摂食障害を文化人類学の視点で考えると…人類学者・磯野真穂さんに聞く「太ること・痩せること」の意味

 摂食障害を文化人類学の視点で考えると…人類学者・磯野真穂さんに聞く「太ること・痩せること」の意味
吉野なお
吉野なお
2022-12-10
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――文化人類学者の磯野さんから見て、「太る」「痩せる」ってどういう意味を持つものだと思いますか?

磯野:人間って、一見裸に見えるように暮らしている民族でも、必ず体に手を加えます。刺青をしたり何かを塗ったり。不思議なことに、人間って体に手を加えてます。最近は、男女といったジェンダーの捉え方は批判されますが、男だったらこう、女だったらこうっていう理想を持ち体に手を加えることも珍しくありません。その中で、現代社会にある「痩せている方が美しい」というのは、社会が持つ理想体型のバリエーションの一つだと思うんです。さらに、美しい体を持っている人は、人格的にも素晴らしいという考えがついてきます。今の人間社会では、痩せていることが、健康であり自己管理ができているということになって、それがパーソナリティの隠喩になっているんです。だから太っているということは、その逆になってしまいますよね。

――「健康である」ということが特権階級のものであるように感じることがあります。大きいサイズの服がなぜもっと当たり前に売っていないのか、という疑問を投げかけると、不健康だし痩せろ!ってSNSで言われることがあるんです。じゃあもし仮に不健康だったとしたら、おしゃれな服は着ちゃいけないのか?となりますし、健康である、というのが社会の中で「生きやすくなる」ことのパスポートになると感じることがよくあります。

磯野:理想体型が作られる裏側には、その時代や文化において、力を持っている人々の思考が影響していることが多いです。現代の「理想は痩せていること」という裏側にあるのは、医療と資本主義と言えます。その思考が、私たちの中に価値観としてうまく入っているんだろうなと思います。資本主義は、消費をすればいい体型が手に入りますよ、っていうもので、痩せるための消費ってみんなよくやりますよね。ヨガを広めた人はそのつもりじゃなかったとしても「痩せたいからヨガをやる」という行動も、消費の一つです。「痩せる」という言葉をつけると売れてしまうものもあります。2008年にメタボ健診が始まったあたりから、栄養士ではなく医師が食べ物に関しての書籍を出版することが増えました。太っていることを「肥満」と名づけ、それを病気と結びつけることはますます説得力のあるものになったと言えるでしょう。

――磯野さんの著書『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』の中で、普通に食べられなくなってしまうのは「食のハビトゥスを失うから」というお話があって、すごく納得しました。

磯野:「ハビトゥス」というのは、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱したものなのですが、ざっくり説明すると、身体化された文化のことを言います。電話してるときに、目の前に相手がいないのに「ありがとうございます」と頭を下げるのって、無意識にやっちゃうものですよね。お箸の持ち方や使い方を多くの人が自然にできるのは、体でずっと練習し続けているからです。食べるということも、毎日の積み重ねの中で練習しているから、普通に食べられるだけと言えます。なので意外と、「お腹がいっぱいになったらやめる」ことってという難しいんです。そもそもお腹いっぱいがどういうことなのかって状況によっても変わるじゃないですか。私が本の中で示した「食のハビトゥス」というのは、状況状況に応じて、感覚的に食べ方を変えることができること。それになります。
私が摂食障害の当事者の方にインタビューしたとき、そういった食のハビトゥスが抜けてしまっていると感じました。これまでの食べ方を全否定して、その食べ物が美味しいか、どれぐらい食べたいかという「私の感覚」が抜けてしまっています。常に外側の指標に頼るので、500キロカロリーと決めたら常に食べ物のカロリー数値を見続けて、数字を見てから食べないと安心できなくなったり、体重を頻繁に測らないと食べられなかったりします。身体化されていた食の文化を捨ててしまうから、普通に食べられなくなってしまうんですね。

――ダイエットしたいときって、自分の今までの食のルールが悪いんだと思ってダイエットのルールを自分に当てはめますよね。そうするとハビトゥスを失って「普通に食べる」がわからなくなって摂食障害になっていく場合があると思います。でも、食のハビトゥスは、練習すれば取り戻すことが出来るんですよね。

磯野:『ダイエット幻想 やせること、愛されること』でも書いていますが、なおさんも、管理栄養士の鈴木真美さんも、食べ物とうまく付き合えなくなった状態から、「普通に食べる練習」をしてハビトゥスを取り戻していったということだと思います。真美さんの場合は、1日3回食べることでハビトゥスを取り戻しました。人と同じようなタイミングで食べるということは、集団の中での食べ方を取り戻していくこと。人は集団で生きているから、ある程度周りに溶け込むような食べ方ができないと苦しくなります。摂食障害になると、とにかく体重が全てになるので、まず人と一緒に食べられなくなります。自分が思うように食べ物や食事量をコントロールできなくなるからです。そうすると集団の成員として生きるのが難しくなってきて、余計に人間関係が難しくなってくる。なおさんや真美さんは、自分なりの心地よい食べ方を保ちながら、みんなと共に生きるという方法を取り戻していったと思うんです。

――みんなと生きない=孤立化してしまう、と。

磯野:今の社会のいいところは、身分で決められないことだと思うんです。属性や生まれで関係性を切れなかったり選べなかったりした昔と比べると、嫌だったら離れてもいいという利点が今の社会にはあると思います。「みんなと生きる」というときに、「誰とでも」というよりも、ある種周りに溶け込みつつも、無理に合わせすぎない「みんな」を見つけられる余白だけはあると思うんです。なおさんも以前、ダイエットを強要してきたモラハラの彼氏と付き合っていて別れた経験がありますが、他方で「それは絶対にDVだからやめた方がいいよ」と周りから止められていても、その人間関係から、離れられないという人もいますよね。みんなと生きるということは、そういった特定の誰かとの関係性を手放すということも含まれると思うんです。

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吉野なお

吉野なお

プラスサイズモデル・エッセイスト。雑誌『ラ・ファーファ(発行:文友舎)』などでモデル活動をしながら、摂食障害の経験をもとに講演活動やワークショップのほか、ZOOMでの個人セッションも行っている。mosh.jp/withnao/



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