「自信がある私」ってどういう状態?自分に自信が持てるようになりたい人に知って欲しいこと
弱さを見せられる強さ
”強がっている”人は、実は、弱さを出せないだけ。それは、この社会で生きていくために生まれた防衛反応であり、弱さを見せられない環境にいたことで生まれた生存方法なのです。
私たちが生きている現代社会では、弱さを見せることが難しい環境がほとんどですよね。日本では、自分の悲しみを人前で表現しすぎると「メンヘラだ」と煙たがられたりします。私が住んでいるニュージーランドでもその部分はあまり大きな差がなくて、特に女性として生きていると、喜びや希望以外の感情を表現したときに物事がマイナスに働いていくことの方が多いように感じます(女性に限ったことではありませんが)。怒ったり泣いたりしたら、「ヒステリックだ」とか、「面倒だ」とか、「ネガティブだ」といった印象を与えてしまう。
弱みを出したら社会から除け者にされてしまうような恐怖がある一方で、弱みを出さないことによる弊害もあります。以前、ヒラリー・クリントンが大統領選の後に「『 女性は感情的だから信用出来ない』と言われないために理性的であることを心がけていたら、今度は『感情が見えないので共感できない』と言われた」と言っていました。
そんな環境で、自分を偽ってでも弱みの見せるタイミングをコントロールすることは「生き抜くために必要な能力」になってしまったのかもしれません。
でも、それってものすごく息苦しくないですか。
いつも笑顔で前を向いているのが理想で、悲しさや不安を押し込めて、泣きたい時も涙をこらえて強く振る舞い、一人になった時に溜まっていたダムが壊れるかのように泣いたり落ち込んだりして。人は、人間らしい感情を押し込んで陽の当たる部分だけを見せることを「感情コントロール」と呼ぶのでしょうか。
自分を偽ることなく表現できる人たちは、まずは自分が自分の弱さを受け入れ、周囲からその弱みにつけ込まれる恐怖も乗り超えることができた人なのです。そういう人は、本当に強い。芯から強い。そして、ブレない。キラキラしたオーラも、そうした安定感から来るのでしょう。
弱さも強さも私の一部
こんなことを話している私自身も、過去には「自分を偽ることで強そうに見せていた人」でした。
幼少期からスポーツや勉強が得意で、団体を率いる立場である学級委員長や部長になることも増えた学生時代。次第に、ネガティブな姿を見せてはいけない、弱い姿を見せたら信用を失う、と考えるようになりました。そうして「悲しみを笑顔で隠す人」になっていったんです。
いつも明るい強い人間として生きていくよう心がけていたら、悲しみを人前で「表現しない」のではなく、「表現できない」になっていきました。辛いことも悲しいことも、人前では笑顔で話さないとそこから崩れてしまうような気がしていたんです。
それに気づかせてくれたのが、ダンスの経験でした。「失恋した時みたいな悲しさを思い出しながら、それを表情と身体で表現して!」と言われた時に、私は恥ずかしくて出来なかったんです。「いつも元気な私」しかこの世に存在しないように振る舞っていたら、人前では「悲しむ私」を出せなくなっていた。そして、「弱さを出さないことが強さなの?」というコーチからの指摘にハッとしたんです。人前に出るときに弱さを押し隠し続けて、いつの間にか見掛け倒しの自信を身にまとう人間になっていたんだ...。
私が「自信ってなんだろう?」と自分と向き合うきっかけになった経験でした。
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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