"魔性"という言葉が免責しているのは誰か|「愛に見せかけた搾取の物語」を紐解く

 "魔性"という言葉が免責しているのは誰か|「愛に見せかけた搾取の物語」を紐解く
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「魔性」は誰を免責しているのか

ふたりの関係は、アリソンが大学に進学するまで続いたが、ある日、授業で『ロリータ』がとりあげられたとき、アリソンは気がつく。ノース先生は、ナボコフの正式な発音さえ知らなかったのだと。

少女だった頃のアリソンにとって、ノース先生の権威は絶対的なものだった。しかし、大人になるにつれ、「何かがおかしい」と気づき始める。

アリソンがノース先生との関係を、「あれは恋愛ではなく支配であり、搾取だった」とはっきり言えるようになるまでには、10年以上の年月が必要だった。

アリソンは英文学の教師になった。かつてのノース先生と同じ立場にたったことで、学生に下着の色を尋ねたり、秘密の関係を結ぼうとしたりすることが、どれほど異様なことだったのかに気がつけたのだ。

ドロレス(ロリータ)は、作中で、中年男性ハンバートにむりやり性交された。ドロレスは「魔性」の少女などではなく、性的搾取の被害者だ。

少女を抗いがたい魅力を持つ魔性の女だとレッテルを張ることで、少女に性的魅力を感じる中年男性の行為は免責されている。なぜ魔性の女はいても、男はいないのか。そこに、免責される存在が不在だからだ。

この本を誰よりも必要としている17歳のアリソンに

近年、「中年男性と少女の恋愛に見せかけた搾取」というテーマの作品が次々発表されている。渡辺ペコ作の漫画『恋じゃねえから』(講談社)もそのひとつだ。

映画では『ジェニーの記憶』がある。この映画は、監督であるジェニファー・フォックスの実話がベースになっている。主人公のジェニーは、幼い頃の日記を母親に読まれ、母親から「日記に書いてあることが真実ならば、性的虐待を受けていたことになる」と告げられる。ジェニーにはその自覚はない。かつて年の離れた大人の男性と恋愛関係にあったけれど、虐待なんかじゃなかった、とジェニーは思う。しかし、実家に戻り当時の写真を確認すると、そこには衝撃的な姿が映っていた。大人の女性だと思っていた頃の自分は、どう見ても子どもだったのだ。

これとほぼ同じ描写が『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』にもある。かつて先生と関係があった頃の写真をアリソンは見つけるが、当時の自分は頼りない子どもにしか見えない。

少女は自分をもう大人だと思いたがる。大人として扱ってくれる大人を好ましく思う。たとえ、その大人が捕食者だったとしても、少女がその事実に気がつくのは、よくて10年後かもしれないのだ。グルーミング(性的な行為を目的に、大人が子どもを手なづける準備行動)は、甘い言葉でコーティングされ、子どもが見破ることは難しい。

『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』の1ページ目には、「この本を誰よりも必要としている17歳のアリソンに」という言葉が綴られている。

現在、日本の性行同意年齢は13歳だ。相手が、30歳でも、50歳でも、明確に拒否しなければ性行為に同意したとみなされる。

これまで美化されてきた「中年男性と少女の恋愛」の真実を描いた作品は、これからも作り続けられるだろう。それらの作品が、愛に見せかけた搾取に直面する前の少女たちに届くことを、願わずにはいられない。

ロリータだった頃
『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』アリソン・ウッド 著、服部理佳・訳/左右社

 

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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