
もし過去に自分が言った自覚があるならば、どれだけ時間が経ってでもいいので「あの時、身体のことにコメントしてごめん」と謝りましょう。その言葉に救われる人がいます。
誰も得をしない「太った?」「痩せた?」の会話を未来の日本の風習として残さないために、これから何気ない挨拶で傷つく人が減るように、人々の意識が変わっていくように、身の回りの小さな心がけから変えていってみませんか?
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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