「あたりまえ」と「ありえない」が混在する世界に生きる私たちができること|磯野真穂さんインタビュー

「あたりまえ」と「ありえない」が混在する世界に生きる私たちができること|磯野真穂さんインタビュー

吉野なお
吉野なお
2022-12-10

プラスサイズモデルであり、ボディポジティブのアクティビストとしても活動する吉野なおさん。今回彼女がインタビューしたのは、文化人類学者で『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書)の著者でもある磯野真穂さんです。食べること・太ること、さらにはダイエットや摂食障害について、文化人類学ではどのように考えているのか、聞いてみました。前編・中編・後編と3部に分けてご紹介します。

*この記事は、文化人類学者・磯野真穂さんへのインタビュー後編です。前編は「摂食障害を文化人類学の視点で考えると…人類学者・磯野真穂さんに聞く「太ること・痩せること」の意味」、中編は「糖質制限も過食も"禁じられているから"手を出したくなる?|文化人類学者・磯野真穂さんに聞く」になります。

「あたりまえ」と「ありえない」が混在している世界で

――社会って「あたりまえ」と「ありえない」が混在している世界ですよね。違う国だったら文化の違いなんだなとわかりやすいけど、隣にいる人も自分と違う「あたりまえ」「ありえない」を持っています。そのような社会の中で、うまく生きるコツとは、また、違いの中で生きるとはどういうことだと思いますか?

磯野:「あたりまえ」と「ありえない」。なおさんは、こういうフレーズが本当にうまいですよね。言い得て妙だと思いました。

私は猫と暮らしている期間が長いんですが、猫って近づいていい人と近づいてはいけない人を肌感覚でわかっている。だから距離感が絶妙なんです。ちゃんと自分が関わった相手を自分の中で咀嚼して、この人には近づいても大丈夫、この人とは離れていないと危ない、っていうのを判断している。でも、人間の場合、そういう距離感が計れなくなる人って結構いるんじゃないかと思います。危ない極端なメッセージを発する人と関係性を持ってしまったり、手を繋ぐべき人との関係を、「この人はそんなに有名人じゃない」といった理由で断ち切ったり。人間関係の指標を自分が楽しいか、安心するかではなく、それとは相反するような指標を入れ込んでしまう。

遅すぎるんですが、私は40代になって距離の感覚がクリアになってきました。こういう人は近づいちゃダメで、こういう人は絶対大事にしなきゃダメというのが。人間関係の距離感みたいなものを、身体感覚として持っておくことが重要だと思います。今の社会って、「あれがいいよ」「これがいいよ」「これやったら解決しますよ」っていう掛け声が溢れている社会だから、弱っているとそっちに引っ張られてしまうんです。でも、呼びかけている人も自分に得があるから呼びかけているんですね。そこでwin-winの関係になるならいいですが、相手が大勝ち、こちらは大敗けみたいになるケースは結構あります。失敗を積み重ねるなかで、生きるための距離感を掴んでいる人は素敵だなと思いますね。

――大事なことは、距離感の経験を積むこと。

磯野:そうですね。でもこの距離感というのは「誰かが言ったからこうした」ではなくて「この程度ならいいかな」「これは辞めておいた方がいいかな」というような、自分の中での距離感です。

情報工学の本で読んだのですが、ある種類のノミは動物の血を吸うために、動物が木の下を通るタイミングで木から落ちるんだそうです。でも、ベストのタイミングで木から落ちないと、動物の体に貼り付けず死んでしまうこともある。ノミもそうやって、自分が生きていくための情報をちゃんと感じ取り、それを掴んで体を動かしているんですよね。

それは私たち人間にとっても重要だと思うんです。「自分が生きていくために必要な情報はなんだろう?」と考える。それは究極、誰にも教えてもらうことはできなくて、何度もトライアンドエラーを繰り返す中で文字通り「身につけて」いくしかない。そのような情報を、情報学が専門の西垣通さんは「生命情報」と名づけています。

――なるほど、そういうものを生命情報っていうんですね。

磯野:はい。西垣さんは、情報を「生命情報」「社会情報」「機械情報」という3つに分けていて、「社会情報」というのは、私たちが意思疎通をするために話す、意味を持った言葉のこと。「機械情報」というのは、ゼロとイチのようにそれだけでは意味を持たない記号のことです。でもその2つの手前には、生命情報というものがある。生きるもの全てが「生命情報」を取り入れ、それを使いながら命を継続させています。その部分を大事にすることが求められているのかなと思います。

――「自分の感覚に従う」という言葉がよくありますが、「自分の感覚」が間違っている場合もありますよね。私もモラハラの彼と付き合って、もうあんな目には遭わないぞと思いつつ、また同じような人と付き合ってしまったこともあります。

磯野:そのときに失敗しているって気づけたらいいけど、失敗に気づけないということは生命情報の受け取りに失敗しているとも言い換えられます。なおさんのようにもうモラハラの彼とは付き合わない!と決めているのに付き合ってしまうというのは、他の関係性のあり方を体験していないことで起こることかもしれません。その結果、同じことが繰り返され、余計に自分を追い込んでしまう。「これはよくないぞ」と気づいて退散できること。退散した先も生きていけると感じられること。ここが重要ですね。

――周りが決めたことではなく、自分の感覚を元にした判断?

磯野:それってなにもスマホを置いて畑を耕しましょうという話ではありません。ネットからの情報でもいいけど、それが自分にとってどういう影響を及ぼしていて、人間として生きていく上でどんな効果を発揮しているかに気付くことを意味します。自分が心地よい状態が何かを知っておかないと、変なダイエットにはまり込んだり、ずっとモラハラの彼と付き合い続けたりするようなことも起こってしまう。共存は答えがないし、常に対話とやりとりを続けていかなければならないから難しいけど、依存になってしまうと余計に辛くなります。

――『なぜふつうに食べられないのか』の後書きで、「人と食べ物は似ている」と書いていて共感したのですが、磯野さんはなにかの出来事を違うことに当てはめて考えることがよくありますよね。私もそういうこと結構するのですが、そうやって物事を俯瞰して見ているということでしょうか?

磯野:人間には類推する力があります。AとBの似た点を探し出し、Aの特徴はBにもあるかもしれないと考えてみる。もちろんその類推は常に適切というわけではありませんが、そういう類推が色々なところでできると「こういう風に考えられるかもしれないな」とか「これは変なんじゃないかな」って気づきやすくなると感じます。

なおさんが指摘くださった箇所。つまり「食べ物」と「他者」を似ていると考えたのは、この二つを「摂取と排出」という観点から考えたからです。人と話しているとき、相手の言葉を受けて、それに対する言葉を返す行為は、食べ物を口に入れて、お尻から排出するのとちょっと似ていると思います。人間関係を持つって、相手の一部を自分に取り入れることですよね。でも全部取り入れると完全に支配されることになってしまいます。だから他者の取り入れは適度なところで止めないとならない。不要なものは外に出さないといけない。食べ物も同じです。食べすぎると調子が悪くなる。でもだからと言って、全然食べなかったり、食べたら全部出したりするのも問題。その意味で、食べることと、他者関係を作ることはよく似ている。

少し粗削りな言い方になりますが、過食の人は人間関係を作るのが好きな一方で、拒食の人はそもそも人間関係が得意じゃなかったりする傾向があると思います。過食嘔吐で悩んでいる人は、社交的で明るくて、人間関係を作るのが上手な側面もあるけど、それによって疲れてもいる。食べ物に置き換えると、摂取と排出のバランスが悪い状態で、食べ物でも同じことが起こる。他方拒食の人は、もともと人間関係が苦手で人に対して固かったりする。つまり摂取が苦手。拒食の人と過食の人は食べ方だけでなく、人間関係においても真逆と感じます。他方、なおさんは人との距離感が上手ですよね。

――そうですかね?難しさを感じることはありますよ。上手ってどういうところで感じますか?

磯野:人に寄りかかりもしなければ、離れすぎないというか、絶妙なあわい(間)のところを歩いている感じがします。で、ちょっと斜めから物事を見てるでしょう?そしてそこからたまにキラーフレーズを繰り出す(笑)

――他の人がみんな笑ってるところで自分だけ笑ってなかったりしますね。ちょっとささりどころが違っていて、一人で「へー」とか言っててズレてるなと感じることがあります。でもそういうところがいいって磯野さんが言ってくれて良かったです。

磯野:なおさんも昔モラハラの彼氏と付き合っていたことがあるじゃないですか。でもそういう体験の中で、自分の距離感の保ち方みたいなものを作ってきたと思うんです。でもだからこそ、他の誰かがなおさんを完全にコピーすることはできない。それはなおさん自身のトライアンドエラーの中で見出されたことだから。

――そうですね、トライアンドエラーしてきましたね。

磯野:今のなおさんを見ていると信じられないですけどね。そういう人と付き合って右往左往していた時代があったということが。でも、生命情報の受け取り方、捉え方、使い方を変えると、それぐらい生き方、つまり「生命」のあり方を帰ることができる。でもそれって1週間で出来ることではない。今の時代は素早い解決とか短期的な達成を求められますが、なおさんの今はそれとは真逆の時間の中で作られてものですよね。

――最近はドラマや映画も倍速で観るという人もいますよね。ストーリーだけ知りたいみたいな。

磯野:ショッキングですよ!今の時代を象徴していると思いますね。重要なところ=エッセンスだけを追って、それをスナック菓子みたいに食べ続ける。次から次へと新しい刺激が欲しくなり、それが提供され続ける世界。生きることは、常に新しい刺激を受け続けるだけでは達成されない。外側からやってくる刺激=情報を自分の中で味わい、咀嚼し、それをどう生きる糧にするのかを考える時間が必要なのだと思うのですが、今の社会は、その時間が取りづらくなっています。

――「他者関係」と「食べる」のお話、とても共感できました。

磯野:「他者関係」と「食べる」って、ゼロにすることができないんですよね。アルコールやドラッグならゼロにすることができますが、「他者関係」と「食べる」をゼロにしたら間違いなく死ぬ。だからバランスをとり続けないんだけど、これが結構疲れる。シーソーの真ん中でバランスをとり続けようとするより、片側にいた方が楽ですよね。それと同じで、食べることも、人間関係も極端に走ってしまうことがある。断食をしたり、過食をしたり、人生の判断を誰かに完全に委ねたり、あるいは自分だけで暴走したり。

――そういったバランスって難しいですよね。

磯野:うん。簡単にバランスが取れたら誰も苦労はしないんだけど、そこだけは自分で探していくしかない。

――人間関係でも「こうすればいい」というのを別の人にやったら、当てはまらないこともありますしね。

磯野:そうそう。でもうちの猫を見ていると、そのバランスを巧みにとっています。ヤツは明らかに何をどうすればいいかを、人によって使い分けています。生命情報の受け取りと、それを使いこなすに長けている。生きることに迷ったら、人間ではない動物から生き方を学びましょう。

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一見すると全く異なることのように思える「食べること」と「他者との関わり」。文化人類学を通して見てみると、非常に興味深い背景や共通点がありました。好きではないのに食べなくてはいけないものを食べ続けると辛いように、好きではないのに関わらなくてはいけない人と関わり続けるのは辛いかもしれません。あなたはどんなものを食べ、どんな人と関わりあいながら生きるのが心地よいでしょうか。

お話を聞いたのは…磯野真穂さん
人類学者(専門領域は、文化人類学と医療人類学)。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を卒業後、アスレチックトレーナーの資格を取るべく、オレゴン州立大学スポーツ科学部に学士編入するも、自然科学の人間へのアプローチに違和感を感じ、同大学にて文化人類学に専攻を変更。シンガポールと日本で摂食障害のフィールドワークを行い、応用人類学修士号、早稲田大学にて博士(文学)を取得。その後、早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書)他。

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吉野なお

吉野なお

プラスサイズモデル。雑誌『ラ・ファーファ(発行:文友舎)』などでモデル活動をしながら、摂食障害の経験をもとに講演活動やワークショップなども行っている。

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