「自分らしさ」よりも「普通」を優先してない?自分に自信を持つために考えたいこと
「普通」と「自分らしさ」の摩擦
そんな私の暗黒時代を救ったのが、生まれて初めての海外経験でした。イギリスでの一人旅、オーストラリア留学、ニュージーランド移住を通して、様々な人種やバックグラウンドを持つ人たちと関わり、自分が日本の”普通”という概念に縛られていたことに気がついたんです。
髪の毛が青い人、顔も身体もタトゥーだらけの人、スピーカーで爆音の音楽を流しながら街を練り歩く車椅子の人、電車の座席1つに身体が収まらないくらい大きい人、化粧をしている男性、身長2mの人。生まれて初めて日本の外に出た時に、日本の"普通"が別の国でも普通とは限らないことを知りました。
さらに、オーストラリアで出会った友人に「周りの意見を聞かないと自分がやりたいことも決められないの?」と言われてハッとしたんです。私は、誰の意見も気にせずに、自分がやりたいことを、自分がやりたいようにやっていいと言われた時に、何をすればいいかすら分からなかった。自分が「なりたい」と思っていた姿は、「こうすれば世間から色々言われない」とか「こうすれば周りが評価してくれる」という姿でした。「自分が気持ちいい自分ってどんな姿だろう?」そう考えるようになったのも、この一言がきっかけでした。
”普通”の服が入らない、”普通”のファッションが似合わない、”普通”の生き方では心が踊らない。それなのに、その誰かが決めた水準を気にするあまり、自分の個性を完全に無視してまでその型にハマることが正解だと思い込むようになっていました。自分に自信がなかった理由は、「”普通”と自分の個性との摩擦」から生まれていたのです。
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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